「『イデオロギーの対立』は社会にどれくらい根付いているか?」遠藤晶久

2024.04.01
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<大規模世論調査「スマートニュース・メディア価値観全国調査」が明らかにした日本の「分断」。連載第3弾では、日本社会の対立はどこにあるのか、早稲田大学社会科学総合学術院教授・遠藤晶久氏が解説する>(ニューズウィーク日本版から転載)

 

遠藤晶久(えんどう・まさひさ) 早稲田大学社会科学総合学術院教授

早稲田大学政治学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(政治学)。早稲田大学政治経済学術院助手、高知大学人文社会科学部講師等を経て現職。主要著書に『イデオロギーと日本政治:世代で異なる「保守」と「革新」』(共著、新泉社)など。


筆者が初めて日本のイデオロギーについて研究報告をしたのは2013年。今から10年前のことである。そのときは、1980年代から2010年代初頭の世論調査データから、人々のイデオロギー認識が弱まっていること、さらに、それにとどまらず、イデオロギーの理解に世代差があることを報告した。50代以上の有権者は自民党を「保守」、共産党を「革新」と位置づける一方で、40代以下の有権者は「革新」側に共産党ではなく日本維新の会を位置づけているという報告であった。幸い、報告は概ね好評で(「手応えがある」という状態を初めて体験した)、その後、その報告は論文や本の執筆へとつながっていった。

10年前のその当時、第2次安倍晋三政権が発足したばかりではあったものの、55年体制崩壊から民主党政権までの流れを見れば、日本政治においてイデオロギーはもはや後景に退いたかに思われていた。2012年に出版された蒲島郁夫・竹中佳彦『イデオロギー』はこのテーマについての集大成であり、「今後はイデオロギーの弱体化は一層進むだろう」と筆者自身も考えていた。しかし、第2次安倍政権が長期政権となっていく過程で自民党は右傾化し、他方で、野党第一党も分裂と合流を繰り返しながらイデオロギー的に純化され、左傾化した。今ではそのような政党レベルの分極化現象を指しながら、日本政治の「再イデオロギー化」が議論されている。

そのような状況の中で、この10年間、筆者自身もイデオロギーや政策対立に関する様々な分析や調査を実施してきた。日本の分断を実証的に検討する「スマートニュース・メディア価値観全国調査(SmartNews Media, Politics, and Public Opinion Survey)」(以下、SMPP調査)への参加要請を受けたのは、それゆえであろうと考えている。社会の分断を疑うとき、政治学者であればまずはイデオロギーや政策争点についての検討が最初に思い浮かぶ。

この記事では、SMPP調査の結果紹介として、まずは政策質問とイデオロギー質問に基づきつつ、有権者の政治対立について検討したい。SMPP調査では、政策争点に関して16の項目を取り上げて、その文言に対する賛否を尋ねている。これまでの様々な研究を踏まえて、政策争点については多岐に渡って取り上げるように工夫をした。また、場合によっては難しい質問もあるため、「わからない」という選択肢は明示的に提示した。その結果が図1である。「賛成」と「どちらかといえば賛成」が多い順番に並べてある。

 

図1 政策質問の回答分布

 

図1を見ると、75〜80%の回答者が合意しているような争点はそれほど多くなく、「道徳教育の充実」への賛成(+どちらかといえば賛成)と「女性天皇反対」への反対(+どちらかといえば反対)だけである。興味深いのは、「道徳教育の充実」と「女性天皇反対」のいずれも保守派の主張であるのに対し、前者については支持されているが、後者については不支持が多いというように、世論は保守の言説ともリベラルの言説とも必ずしも一致しないことである。

賛否の差が30%以上あり、多数派と少数派に分かれる項目としては、反対よりも賛成の割合がかなり多い「財政出動」「夫婦別姓」「同性婚」「防衛力強化」や、賛成よりも反対の割合がかなり多い「コロナ感染対策の徹底」「公務員数の拡大」「ワクチン義務化」が挙げられる。

賛否が拮抗しているのは「ガソリン車廃止」(賛成36%、反対41%)、「移民受け入れ」(賛成35%、反対45%)といった比較的新しい争点である。ただし、注意が必要なのは「わからない」という回答の多さである。「ガソリン車廃止」では24%、「移民受け入れ」では20%が「わからない」を選択している。

この2つの項目だけでなく他の質問項目でも10%〜30%の「わからない」回答が見られる。16項目すべての政策質問に答えられたのは全体の26%に過ぎず、1/3の回答者は4つ以上の項目で「わからない」(あるいは無回答)を選択している。

私たちが作成した質問の中には普段それほどニュースにならないような項目があるのも事実ではあるが、政党レベルでは激しい対立が報じられるような政策においてでも「わからない」は相当程度みられるのが特徴と言える。

「イデオロギー位置」を自認していない回答者が多数

このような「わからない」回答の多さは、イデオロギー質問においても観察できる。SMPP調査では、0がリベラル、10が保守的としたときに自分の政治的立場はどこかを尋ねる質問が含まれる(図2)。0〜4をリベラル、5を中間、6〜10を保守的と分類をすると、全回答者に占める割合はそれぞれ20%、16%、33%となる。

 

図2 イデオロギー質問の回答分布

 

保守は全体の1/3を占め、リベラルの1.5倍以上となっており、保守を自認する人の割合は多い。ただし、ここでも目立つのは「わからない」の多さであり、28%を占めている。つまり、回答者の3割弱は自分自身のイデオロギー位置を把握していない。若年層に目を向ければ、18〜29歳のうち43%は「わからない」と回答をしており、30歳代でも35%にのぼる。

なお、この連載第1弾での分極化に関する日米比較では、リベラル29%、中間23%、保守48%と表記しているが、これは米国の調査結果との比較可能性から「わからない」を除いて分析をしているためである。

2010年代の政党レベルにおけるイデオロギー分極化の現象の一方で、有権者レベルでは、イデオロギー対立の進行はそれほど進んでおらず、かなりの数の人はイデオロギー位置を自認していない。保守対リベラルといっても有権者の半数程度の間の対立でしかない。

それでは、有権者自身は社会の対立についてどのように認識しているのか。SMPP調査では様々な社会集団を取り上げて、それらの間で対立が生じていると思うかどうかを尋ねている。社会では、イデオロギー的な対立(保守対リベラル)だけでなく、労使、世代、都市地方、ジェンダーなど、様々な対立があるが、その中で最も多くの有権者に認識されているのはどの対立か、また、そのなかでイデオロギーはどこに位置づけられるかを検討するため、この質問項目を調査に含めた。

 

図3 社会対立質問の回答分布

 

図3では8つの対立カテゴリーについて、「強い対立がある」「やや対立がある」を合算した割合が大きい順番に並べた。その結果、最も多くの日本の有権者が対立を認識しているのは労使対立であることがわかった。その次に貧富の対立であり、この2つは5割を超えている。つまり、経済的な対立について多くの人々が認識をしているのである。この結果は、同様の問題を扱った過去の調査結果とも整合的である。それに続いて多いのはジェンダー対立であり、43%を占める。主観的な対立についての質問でジェンダー対立を含めたものは他になく、今回、初めて明らかになった点である。

イデオロギー対立はそれらに比べると広がりを欠いている。世代対立、都市地方対立のような、しばしば日本政治で主題となるようなカテゴリーも同様に39%程度で並んでいて、それほど多くの人に認識されているわけではない。また、認識が最も低いのは外国移民との対立であるが、これは欧米各国で広がっている社会問題ではあるものの、まだ日本では認識がほとんどない。

ここまでの調査結果からも、日本の分断を考察するとき、従来型のイデオロギー対立にのみ着目するのは十分でないことは明らかであろう。もちろん、イデオロギーには様々な政策争点を統合する機能があり、政治を議論し意思決定をするために不可欠でもある。しかし、有権者の多くが共有していないのであれば、それは日本社会全体を見通すときの手がかりとしては心もとない。

他方で、調査結果から、経済をめぐる対立やジェンダー対立についての認識が広がっていることが明らかになった。戦後日本のイデオロギー対立の基軸は憲法や安全保障の問題であったのに対して、欧米諸国とは異なり、経済争点をめぐる争いはイデオロギー対立との関係が非常に弱かったことを考えると、主観的な経済対立が社会に根づいていることは興味深い。

また、家族やジェンダーをめぐる社会的価値観は、憲法・安保軸と並んで政策対立軸として確立されており、徐々にイデオロギー対立とも関連性が見られるようになってきている。ジェンダー対立については今後、注目をしていく必要がある。様々なカテゴリーにおける主観的な対立と政策、イデオロギーの関係についても引き続き、詳細な分析を進めていく予定である。

■SMPP調査・第1回概要

(2024年2月5日(月)17時00分掲載 ニューズウィーク日本版より転載)

本連載の記事一覧

日本の「分断」を追う10年プロジェクト始動──第1回調査で垣間見えた日米の差異(山脇岳志 スマートニュース メディア研究所 所長)

首相への好悪から見る「分極化の起点」(前田幸男 東京大学大学院情報学環 教授)

日本人の道徳的価値観と分断の萌芽(笹原和俊 東京工業大学環境・社会理工学院イノベーション科学系 准教授)

メディア接触の新潮流...「ニュース回避傾向」が強い層の特徴とは?(大森翔子 法政大学社会学部メディア社会学科 専任講師)

「政治と関わりたくない人たち」がもたらす政治的帰結(小林哲郎 早稲田大学政治経済学術院 教授)

統治の不安と分断がもたらす政治参加(池田謙一 同志社大学社会学部メディア学科 教授)