批判的思考とメディアリテラシー(後篇)~リスク社会における批判的思考とメディアリテラシー〜楠見孝

2021.06.04
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楠見 孝
京都大学大学院教育学研究科長・教育学部長・教授
1987年学習院大学大学院人文科学研究科博士課程退学、博士(心理学)。学習院大学助手、筑波大学講師、東京工業大学助教授、京都大学助教授、教授を経て現職。専門は認知心理学。共著書に『ワードマップ 批判的思考: 21世紀を生きぬくリテラシーの基盤』(新曜社)、『批判的思考力を育む:学士力と社会人基礎力の基盤形成』(有斐閣)など。

「批判的思考とメディアリテラシー(前篇)~批判的思考とは何か?:認知心理学の知見から」はこちら

後篇ではまず、日本社会が直面しているリスクに対処するためには、批判的思考とメディアを読み解く能力であるメディアリテラシーが重要であることについて述べる。

わたしたちは、テレビや新聞をはじめ、インターネット、家族、友人などを通して、さまざまな情報の中で、信頼できる情報を判断して行動をする必要がある。とくに、感染症の流行や大災害の時には、インフォデミックという大量の情報がネット上で、噂やデマも含めて氾濫し、社会、人に影響を及ぼす現象が生じる。
ここで、不確定な情報、誤った情報、不安・恐怖を増幅する大量な情報に接した人々は、不安に駆られて過剰な防衛反応や、特定の人々への偏見や攻撃などをおこなうことがある。たとえば、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス:ツイッターなど)の情報の多くは、興味を引く内容であれば、もとの記事を読んで真偽をチェックすることなく、拡散される。
大切なことは、批判的思考に基づいて、情報を吟味し、正確で適切な判断をおこない、誤情報を拡散させずに訂正することである。感染症の場合には、感染防止に関わる知識によって、科学的根拠のない偏見や差別をなくし、感染リスクを減らす適切な行動をすることが必要である。

メディアリテラシーと批判的思考との関係

「メディアリテラシー」は、リテラシー研究においては、1970年代から研究や教育実践がされてきた(e.g.,Masterman,1985)。メディアリテラシーは大きく3つの構成要素に分かれる(楠見,2018b;田中・楠見,2018)。

(a) メディアの表現技法の知識:メディアの表現技法や制作過程、メディアそれぞれの特質やマスメディアなどの企業の目的に関する知識

(b) メディアのバイアスに気づく能力:メディアから発信される情報について、そのバイアスに気づき、批判的に分析・評価・能動的に選択して、読み解く力

(c) 情報を収集・活用する能力:メディアにアクセス・選択し、能動的に活用する能力。さらに、メディアを通じてコミュニケーションする能力

人は、テレビや新聞、雑誌などのマスメディアからの情報に日常的に接している。そのときに、(a)は、マスメディアからの情報は現実世界の写しではなく、ある規則(価値観や視点も含む)に基づいて、編集・構成されたものであること、情報発信をおこなう企業は利潤をあげることを目的とするなどの知識をもつことは、(b)の批判的に情報を読み解く上でも重要である。ここで、(b)(c)は、前篇で述べた批判的思考のスキルと態度が土台となっている。
メディアリテラシーは、市民がテレビを視聴したり、新聞や雑誌を読んだりする際に重要な役割を果たしている。その理由は、学校を卒業した市民にとっては、知識獲得の多くの部分は、テレビや新聞、雑誌などのマスメディアによることが多いためである。科学・技術の進歩や社会・政治などの情報を得るためには、マスメディアからの情報を利活用することが重要である。

情報の媒体(メディア)に関わるテクノロジーの進歩によって、市民はマスメディア以外の情報を利用するための新しいリテラシーを身につけることが必要になる(e.g., Palincsar & Ladewski, 2006)。たとえば、コンピュータリテラシー、(インター)ネットリテラシー、ICTの利活用を支えるICTリテラシーであり、これらを総称してテクノロジーリテラシーともいう。これらのリテラシーには、テクノロジーによってツールを利用する操作的リテラシー(能力)が強調されがちである。しかし、操作できるだけでなく、情報を分析・評価し、行動する批判的思考が重要である。

とくに、インターネットリテラシーというときは、インターネットメディアによる情報の利活用や評価する能力を指す。それは、前述のメディアリテラシーを、インターネットの情報に特化したものであり、その構成要素は大きく3つに分かれる。

(a) インターネットの特性に関する知識:インターネットは、誰でも発信・拡散できるため、情報は玉石混淆であり、発信者の専門性(研究歴)や所属機関が情報評価の外的手がかりとなることなど

(b) インターネットの情報のバイアスに気づく能力:インターネットにおける情報について、そのバイアスに気づき、批判的に分析・評価・能動的に選択して読み解く力

(c) インターネット上の情報を収集・活用する能力:インターネットを主体的に活用して、複数の情報源から情報収集し、発信者の立場や背景にある動機に考慮して、その信頼性を評価したうえで、情報を活用し、情報発信、問題解決や行動決定を導く能力

近年、人は、マスメディアだけでなく、インターネットメディア、ソーシャルメディアからの情報に接することが多い。したがって、(a)のインターネットに関する知識として、マスメディアのように多段階の内容のチェックが入らないため、根拠のないネット上の情報(フェイクニュースなど)が、掲示板、ブログ、ツイッターなどに転載され、表現が改変されて拡散される場合があること、情報発信は、個人、研究機関、行政、企業などが様々な目的をもっておこなっていることを知っておくことは重要である。これらの知識は、(b)における情報の信用性と専門性を評価する際に、誰(発信者)が、どのような相手を対象に、どのような目的(動機)で情報を発信しているかを読み解く際に働いている。そして、情報の内容の正確さや証拠の確かさ、新しさなどを評価する。さらに、これらを土台として、(c)で示した、主体的なインターネットを活用する能力を発揮して行動することが大切である。とくに、(c)は、情報の送り手-受け手の役割が変化したことに関わる。テレビ番組は、送り手の構成した順序に従って、受け手が最初から直線的に読解・視聴する送り手主導の受動的な情報媒体である。メディアリテラシーは、こうした情報を読み解くためのものであった。それに対して、インターネットは、受け手が情報を検索し、読み進め方(ナビゲート)の順序を能動的に決定する受け手主導のメディアであり、インターネット固有のリテラシーの必要性はより高まっている。

また、マスメディアは、発信される情報が専門家によって多段階で編集やチェックがされているため、情報の質や信頼性は一般に高いと考えられる。一方、インターネットは誰でも発信者になれるために、発信者によってその質や信頼度は様々である。インターネットの情報は、受け手が情報を利活用するために情報の信頼性を評価するインターネットリテラシーの役割が重要である。

原発事故におけるリスク情報の研究

ここで、情報の信頼性評価について、東日本大震災による福島第一原発事故におけるリスク情報に関して、私たちが行った2つの研究について紹介する。

第1の研究は、福島第一原発事故に関わる情報源の信頼性評価が、著しく低下したことを示したものである。表1は、東日本大震災1ヶ月前に輸入農産物の残留農薬などの食品安全性に関する情報源の信頼性について、全国の男女1000名にオンライン調査をした結果である。その結果、新聞、大学教授、行政の広報、テレビのニュースの評定値は中点の3(どちらともいえない)よりも高いことが示されている。一方、震災半年後と8年後に、被災県,首都圏、関西圏の男女合計1752名に、原発災害、放射線量、放射能の健康影響に関する情報源について、信頼性評価を求めたところ、危険を説明する専門家、新聞の評定値は中点3を上回るが、行政のHP、広報、記者会見は、「2:どちらかというと信頼できない」レベルであった。このことは、市民は、福島第一原発事故による放射能のリスクについては、市民は信頼できる情報源を持てなかったこと、とくに、政府の情報源としての信頼度が事故前に比べて低下し、8年間で、回復はしたが、まだ中点に達していない。また、マスメディア(新聞やテレビニュース)は中点レベル、市民のHPは、中点よりも低いが、行政よりは高いことがわかった。


註:左表は全国の男女1000人にオンライン調査をした楠見の未発表データ。右表は、3地域の男女1752人(2011年)と441人(2019年)のオンライン調査のパネルデータで、楠見・三浦・小倉・西川(2019)に基づいて作成。

第2の研究は、福島第一原発事故に関わる食品中の低線量の放射能の健康影響について、「お店で買う食品の危険は小さい。しかし、野生のキノコ類やぜんまいやわらびなどは注意が必要」といった影響なしと影響ありという両面提示情報よりも、影響ありというだけの片面情報だけの方が、情報の信頼性評価が高いという結果である。実験は、食品中の低線量の放射能の健康影響ありとなしのメッセージについて、議論のサイトにおける大学教授2名の投稿記事を読むという設定であった。事故3年後の2014年3月に、男女1800人を片面提示群(前半後半も一貫して、影響ありまたは影響なしのメッセージ)、両面提示群(前半と後半で、影響ありと影響なしのメッセージ)に分けて、オンラインで実験をおこなった。表2が示すとおり、「信頼度」は、片面危険>両面>片面安全の順であり、「わかりやすさ」は、片面危険>片面安全>両面、「この情報を家族などに伝えたい」は、片面危険>両面,片面安全であった。このことは、食品中の低線量の放射能の健康影響については、一貫して危険があるという考えを伝える片面メッセージの方が、危険があるとないの両方の考え方を伝えるメッセージや、一貫して安全であるという考えを伝える片面メッセージよりも、信頼でき、分かりやすいと評価された。


図3 食品中低線量放射能の健康影響についての2通りの両面提示の例
(楠見・平山・嘉志摩,2014)


註:2地域(被災県、首都圏)の男女1800人(2014年)を片面提示群、両面提示群各900人に分けて、オンライン実験をおこなった(楠見・平山・嘉志摩,2014)。

情報の評価をめぐる3つのバイアス

情報の信頼性評価において、評価に影響を及ぼす認知の一般的傾向としては、3つのバイアスが考えられる。これらは、多くの人が共通してもつ情報処理の特徴であり、自覚的になることは難しい。

第一の信念バイアスは、情報の内容的あるいは論理的な正しさよりも、自分の信念にあてはまるかどうかで、情報の妥当性や信頼性を判断してしまうことである。すなわち、人やその属する集団がもっている信念は、変わりにくいため、信念に反する意見の信頼度を低く評価することがある。表1において、放射能汚染について、危険だと説明する専門家の信頼度が高く、安心だと説明する専門家や行政の信頼度が低かったのは、市民が危険だという信念をもっていたためと考えられる。また、そのことは、表2において、片面提示で危険だけを伝えるメッセージの信頼度が、両面提示や片面の安全メッセージよりも信頼度が高いことに結びつくと考える(なお、ここで、信念が正しいかどうかは別の問題とする)。

第二の確証バイアスは、自分の信念に対して合致する情報を重視したり、集めたりする傾向である。情報収集の段階で、信念に反する情報を無視してしまい、また推論の段階で、情報の信頼度評価よりも、信念との合致度を重視するため、誤った結論を導いてしまうことがある。

第三のベテランバイアスは、経験が豊富であるベテランが、情報を解釈する上で、過去経験が大きな影響を及ぼすことによる判断の偏りである。ここで、ベテランのもつ過去経験と現在の状況が大きく異なる場合、過去の経験は判断を誤らせることがある。ここには、ベテランによる経験に基づく仮説生成とその確証バイアスのプロセスも含まれる。経験豊富な専門家の情報が信頼できるかの判断には、専門家のおこなう過去の類似経験に基づく類推が適切かどうかの判断が必要である。

以上のバイアスとは異なる、ウェブページにおける情報の信頼性判断においてバイアスを引き起こす原因として、流暢性の効果がある。流暢性とは、「人が情報処理過程において、スムーズに処理できた」という知覚、言語、概念レベルの情報処理のしやすさに関するメタ認知的・主観的判断である。この判断が、より複雑な領域固有の判断(情報の信頼性や真実性)や価値などの判断(好き、頻度など)に置き換えが起きる現象が流暢性の効果である。たとえば、フォントの大きさ、デザイン、図表などによって読みやすく洗練されたウェブページは、そうでないウェブページに比べて、信頼度や真実性が高く評価されることがある。これは外見にもとづく信頼性の評価である。とくに、インフォグラフィックスを用いて、情報、データ、知識が視覚的にわかりやすくインパクトがある形で表現されると、情報への信頼度が高まることがある。

ここで、人が思考や判断をおこなうプロセスは、前篇の図2で述べたように、大きく2つのシステムに分けて考えることができる。流暢性の判断は、直観(システム1)の働きである。直観は、日常生活において自動的、無意識的にたえず行われている判断である。素早く実行されるが、バイアスによるエラーを引き起こすことがある。一方、推論(システム2)は、熟慮的で論理的な判断である。批判的思考はその代表である。システム1の判断規準は、わかりやすさ、快などで、証拠の質や量はあまり影響しない。したがって、知覚的レベルで読みやすく、概念レベルで経験や信念に合致して、理解しやすい時は、心地よく感じ、信頼性が高いと錯覚し、信頼性への疑いをなくすことがある。

これまで述べてきたバイアスを修正するためには、これらのバイアスがあることについて自覚的になること、バイアスを引き起こす、自動的な処理による直観(システム1)を、熟慮的で論理的な批判的思考(システム2)によって、コントロールして、バイアスを修正することが必要である。たとえば、インフォグラフィックスによるデータの表示では、システム1による直観的な把握だけではなく、システム2によって、元の数値データを吟味して、誇張や歪みがないかをチェックし、信頼できるかどうかを確認することが重要である。

批判的思考の教育現場への展開

最後に、批判的思考とメディアリテラシーが、大学教育、小学校、中学校、高校などでどのように展開してきたのかについて述べる。

批判的思考教育運動

批判的思考は、米国などでは、第一次、第二次世界大戦の時代に、プロパガンダ(扇動、宣伝)に左右されない手段を身につけるために、メディアリテラシー教育として教えられていた。また、1930年代ごろからは、市民性(公民)教育、社会科教育において、批判的思考の育成がされていた(樋口,2013)。

そして、1980年代ごろからは、米国の哲学者ポールと心理学者エルダーが中心となって、批判的思考教育運動のための組織(Foundation of Critical thinking)が作られた。そして、幼稚園から大学までの教員などを対象として、毎年年次集会が開かれ、批判的思考教育を促進するための活動が進められている。彼らの活動はwebサイト(e.g., Paul, Elder,& Baretell, 1997)で知ることができ、書籍は2冊邦訳されている(Paul & Elder, 2001,2002)。

欧米における大学教育への導入

欧米の大学においては、20世紀の中頃から批判的思考教育が行われてきた。とくにアメリカでは、1970年代後半からの大学の大衆化にともなう入学者の学力低下と大学教育改革の流れのなかで、批判的思考能力の育成は、大学導入教育において、哲学、論理学などの入門科目、そしてライティングなどの学問(academic)リテラシー科目の中で取り上げられるようになった。さらに、批判的思考のスキルは、専門教育、専門的職業人の育成においても看護学、経営学、心理学、教育学、メディア研究、異文化間研究、ジェンダーやマイノリティ研究など多くの分野の学習や研究を支える汎用(ジェネリック)スキルとして重視されてきた。とくに、心理学教育は、批判的思考の導入が、盛んな領域の1つである。その理由の一つには、通俗心理学を批判的に検討して、アカデミックな心理学を説明するためである(e.g.,Stanovich,1989)。

日本における大学教育への導入

日本の大学教育においても、批判的思考教育は、1990年代後半から、初年次教育や専門教育に導入されるようになってきた。とくに、初年次教育については、哲学者や心理学者、言語学者などが、初年次の導入科目として、学問リテラシー、学習スキルを育成するために、レポートライティングや討論、プレゼンテーションなどの指導とあわせて、批判的思考を教えることが多い(たとえば、鈴木・大井・竹前,2006)。

2000年代後半からは、とくに、汎用的スキルの育成が重視されるようになった。汎用的スキルは、市民生活、職業においても適用できる転移可能な技能である。これは、1990年代から様々な形で提唱されてきた能力概念、たとえばコアスキル、キー・コンピテンシー、21世紀型スキル、就業能力(employable skills)、学士力等と、目的による差異があるものの共通の内容をもっている。

たとえば、OECDの「能力の定義と選択」(DeSeCo)プロジェクト(1997-2002)が提起した「キー・コンピテンシー」においては、個人が思慮深く(reflectiveness)考え、行動することの必要性が重視されている。これには、変化に対応する力、経験から学ぶ力、批判的な立場で考え、行動する力が含まれている。さらに、ATC21s(Assessment & Teaching of 21st Century Skills)が提唱した「21世紀型スキル」の4カテゴリーのスキルの一つである「思考の方法」においては、批判的思考が、問題解決・意思決定、創造性、学習方略・メタ認知とともにあげられている (楠見,2018a)。

とくに、学士力は、大学学部教育において、専攻分野にかかわらず、習得すべき内容として提唱された汎用的能力である。(a)知識・理解、(b)汎用的スキル(批判的思考力、論理的思考力、コミュニケーションスキル、情報リテラシーなど)、(c)態度・志向性、(d)統合的な学習経験と創造的思考力―の4つが挙げられている(中央教育審議会, 2008)。批判的思考は、汎用的スキルの中核となり、(a)(c)(d)にも関わる。批判的思考は、論理的思考力、問題解決力などとともに重視されている。さらに、経済産業省(2007)は「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」である社会人基礎力として、三つの能力(考え抜く力、前に踏み出す力、チームで働く力)を挙げている。この中で考え抜く力には、課題発見力、計画力、創造力を挙げている。これらは、学士力と重なる部分があるが、より実践的な課題解決に重点が置かれている。働く人が批判的思考態度をもつことは、仕事の経験を振り返って、経験から学ぶことを促進する。それは、熟達者になるための土台になっている(楠見, 2020)。

日本の小学校から高校への導入

批判的思考に関する国内の研究は、1970年代に言語技術教育の井上(1977)による実践と、井上が教育心理学者の久原、波多野と共同で進めた批判的思考能力尺度の日本版の開発(井上・久原・波多野,1983)に始まる。その後、批判的思考教育は、論理的思考、メディアリテラシー、ディベートを活用した授業などで取り上げられてきた。

さらに、2000年以降は、先に述べた OECD の「キー・コンピテンシー」や「21世紀型スキル」など汎用的能力育成を重視する世界的な教育改革の動向のなかで、日本においても、2020年度より小学校から順次実施されている新学習指導要領においても、思考力、表現力、判断力などの汎用的能力育成が重視されている(楠見,2018a)。

こうした流れの中で、批判的思考は、教科を越えて、日常生活に活用できる汎用的スキルとして重視されている。たとえば、各教科の学習活動において、情報収集と読解、分析と評価、問題解決と発表といった一連の活動は、前篇で述べた批判的思考の重要な構成要素である。こうした批判的思考のスキルを、全教科で取り入れて全校的に実践する試みもある(たとえば、愛知教育大学附属名古屋中学校,2017)。

また、教科を横断する探究的な学習は、総合的な学習の時間の中で盛んに行われるようになってきている。スーパーサイエンスハイスクールなどの指定を受けた高等学校では、3年間のカリキュラムにおいて、批判的思考や探究のスキルを指導した上で、個人あるいはグループで、探究的な学習を進める実践が行われている。そこでは、探究的な学習スキルとともに批判的思考の態度とスキルが向上することが見出されている(Kusumi,2019)。

市民リテラシーからグローバルリテラシーへ

市民リテラシー(civil literacy) とは、市民生活に必要な情報を読み取り、適切な行動をしたり、発信するためのコミュニケーション能力である。市民リテラシーは、メディアリテラシーによる情報獲得や発信に支えられた市民生活に関わる多くの分野の知識に基づくコミュニケーション能力である。これらは、科学、法律、リスク、健康、金融などの、市民が関わる様々な領域のリテラシーの総体であり、批判的思考が土台にある。

市民リテラシーをもつ市民とは、批判的思考能力と態度をもち、メディアリテラシーによって、生活に必要な情報を正しく読みとり、人に正確に伝え、考えの違う人の意見に耳を傾けつつ適切に行動する人である。そして、責任感をもって、自律的に社会に関わり、倫理的・道徳的判断をおこない、社会的問題を解決する。これは、市民性(citizenship)の基盤である(楠見,2016,2018b)。市民リテラシーは、高校までの教育や大学教養教育、読書をはじめ様々なメディアを通して、学習するとともに、生活や職業において積み重ねた経験や学習によって獲得される。

こうした市民リテラシーに加えて、2030年の市民に必要とされるのが能力として、OECD(2018)が提唱しているのが、世界市民として生きるためのグローバル・コンピテンスである。
グローバルコンピテンスとは、グローバルで文化横断的な問題について、批判的、複眼的に分析し、様々な差異が、人の知覚、判断、自他の概念にいかに影響するのかを理解し、他者への尊重を土台として、異なる背景をもつ他者との間に、オープンで適切で効果的な相互作用をもつことのできる能力である。第一は、グローバルコンピテンスを支える構成要素は、世界や他の文化についての知識であり、間違った情報やステレオタイプに左右されないためのものである。第二は、世界を理解し行動するための、批判的分析、異なる視点を理解するなどの認知的スキルである。そして、適切で柔軟で効果的なコミュニケーションをするためのスキルである。これらは、批判的思考やメディアリテラシーが基盤にあると考えられる。


参考・引用文献

·愛知教育大学附属名古屋中学校(2017).意識的に吟味した考えを表現することができる子どもの育成:批判的思考を用いた授業の創造(3年次)愛知教育大学附属名古屋中学校紀要,37
·中央教育審議会 (2008). 学士課程教育の構築に向けて 文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/ shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1217067.htm (2021.5.3)
·樋口直宏(2013). 批判的思考指導の理論と実践:アメリカにおける思考技能指導の方法と日本の総合学習への適用 学文社
·井上尚美(1977). 言語論理教育への道:国語科における思考 文化開発社
·井上尚美・久原恵子・波多野誼余夫 (1983). 批判的思考力とその測定 読書科学,27,131-142.
·経済産業省(2007). 社会人基礎力 経済産業省 http://www.meti.go.jp/policy/kisoryoku/index.htm (2021.4.24)
·楠見 孝(2016).市民のための批判的思考力と市民リテラシーの育成 楠見 孝・道田泰司 (編) 批判的思考と市民リテラシー:教育,メディア,社会を変える21世紀型スキル 誠信書房.
·楠見 孝 (2018a). 学力と汎用的能力の育成 楠見 孝 (編) 教育心理学(教職教養講座 第8巻) 協同出版.
·楠見 孝 (2018b).リテラシーを支える批判的思考:読書科学への示唆 読書科学 60(3) 129-137
·楠見 孝 (2018c).批判的思考への認知科学からのアプローチ 認知科学, 25(4), 461-474
·Kusumi, T. (2019). Cultivation of a critical thinking disposition and inquiry skills among high school students. In E. Manalo (ed.) Deeper Learning, Dialogic Learning, and Critical Thinking:Research-based Strategies for the Classroom. (pp.299-320) Routledge
·楠見 孝 (2020).熟達したホワイトカラーの実践的スキルとその継承における課題 日本労働研究雑誌,62(11),85-98.
·楠見 孝・平山るみ・嘉志摩佳久(2014).リスクコミュニケーションにおける対立情報回避:放射能・食品リスクに関する情報源信頼性とリスク認知 日本心理学会第78回大会発表論文集,1EV-1.
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·鈴木健・大井恭子・竹前文夫 (編). (2006). クリティカル・シンキングと教育: 日本の教育を再構築する. 世界思想社
·田中克己・楠見孝(2018) .情報信頼性 田中克己(編) 情報デザイン (京都大学デザインスクール・テキストシリーズ) 共立出版