トランプ時代のメディアリテラシー~ルネ・ホッブス教授インタビュー(後篇)

2020.11.26
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アメリカのメディアリテラシー教育を牽引してきたルネ・ホッブス教授のオンライン・インタビュー。
前篇 に続き、後編では、自分でメディアメッセージを創る意義や、トランプ政権下でのメディアリテラシーの課題、ホッブス教授の近著のポイントなどについて聞きました。(構成:宮崎洋子、山𦚰岳志)

ルネ・ホッブス(Renee Hobbs)
ロードアイランド大学教授。同大学でメディアリテラシー教育の普及や調査を行っているMedia Education Lab創設者で現ディレクター。ミシガン大学コミュニケーション修士課程修了、ハーバード大学教育大学院博士課程修了(教育博士)。著書は、『デジタル時代のメディア・リテラシー教育 中高生の日常のメディアと授業の融合』(東京学芸大学出版会, 2015)など多数。

ルネ・ホッブス教授インタビュー(前篇)はこちら

問題解決型学習(PBL)とメディアリテラシー教育

― 哲学者のジョン・デューイの思想がメディアリテラシーに及ぼした影響について聞きたいと思います。問題解決型学習(Project Based Learning:PBL)は、「学校は小社会」だと見たジョン・デューイの思想から発展してきたと理解しています。

このテーマをもとに「学ぶために創ろう:デジタルリテラシー入門(Create to Learn: Introduction to Digital Literacy)」を執筆しています。PBLが、メディアリテラシー教育でもっと活用された方がいいと感じたからです。以前よりもPBLが、我々の文化に広く浸透しているのを嬉しく思っています。

今では、科学、経済など様々な分野で、多くの先生が学生に知識を伝える手段として、スライドショーやポッドキャスト、ビデオなどを創ってみるよう促しています。
メディアメッセージを創るには、学生がコンテンツに関心を持ち、メディアの特性を学ぶ必要があります。
また、それを他の人と共有することが大切で、その点で、(経験主義に立つ)デューイは正しかったと思います。創作物は学習の証拠でもあり、結果的に、評価対象の一形態ともなります。

最近の問題としては、プラットフォーム事業者が提供しているテンプレートを使えば、学生が5分程度で、音楽もアニメーションも入った素晴らしい作品が作れてしまい、そうした手法があることを、先生が知らないことですね。
ですから、我々は、先生が、成果のあるべき姿を強調しすぎることなく、成果に至る過程をしっかり見るよう、アドバイスしています。

― あなた自身は、ジョン・デューイを尊敬していますか?

もちろんです。ほとんどのアメリカの教育者は、ジョン・デューイのコンストラクティビズム(構成主義)の考え方に影響を受けていると思います。教育はただ知識を伝達するものではない、生徒たちを単に情報に浸らせれば良いわけではない、生徒たちは、自らの経験をもとに、自分の考えを構築していなければならない、という考え方です。

プロパガンダは悪いとは限らない

― 10月に出版されたばかりの「Mind Over Media : Propaganda Education for a Digital Age」では、最近よく話題になる「フェイクニュース」ではなく「プロパガンダ(宣伝活動)」に焦点を当てていますね。

2007年、ワシントンにあるホロコースト博物館から、相談を受けました。過去のナチスのプロパガンダが現代にも通ずるということを、訪れる観光客に対して、どう示したらよいか、という相談でした。以来、20世紀に、プロパガンダという用語がどう使われてきたか、今日どのように理解されているかについて考え続けてきました。

政府や公的団体も、例えば、「飲んだら乗るな」「運転するときには、スマホを使うな」というように、人々への啓発メッセージを出していますが、これはプロパガンダですよね。

このように良いプロパガンダもありますが、(政府の)プロパガンダが邪悪なことに使われることもあります。

プロパガンダは、社会的権力を使って人々の感情を揺り動かし、価値観に訴え、情報を単純化し、敵を攻撃することで影響を与えるというもので、フェイクニュースとは大きく違います。プロパガンダは、使い方によっては、破壊的かつ恐怖を招く方向にいってしまいますが、逆に啓発的で社会に必要なことを伝える手法にもなります。

「フェイクニュース」という言葉は使わない

― トランプ大統領の不正確なツイートはフェイクニュースだと思いますか?

私たちはフェイクニュースという用語そのものが問題だと思っています。
1990年代、フェイクニュースとは、「デイリー・ショー」などのコメディー・ジャーナリズムを称して、使われる言葉でした。
2016年の大統領選挙で、トランプ氏がフェイクニュースという言葉を使い出しましたが、彼がフェイクニュースとして称しているのは、偽情報や誤情報ではなく、彼にとって都合の悪い情報全てです。
この国では歴史的経緯もあって、社会的分断はもともとありました。
しかし、トランプ氏は、彼に批判的な情報を「フェイクニュース」とひとまとめにしてしまったために、社会的分断は、これまでとは全く別次元のレベルまで悪化しました。メディアリテラシーの教育者たちは皆、「フェイクニュース」という言葉を決して用いないと誓っています。トランプ氏が「フェイクニュース」を、役立たずの言葉にしてしまったのです。

― トランプ大統領の出現はメディアリテラシーにどのような影響をもたらしましたか?

正直言って、授業はやりにくくなっています。
今まで教師が授業で(リベラル的な)New York Timesの記事やCNN、(保守的な)Fox Newsのクリップを使うことに何の問題もなかったのですが、今では、どこの記事やクリップを使ったかによって保護者たちを怒らせるおそれが出てきました。
教師の中には、新聞やクリップの使用を諦めてしまっている例もあります。
トランプ大統領が、アメリカ国民に、メディアには味方と敵があるという意識を植えつけてしまったのです。

多様性のある社会が二極化する中で、メディアリテラシーを教えるのは少し難しくなっています。トランプ時代にニュースについて教えるのは難しいです。

― 保守・リベラル両方のメディアの記事を使うというのは解決策になりますか?他に解決方法は何か考えられますか?

まさにその点について「Mind over Media」で正面から取り上げています。
ある社会科の教師が、「先生は授業で質の高いコンテンツしか使ってはいけないと思い込んでいるが、これは間違っている。いいコンテンツしか見たことなければ、どうやって玉石混交の情報が満ちあふれる世界で、情報を見分けられるのでしょうか?」と鋭い指摘をしました。
その教師は、今年、授業に様々な情報を持ち込むことを試しています。いいものからも学べるけど、悪いものからも学べると。

例えば、歴史的事件など、あるテーマを決めて、生徒にいいコンテンツを5つ、悪いコンテンツを5つ、インターネットから探すという課題を出します。
それを生徒が一番いいものから悪いものまで順位をつけて発表し、どうしてその順位にしたかを説明します。それに対して、教師は、URLに気がついた? どこからの情報? 作者は? 日付は? 情報源は? など、質問するという授業です。

この授業は、生徒がいかがわしい情報を恐れるのではなく、それに対して批判的に考える力を養います。情報が検閲されない民主的社会では、どんなものからでも人々は学べるという思想に立っています。
ジョン・ミルトン(イギリスの詩人)も、悪いアイディアによって思考をかき回されることで学びにつながることがある、と言っています。

いいコンテンツにこだわらず、様々なコンテンツを授業に取り入れることは、社会科の教師のパラダイム転換をもたらすほどの強力な考え方になりえると思います。
授業を実社会とつなげることで、生徒が自分自身で考える力を養っていける機会となるのです。

― 来年1月出版予定の、『Media Literacy In Action: Questioning the Media』の眼目はなんでしょうか?

1980年代に私が仕事を始めたとき、まだ「メディアリテラシー」という言葉は使われていませんでしたが、この本では、その頃からある、最も古典的な「メディアリテラシー」についての概念を扱っています。
それは、あなたが見たこと、読んだことについて、クリティカル(批判的)な質問をする、ということなのです。
当時、私は、「良い質問をする」ということが、子供たちの知的な好奇心を伸ばし、生涯にわたって学び続けるために、最も必要なスキルだと説明していました。
多くの子供たちは、学校を卒業すると、二度と学ぼうとしません。それは教育者たちが、学びをひどいものにして、子供たちが学ぶことを嫌いになってしまったためです。
質問の質を良くすることが、学んでいく上で、とても大事なことなのです。
この本は14章あります。各章が「ソーシャルメディアは無料なの?」「PRと広告とプロパガンダは何が違うの?」などの質問によって構成されています。シンプルな質問ですが、私がメディアリテラシー教育において重要と考える質問です。

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