多くの人は、科学的な問題で人々が共通理解にたどり着かないのは「一般の人の知識が足りないから」と思うのでないだろうか。筆者もかつて、そうだった。ところが筆者が取材した米国では逆に、地球温暖化など様々な事象について、「知識が増えると二極化が進む」場面が多く見られた。
知識の量だけでは確保できない、人々を合理的な結論に導く科学リテラシーと、その普及への道筋とは。前後篇に分け、考える。
冒頭の写真:トランプ政権の科学政策に危機感を強めた科学者たちが集まったデモ行進(2017年4月、ワシントン)=三井誠撮影
三井 誠
読売新聞東京本社英字新聞部次長
1994年、京都大学理学部卒業。読売新聞東京本社に入社後、科学部で生命科学や環境問題、科学技術政策などの取材を担当。2013~14年、米カリフォルニア大学バークレー校ジャーナリズム大学院客員研究員(フルブライト奨学生)。15~18年、米ワシントン特派員として大統領選挙や科学コミュニケーションなどを取材した。米国の科学不信の状況などをまとめた近著『ルポ 人は科学が苦手』(光文社新書)で「科学ジャーナリスト賞2020」を受賞。2020年から慶應義塾大学大学院理工学研究科非常勤講師、21年から日本科学技術ジャーナリスト会議理事も務める。
コロナ禍と科学リテラシー
新型コロナウイルスとの闘いは、感染力の強い変異型の出現もあり、収束が見通せない状況が続いている。医学研究が進んだ現代にあって、かつてないスピードでワクチン開発は進んだが、人口密度が高い都市生活、容易に国境を超える人々の動きが、ウイルス制圧を阻む要因になっている。
さらに、もう一つの要因として、人々が科学的な知識を活用しきれていない側面がある。科学的な知識や考え方を使いこなす「科学リテラシー」が浸透しないことが、感染拡大を阻止できない要因として浮かび上がる。
「ビル・ゲイツがワクチンを市民に強制するために、ウイルスを開発した」
「市販されているマスクのワイヤーには、5Gアンテナが仕組まれている」
こうした陰謀論が広がり、ワクチン接種やマスク着用が徹底されない一因になっている。英国では昨年、5Gが感染拡大の原因だとして、電波塔が破壊される事件もあった。
世界保健機関(WHO)は、ホームページで次のような当たり前のことを書かざるを得ない状況になっている。
Viruses cannot travel on radio waves/mobile networks.
(ウイルスは、電波や携帯回線では広がらない)
COVID-19 is spreading in many countries that do not have 5G mobile networks.
(新型コロナウイルスは、5G携帯ネットワークがない、多くの国々でも広がっている)
陰謀論ほど極端でなくても、ワクチンで「不妊になる」「高い割合で流産する」など専門家が否定する情報が日本でもSNSで拡散している。新たに開発されたワクチンであり、新規の技術に対する不安が高まるのは人々の自然な気持ちともいえる。だが、ワクチンの接種が滞れば、感染拡大を抑え込むのは難しい。日本産科婦人科学会などは8月14日、「妊婦は時期を問わずワクチンを接種することを勧める」とする文書を公表し、接種を呼びかけている。
科学リテラシーは、科学的な知識を持つことだけではない。地球温暖化のような環境問題や、新型コロナウイルスのような感染症など、科学的な評価も踏まえた対応が求められたときに、専門家任せにせずに、問題解決に向けた議論に参加できる素養を身に付けることだ。そのためには、科学とはどのような活動なのかを理解し、科学的な成果が生み出される過程、さらには科学が持つ限界などにも理解が必要だ。
例えば、実験や観察のデータをもとに示される科学的な成果は一時的に認められたとしても、その後、より精緻な実験手法や新たな観測結果が出てくれば、否定され、更新されていく。科学の知見は常に暫定的であり、書き換えられていくものである。こうした性質は「作動中の科学(Science in Making)」と呼ばれる。科学は、「確実で客観的な100%の事実」を提供することはできず、グレーな仮説を「できるだけ白に近づけていく」という過程ともいえる。「100%の事実」「完全な証明」などの言葉があれば、それはニセ科学か陰謀論ではないかと疑ったほうがいい。
科学の営みを理解することは、コロナ禍でお互いを理解するための手掛かりにもなる。ここでは、「100%の安全性が証明されていないワクチンは打ちたくない」という意見を考えてみたい。科学が「作動中」である限り、「100%の安全が証明されてない」のは科学そのものが持つ限界であり、「100%の安全」は永遠に得られない。1億回打って安全だったとしても、1億1回目に問題が起きうる可能性を完全に否定することはできない。議論をするなら、「現状ではどこまで安全性が示されているのか」「ワクチンを打たない場合のリスクはどれだけ大きいのか」といった視点で話すほうが、実りがあるだろう。
科学リテラシーとは?
科学を巡る理解を深める科学リテラシーは、メディアリテラシーやリスクリテラシーなど様々な分野のリテラシーが研究されるなかでも、議論の歴史が古く、最も研究が進められている領域といえる。専門用語が多いことなどから科学的な研究の過程や成果の理解が難しく、その一方で、成果が社会に及ぼす影響が大きいことが背景にある。
科学技術は20世紀に入ると、医学・農業・経済分野、さらには兵器開発など社会に広範な影響を与えはじめた。科学技術が影響力を持つ社会で、民主的な意思決定に参画していくために、科学的な知識や考え方が必要とされるようになった。米国の哲学者デューイは20世紀初めから、こうした重要性を先駆的に指摘した。
全米科学・工学・医学アカデミーが2016年にまとめた報告書によると、科学リテラシーという言葉そのものが一般的に使われるようになったのは、1958年に遡る。この年、複数の研究者が、科学リテラシーとの言葉を使って、科学の理解を深める重要性を論文で発表した。このうち、生物学教師から科学教育の研究者に転じたP.D.ハードは、科学リテラシーの必要性を次のように記している。
「今の時代、社会、経済、そして政治的な問題を理解しようとするときに、近代科学を考慮しないことは、非現実的だ」
現代にも通じる考え方だ。1950年代後半に、科学教育への関心が米国で高まったのは、科学技術の発展が引き起こした政治的あるいは道義的な問題のほか、旧ソ連が1957年に人類初の人工衛星スプートニクを打ち上げ、米国で科学研究の出遅れに危機感が高まったことも一因とされる。ここからは、国力増強のために科学の知識を活用していこうとする側面も垣間見える。
全米科学・工学・医学アカデミーの報告書では科学リテラシーの定義や社会への活かし方も掘り下げて解説している。様々な研究者や研究機関による定義が紹介されているが、科学リテラシーに必要な能力としては、OECDのまとめから引用して、次の3点を挙げている。
・現象を科学的に説明する…様々な自然現象や技術について適切に認識し、説明を評価できる。
・科学的な調査を計画し評価できる…科学的な調査を正しく評価し、疑問を科学的に処理する手法を提案する。
・データや証拠を科学的に解釈する…示されたデータや主張、議論について分析し、評価を行い、適切な科学的結論を導きだす。
これらすべてができれば、まさに科学者ではないかと思ってしまうが、こうした視点を持って、社会のなかで起きる科学的な問題に向き合うことが大事なのだろう。
全米科学・工学・医学アカデミーの報告書では、専門家同士の査読(ピア・レビュー)で科学的な評価が導かれることや、研究資金の提供元や研究者の立場によって研究成果に利害の衝突が起きうることなど、社会のなかで行われている科学研究のあり方を理解する必要性も指摘している。そのうえで、こうした科学リテラシーが個人レベルだけでなく、コミュニティーのレベルでも浸透することで、科学的な成果が活かされる社会になると提案している。
「政治の色」に染まる科学リテラシー
世界的な研究組織も含め、あるべき姿が活発に議論されてきた科学リテラシーだが、社会には浸透しているのだろうか。現実に目を向けると、研究者が示す理想との乖離が見えてくる。
例えば民主党と共和党による二大政党制が根付く米国では、科学的に評価すべき問題であっても、政治的な信条に基づいて評価されることが、実際にある。重視されているのは、科学リテラシーよりも政治なのだ。科学リテラシーを浸透させるには、人々が何を基準にして判断しているのかを理解する必要がある。
ここでは、コロナ禍で顕在化した科学リテラシーと政治の関係をまず、見てみよう。米疾病対策センター(CDC)がまとめた、州ごとの人口10万人あたりのワクチン接種回数(8月16日時点、下図の左)と、米ギャラップ社の世論調査(2018年、下図の右)で示された州ごとの政治的な姿勢を比べてみると、驚くほど傾向が一致していることがわかる。米国では西海岸や東海岸北部の都市部に民主党支持者が集まり、中西部に共和党支持者が集まるという、住む地域による政治的な二極化が進んでいるが、ワクチンの接種率が、この二極化の傾向に重なっている。文字通り「政治の色」に染まっている状況だ。
健康福祉関連の調査をする民間の非営利団体Kaiser Family Foundationの今年7月の調査によると、少なくても1回のワクチン接種を終えたと答えた人の割合は、民主党支持者で86%に上ったが、共和党支持者では54%にとどまった。「絶対受けたくない」と答えた人は、民主党支持者で5%に対し、共和党支持者では20%に上った。共和党支持者に、個人の自由をより重視して政府からの要請に反発する傾向や、後ほど説明する科学全体への不信感があることなどが背景にあると見られる。
マスクに関しても、公共交通機関でのマスク着用について、「いつも」と答えたのは民主党支持者49%で、共和党支持者は21%にとどまった。「決してしない」としたのは民主党支持者5%で、共和党支持者は28%だった。マスク着用では、トランプ前大統領が「(マスク着用は)任意だ。私はつけないことを選ぶ」「(屋外でマスクをするバイデン氏について)かなり異常だ」などと発言し、問題がさらに党派性を帯びることになった。
「知識が増えると考え方が極端になる」
政治信条が物事を決める基準になり、科学リテラシーが後景に退いてしまう。筆者はそうした場面にこれまで何度も出くわした。2015年夏から3年余り、米国の首都ワシントンで科学記者として米国社会を直接、取材したときの経験だ。
特に際立ったのが、地球温暖化を巡る受け止めだった。米ギャラップ社の2018年3月の世論調査で「地球温暖化は人間活動が原因なのか、それとも自然変動の結果なのか」を聞いた質問では、64%が「人間活動が原因」と答えた。支持政党別に見ると、共和党支持者では35%にとどまり、民主党支持者では89%に上った。温暖化対策の内容や優先度は政治がからむ問題だが、人間活動が原因かどうかは純粋に科学的に評価されるべき問題だろう。しかし、その答えは、ここでも「政治の色」に染まる。
さらに深刻な問題になるのが、こうした政治的な二極化が、学歴の高い人ほど、あるいは知識が豊富な人ほど、極端になることだ。
米ギャラップ社が2010~15年、全米の6000人以上にインタビューして、温暖化に対する考え方と学歴との関係を調べた(図1-1)。「地球温暖化は自然変動によるものだ」と回答した人の割合を比べると、高校卒業までの人の場合は、民主党支持者では35%に対し、共和党支持者では54%と、差は19ポイントだった。一方、大学を卒業した人では、民主党支持者の13%に対し、共和党支持者は66%と差が53ポイントにまで広がった。
「人は自分の主義や考え方に一致する知識を吸収する傾向があるので、知識が増えると考え方が極端になる」と米エール大学のダン・カハン教授(心理学)は指摘する。
カハン教授が2015年に発表した論文*は、学歴ではなく、科学的な知識と温暖化に対する考え方に迫っている(図1-2)。「化石燃料を燃やすなどの人間活動が、最近の地球温暖化の主な原因であることを示す十分な証拠はあるか」と質問し、回答者の支持政党や科学的な知識との関係を調べた。
結果は意外だった。科学的な知識が少ない場合は支持政党による違いはないのに、知識が増えるほど、支持政党の違いに応じた考え方の違いが大きくなったのだ。
科学的な知識は、「すべての放射性物質は人為的なものか」(答え:No)、「地球大気の成分で最も多い気体は何か」(答え:窒素)といった基礎知識に関する質問や、「100人のうち20人が病気になるとすると、病気になる確率は何%か」(答え:20%)といった数学的な質問から判断している。
カハン教授は、科学的な知識ではなく、地球温暖化にしぼった知識でも同様の調査をしている。科学的な知識ほど極端ではなかったが、温暖化の知識であっても、知識が増えると二極化が進むことが裏付けられた。
科学的な問題で人々が共通理解にたどり着かないのは、「一般の人の知識が足りないから」とかつては、素朴にとらえられていた。こうした考え方は「欠如モデル」と呼ばれる。しかし、地球温暖化の例のように、知識が解決をもたらすのではなく、二極化をもたらす場合がある。問われているのは、知識の有無ではなく、その人の考え方の背景に何があるのか、だ。
だからこそ、科学リテラシーでも、知識だけでなく、科学的な考え方が重視されている。
後篇では共和党支持者の科学不信の背景、そして科学リテラシー普及への道のりについて考える。
分断が進む米国に見る科学リテラシー普及への道筋(後篇)はこちら
* Kahan, Dan(2015). “Climate-Science Communication and the Measurement Problem”, Advances in Political Psychology, 36(S1), pp. 1-43.
※本稿では、拙著『ルポ 人は科学が苦手』(光文社新書)の一部を抜粋し、内容に含めています。