情報は、受け手の知識、教養や価値観によって解釈が変わる。正しい理解の前提となるには、デジタル・シティズンシップを学ぶことが必要だ。鳥取県情報モラルエデュケーターや国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員を務める今度珠美さんが、教育現場での体験を基に解説する。
今度 珠美
鳥取市出身。鳥取大学大学院修了。教育学修士。鳥取県情報モラルエデュケーター。国際大学GLOCOM(グローバル・コミュニケーション・センター)客員研究員。年間150回以上、学校や教員向けのメディアリテラシーやデジタル・シティズンシップの授業、研修を行っている。
メディアリテラシーとは社会を知ること
メディアリテラシーとは、「メディアを批判的に読み解くこと」「情報の信憑性を確かめること」「メディアの意味と特性を理解し、メディアのあり方を考え行動できること」と解説されることが多い。かつては私もそのように説明し、教えてきた。
例えば小中学校の授業では、CM作りを疑似体験することで、メディアが送り手の意図によって構成されることを学んだり、2枚の報道写真を比較し、切り取り方で受け取り方が変わることを考えたり、CMや新聞の広告等のステレオタイプについて分析したりする学習を行なっていた。
しかし大学院在学中、小林正幸氏の『メディア・リテラシーの倫理学』(2014)を読んだのをきっかけに、メディアリテラシーの授業について再考することとなった。1
本書には、次のような記述がある。「メディア・リテラシーはメディアに関する理解力だけでは不十分であり、社会に対する知識や教養、あるいは洞察力が前提なのである。メディア・リテラシーは社会を知ることでもある」小林は、メディアリテラシーは知識、教養が前提でなければ意味がないとしている。
また、このような例が示されている。「例えば、子宮頸がんワクチンに関して、現在ワクチンによる副作用が大きな社会問題となっているが、ワクチン推奨キャンペーンがさまざまなメディアで行われていた。当然、その時点で副作用の問題も問われるべきであったはずであるが、一般の人にはまったく知りえない問題であった。そこで、必要なのは医療的な、あるいは科学的な専門的知識や、製薬メーカーと厚生労働省との関係をめぐる政治に関する洞察力になるだろう。つまり、薬や病気、あるいは健康に関わる社会に関する知識や洞察力が要求されるのである。ワクチンが新聞やテレビなどで報道、広告されるときに稼働するメディア・リテラシーは、これらの知識や洞察力が前提でなければ意味がないことになってしまう。」
もう少しわかりやすい事例を出そう。2017年12月、某テレビ番組で、お笑いタレントが顔を黒塗りして黒人俳優のモノマネをするというコーナーが放映された。2放送後、このタレントのモノマネが人種差別に当たるか当たらないか、ネット上では論争が起きた。このお笑いタレントのモノマネやメディアの伝え方が人種差別に当たるかどうか判断するためには、受け手に人種差別、歴史認識などに関する知識、教養、洞察力がなければ難しい。
このように、メディアリテラシーはメディアに関する理解だけでは不十分で、社会に関する知識、教養、洞察力が前提なのではないか、と小林は主張する。「メディア・リテラシーとは社会を知ることでもある」と。
情報の受け止め方は、個人の価値観に左右される
しかし、既に得ている知識もこれから得る知識も、元からある思想信条によって偏りが生じることがある。メディアの受け止め方は、その人の持つ価値観にも左右される。
例えば、2021年夏の東京オリンピック開催に、あなたは賛成だっただろうか、反対だっただろうか。仮にあなたが賛成派だった場合、SNSやネットニュースでどのような見出し記事をクリックすることが多かっただろう。反対派の場合はどうだっただろうか。
その選択には、自身が既に持つ意見、思想、価値観が反映されていたはずだ。同じ反対派でも、新型コロナウイルスの感染拡大を恐れて反対する人と、運営組織に否定的、またはお金の無駄使いだと考えて反対する人では、読みたい記事が異なったに違いない。
メディアの送り出す情報が、現実のすべてを正しく反映して再現することなどありえない。そして、情報の受け止め方は、受け手の知識、経験、思想、価値観により決定されてしまう。つまり受け手に向かって「情報を見極めよう」と伝えるだけでは、メディアリテラシーを発揮することはできない。
では、私たちはどのようにして、メディアリテラシーを学ぶ必要があるのだろう。その問いについて考えていたとき、私は「デジタル・シティズンシップ」という教育と、その中で示される「メディアリテラシー」に出会った。その学びに影響を受け、実践が大きく変化した。その教育法とは、どのような学びであったのか、解説する。
デジタル・シティズンシップとは
デジタル・シティズンシップは、1990年代初期の頃米国で誕生し、教室に多くのテクノロジーが導入されるようになるのに合わせ発展した。初期のデジタル・シティズンシップは、テクノロジーへのアクセスと、そのテクノロジーを使いこなすためのハードスキルであるデジタルリテラシーに焦点を当てていた。3
モバイルの技術が発達してくると、その安全性が大きな関心事となっていく。「インターネットには大人の犯罪が潜んでいる。子どもを悪いものから遠ざける」として、リスク管理が重視されるようになった。しかし、2014年以降は、教育者はデジタルへの参加をメリットと捉え、デジタル・シティズンシップを、テクノロジーの使用を意図的に行う機会と考え始めた。教育法も教育者中心ではなく学習者中心となり、「何ができないか」ではなく「何ができるか」が重視され、「責任ある使用」の焦点は「価値観や倫理観に沿ったテクノロジーの使用」へと拡大されていった。4
デジタル・シティズンシップは、National Education Technology Standard(NETS)2007年改訂版の中で「情報技術の利用における適切で責任ある行動規範」と定義され、2015年には国際教育テクノロジー学会(International Society for Technology Education)が次のような定義を示している。5
「生徒は相互につながったデジタル世界における生活、学習、仕事の権利と責任、機会を理解し、安全で合法的倫理的な方法で行動し、模範となる」というものだ。
その構成要素は次の通りである。
a. 生徒は自らのデジタル・アイデンティティと評判を構築・管理し、デジタル世界における行動の永続性を自覚する。
b. 生徒はオンラインでの社会的相互交流を含んだテクノロジーを利用もしくはネット端末を利用する場合は、ポジティブで安全、合法的で倫理的な行為に携わる。
c. 生徒は知的財産を使用・共有する権利と義務への理解と尊重を態度で示す。
d. 生徒はデジタル・プライバシーとセキュリティを維持するために個人のデータを管理するとともにオンライン・ナビゲーションの追跡に利用されるデータ収集技術を意識する。
この構成要素は、次のような特徴を示していると筆者は考える。6
・インターネット上に永続的に残り続ける可能性のある個人情報や、管理する情報全ての未来に渡る影響を意識して行動すること。
・ネットを介したコミュニケーションでは、インターネットという公共空間の倫理、作法を意識し行動する力が必要であること。
・創造者として知的財産を使用、共有する権利を理解し行動できることと、プライバシー管理の知識とスキルが必要であること。
・思慮深い創造者、利用者としての責任を持つために、デジタルメディアの基本要素や仕組みを理解すること。
また、マイク・リブルとマーティ・パークの『The Digital Citizenship Handbook for School Leaders: Fostering Positive Interactions Onlineスクールリーダーのためのデジタル・シティズンシップ・ハンドブック』では、新たな9つの要素に改訂された(Mike Ribble & Marty Park 2019)。7
1 デジタル・アクセス
2 デジタル・コマース
3 デジタル・コミュニケーション&コラボレーション
4 デジタル・エチケット
5 デジタル・フルーエンシー
6 デジタル健康福祉
7 デジタル法
8 デジタル権利と責任
9 デジタル・セキュリティとプライバシー
この要素の5番目デジタル・フルーエンシーには、「メディアリテラシー」と「情報評価能力」が含まれた。
私は鳥取県教育委員会の講師として、2005年から県内外で年間約150校の小中学校、高等学校を回り、情報モラル教育、メディアリテラシー教育の授業実践、研究、教材開発等を進めてきた。
5年ほど前、米国のデジタル・シティズンシップ教育の教材と出会い、これまでに実施してきた情報モラル教育との違いに衝撃を受けた。そこから、研究仲間とともにデジタル・シティズンシップ教育を研究する会を立ち上げ、2021年からは国際大学GLOCOMでデジタル・シティズンシップの日本における実践の可能性について研究を進めている。
私がデジタル・シティズンシップになぜここまで惹かれたか、というと、デジタル・シティズンシップは、日本の情報モラルに足りなかった下記のような視点を持っていたためだ。
・ICTの利活用が前提であること。
・同じ答えに導くのではなく、個々の価値観の違いに配慮すること。
・ICTの特性を善き利用に結びつけること。
・オンライン上で立ち止まって考える、そして行動するための方法とその理由を具体的に学ぶ。
・メリットとデメリットを検討し、悪い特性や悪い結果だけを強調しない。
・個人の安全な利用のためだけに学ぶのではなく、人権と民主主義のための情報社会を構築する善き市民となるために学ぶ。
情報モラル教育は、「情報社会で適正な活動を行うための基になる考え方と態度」と定義されている。8
具体的には、「他者への影響を考え、人権、知的財産権など自他の権利を尊重し情報社会での行動に責任をもつこと」、「危険回避など情報を正しく安全に利用できること」、「コンピュータなどの情報機器の使用による健康とのかかわりを理解すること」。
危険を回避する、健康とのかかわりを理解する、という安全の倫理としての認識が示されている「情報モラル」と、ICTの善き使い手となり、情報社会を構築する善き市民となることを目指す「デジタル・シティズンシップ」では、その視点が大きく異なっている。
デジタル・シティズンシップとメディアリテラシー~米国の代表的な教材「コモンセンスエデュケーション」~(後篇)はこちら
注
1 小林正幸(2014)『メディア・リテラシーの倫理学』風塵社
2 渡辺一樹(2018)『「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議 黒人作家が語った不安』 ハフポスト https://www.huffingtonpost.jp/2018/01/02/history-of-blackface_a_23321243/(参照日2021.5.10)
3 Digital Respons-Ability(2020)The Definition of Digital Citizenship. https://respons-ability.net/definition-digital-citizenship/(参照日2020.8.18)
4 LeeAnn(2018)The Evolution of Digital Citizenship. Edvolve. https://www.edvolvelearning.com/blog/the-evolution-of-digital-citizenship(参照日2020.8.18)
5 International Society for Technology Education(2016)ISTE STANDARDS FOR STUDENTS. https://www.iste.org/standards/for-students(参照日2021.5.01)
6 今度珠美・坂本旬・豊福晋平・芳賀高洋(2019)「アメリカのデジタル・シティズンシップ教育教材の検討と日本における学習実践の可能性についての研究」『日本教育工学会研究会論文集』JSET19-5
7 Mike Ribble(2015)Digital Citizenship in Schools Nine Elements All Students Should Know(3rd edition). International Society for Technology in Education.
Mike Ribble and Marty Park(2019)
The Digital Citizenship Handbook for School Leaders: Fostering Positive Interactions Online. International Society for Technology in Education.
8 文部科学省(2009)『平成11年 高等学校学習指導要領』