本稿では、<上>に引き続き、メディアリテラシーを身につけるポイントや、当研究所がこれまで行ってきたリテラシー教育の取り組みをお伝えしつつ、リテラシー教育と民主主義との関係について考えてみたいと思います。
山脇岳志
スマートニュース メディア研究所 所長
兵庫県出身。京都大学法学部卒。朝日新聞社で、経済部記者、論説委員、GLOBE編集長、編集委員などを務めた。アメリカには2回赴任(ワシントン特派員、アメリカ総局長)、欧州には、オックスフォード大学客員研究員、ベルリン自由大学上席研究員として滞在した。2020年、スマートニュース メディア研究所の研究主幹に就任、22年から所長。メディア情報リテラシー教育を研究・実践しているほか、世論調査の企画・運営にも携わっている。著書に「SNS時代のメディアリテラシー」(筑摩書房)など。
ポイント3 メディアリテラシーの中核、クリティカルシンキング
<上>において、研究所が実施している研修や授業で、重点的に伝えているメディアリテラシーの3つのポイントのうち2つまでご説明しました。最後のポイントは、物事を複眼的にとらえる「クリティカルシンキング」であり、ここが最も大切だと考えます。
そもそも、クリティカルシンキングとは何なのでしょうか?これも、メディアリテラシーと同様に定義が「乱立」していますので、整理する必要があると考え、テキストブック「メディアリテラシー」(時事通信社)では、この分野の専門家である京都大学の楠見孝教授にも執筆いただきました。
内外の研究を踏まえた楠見教授の「クリティカルシンキング」の定義は、下の3つです。
①自分の思考過程を意識的に吟味する内省的(リフレクティブ)で熟慮的思考
②証拠に基づく論理的で偏りのない思考
③より良い思考を行うために、目標や文脈に応じて実行される目標指向的な思考
クリティカルシンキングの訳語としては、「批判的思考力」という日本語が定着しているのですが、上記の定義をみてもわかるように、人を「批判」することがクリティカルシンキングではありません。むしろ「自分の意見はこれで正しいのだろうか」と「内省」することが、クリティカルシンキングの本質です。じっくり考えた結果、相手の意見を肯定することも、クリティカルシンキングです。
その本質を省みると、そもそも「批判的思考」という訳語がミスリーディングであると考え、「メディアリテラシー」(時事通信社)のサブタイトルは「吟味思考(クリティカルシンキング)を育む」とし、クリティカルシンキングの訳語に「吟味思考」という言葉をあてました。(詳しくは、詳しくは、こちらの記事をご高覧ください)
楠見教授は、さらに、「クリティカルシンキングに基づく行動」として以下のような例を挙げています。
①相手の発言に耳を傾け、考えや論拠、感情を的確に理解する
②立ち止まって考える。賛否両方の立場からじっくり考え、評価する
③証拠に基づいて、前提や理由を系統立てて、相手に説明する
④目的、状況、相手の感情、文化、価値観を考慮して実行する
私は、「学校現場で『情報リテラシー』の基礎を教える」という記事の中で、下記のように書きました。
明らかな虚偽情報についてはもちろんですが、真偽不明な情報については、いったん立ち止まって考え、人に広めない、つまり「自分のところで止める」というのは一つの「意思ある行為」だと言えると思います。
楠見教授の「クリティカルシンキングに基づく行動」と重なることがわかっていただけると思います。大きな災害など人々が強い不安を感じる際には、真偽がわからない情報が大量に飛び交いがちですが、そこで「いったん立ち止まって考え」、少なくとも怪しい情報を人に広めないことは、クリティカルシンキングに基づく行動であり、同時にメディアリテラシーが高い人の行動ともいえます。
同じ記事の中で、情報の信頼性を評価するためのチェックリスト(「いつ(何時)・ふく(複数の情報源)・えび(エビデンス)・はつ(発信元)・ばい(バイアス)」)をご紹介しましたが、「複数の情報源」を確認したり、「エビデンスが含まれていないか」を考える行為も、そのまま「クリティカルシンキングに基づく行動」と重なります。
クリティカルシンキングを身につけるトレーニング
そんなクリティカルシンキングですが、一朝一夕に身につくものではなく、筋トレのように「練習」を重ねることで、必要な時に使えるようになるものです。
クリティカルシンキングを日常的にトレーニングする方法としては、下記のものがあります。
①立場を変えて考えてみる
②「なぜ?」と常に考えてみる
③目標を実現するために仮説をたて、それを検証する
学校の先生方への研修では、生徒たちに対して①「逆の立場だったら、どう思うだろう?」という声がけを、また②については「どうしてそう思うの?」「なんでだろうね?」と声がけをしてみてください、とお伝えしています。考えの幅を広げるために、意見の違う人との対話も重要です。
クリティカルシンキングのトレーニングについて、さらにご興味がある方は、クリティカルシンキング育成に力を入れている国際基督教大学の生駒夏美教授の論考や、拙著 『SNS時代のメディアリテラシー』をご高覧ください。
また、人間の心理のクセについても、あらかじめ知っておくことが重要です。たとえば、「確証バイアス」といわれるバイアスを、人間はもっています。それは「もともとの自分の信念に合致している情報を重視したり、積極的に集めたりする傾向」を指します。
そして、その裏返しですが、事実であっても、自分の信念に合わない情報については、「虚偽だ」と認定してしまう傾向があります。アメリカの大学の調査では、政治的な知識を多く持つ若者の方が、そうでない若者よりも、そういった傾向があるという興味深い調査結果が出ています。ただ、メディアリテラシー教育を受けた人たちは、自分の信念に反していても事実を事実として受け入れる傾向にありました。
そうした「人間の心理のクセ」をあらかじめ知識として得ておけば、「自分に都合のよい情報ばかり集めていないか」とか、「自分の信念に近いから、虚偽情報なのに虚偽だとわからないのではないか」などと自身を振り返ることができ、虚偽情報や「陰謀論」にはまりにくくなる効果も期待できます。
メディアリテラシー教育は、本当に効果があるのか?
さて、クリティカルシンキングでは、上記のように「証拠(エビデンス)に基づく論理的な思考」が大切なわけですが、その意味で、メディアリテラシー教育は本当に役立つ教育なのだろうか、という疑問を持たれる人もいるかもしれません。私たちも、現場で授業や研修をしていると効果は実感するのですが、日本国内で客観的なエビデンスが見当たらないことが気になっていました。
教育に関心がある方には広く知られていますが、埼玉県戸田市の教育委員会は、戸ヶ﨑勤教育長を先頭に先進的な教育の取り組みを数多く実践し、メディアリテラシー教育にも熱心です。そこで、メディア研究所では、戸田市教育委員会と協力して、メディアリテラシー教育が本当に効果があるのか、実証研究を行いました。(<上>でご紹介した研究所のプロジェクト⑦)
具体的には、メディアリテラシーの授業(7回分)を受ける前と受けたあとで、どのように生徒(小学校5年生)たちが変化するかについて調査したものです。7回のうち5回は、教科等授業(国語、算数、理科、社会、道徳)の内容に沿って、メディアリテラシーのエッセンスを学べる授業を行いました(道徳以外は、実証研究を行った小学校の先生方が授業を実施)。
授業案の作成、クリティカルシンキングなどをはかるテストの作成については、前出の楠見孝教授・京大教授、森本洋介・弘前大学准教授、中村純子・東京学芸大准教授の監修・ご協力をいただきながら、調査しました。すると、リテラシー授業を受けたクラスでは、メディアの知識について増えただけでなく、クリティカルシンキングの力も伸びていたことがわかりました。このことは、いくつかのメディアでも取り上げられました。
文部科学行政とメディアリテラシー
これまで、当研究所が進めてきたメディアリテラシー教育のポイントや背景をお伝えしてきましたが、文部科学省は、リテラシー教育をどのように見ているのでしょうか。
先月、文部科学相は、小中学校の教育指導内容の基本となる学習指導要領の改定を中央教育審議会に諮問しましたが、その中で「メディアリテラシーの育成強化」が検討項目となりました。
前述の「メディアリテラシー」(時事通信社)には、文部科学省で、近年の学習指導要領の改訂に2度かかわった合田哲雄氏(現在は文化庁次長)も交えた対談を収録しています。
合田氏は、以下のように述べています。
「われわれが受け取っているさまざまな情報とかテキストをうのみにしないで、吟味して自分で考えた上で表現する。だけど、自分とは全く違う価値観や考え方の人もいるので、一方的に主張するだけでなく対話を重ねることが大事だという意識を育むこと全体がメディアリテラシー教育であり、そのために学校という社会制度があるのだと言い切ったほうが、私はいいと思うのです」
メディアリテラシーは、現在の学習指導要領の根幹にある「主体的・対話的で深い学び」というコンセプトとも、相性がよいはずです。しかし、日本の教育現場で十分に広がっているようには見えません。
長年、現場でメディアリテラシー教育に取り組んでこられた下村健一氏は、「メディアリテラシー」(時事通信社)のインタビューで、「メディアリテラシーの授業は、教育の主軸であるべきなのに、未だ場末に置かれたままだと感じます」と答えています。
なぜ日本の教育界に広がらないのか
なぜ広がらないのでしょうか。一つにはまだまだ、中学・高校・大学受験というプレッシャーもあって、授業やテストが暗記型であったり、教科書をもとに「生徒に正解を教える」タイプの授業が多かったりするためだと思われます。
メディアリテラシーの授業は、先生と生徒が「正解のない問い」を一緒に考えていくタイプの授業になることが多いです。実社会に出ると「正解のない問い」に直面することは多いので、予行演習としても有用なのですが、確かに教科書にもとづく授業よりは難易度が高い面があります。このため、先生たちにとって使いやすいリテラシー教材や、参考にしやすい「授業例」「授業案」を増やすことが喫緊の課題なのではないかと思います。
また、学校の先生が忙しい中、ただでさえ「主権者教育」「プログラミング教育」といった「○○教育」が多いので新たな教育は入れられない、という意見も聞きます。これについては誤解があると思います。メディアリテラシー教育は、どの教科・科目においても取り入れられるものです。実際に、戸田市と連携した実証研究では、国語、算数、理科、社会、道徳の教科でメディアリテラシー教育授業を実施をしました。特別なタイプの授業とはとらえず、ふだんの教科の中でうまく取り入れていただきたいと思います。
<上>で、長野県教委、新潟県教委での研修の話を記しましたが、そのように積極的な県は例外的です。さまざまな県の教育長や教育委員会幹部の方にお会いして、メディアリテラシー教育についてお話していますが、関心をもたれないケースも多いと感じます。
むしろ、当研究所への問い合わせ状況をみると、兵庫県知事選などを受けて、企業やメディアなど含め社会人の方々の関心が高まっている印象を受けます。ソーシャルメディアとの向き合い方を含め、社会人にとっても、メディアリテラシー・情報リテラシーの重要性が増しているのは間違いありません。
民主主義とメディアリテラシー
最後に、メディアリテラシーと民主主義との関係について触れたいと思います。
メディアリテラシーは、民主主義ではない国、つまり独裁的な国家や共産主義国などで政府が国民に期待するスキルでしょうか?
答えは「いいえ」でしょう。そうした国では、メディアやジャーナリストの自由な活動が認められていないケースが多く、あるのは独裁者や政府にとって都合のよいプロパガンダ(政治宣伝)を流す国営メディアだけだったりします。また、ソーシャルメディアについても個人が政府批判をするような投稿が制限されたりしています。
メディアリテラシーのポイント②で解説した「すべての情報は再構成されている」という意識には、「国が流す情報も、国が都合よく改変しているのではないか」という懐疑も含まれます。国営放送などで国民に与 える情報を一方向に制限している国にとっては、国民がそうした「健全な懐疑心」をもつことは、邪魔になります。独裁者や権威主義国家のリーダーは、国民を一方的に洗脳することを望みます。
イギリスやカナダなどのメディアリテラシー教育の先駆者は、リテラシー教育に「民主主義の仕組みを守り、強化する」という役割を期待していました。子どもたちに、テレビや新聞といったマスメディアの特徴や商業性を理解させたり、大きな力をもつメディアと政府が一体になったときの危険性を知らせたりすることで、民主主義国が全体主義に陥らないようにする。いわば病気を防ぐ「予防接種」のような役割を担ってもらおうとしたのです
ソーシャルメディア時代になって、問題はさらに複雑になっています。アルゴリズムによるフィルターバブルの問題については<上>で触れましたが、個人情報が集積しているプラットフォーマーが政府と一体となったとき、監視社会の危険性は高くなります。その意味で「民主主義を守る」というメディアリテラシーの役割は、さらに重要性を増しているといえます。
私たち一人一人ができることは、国(政府)の発表もメディアの報道も、有名人や友達の言うことも鵜呑みにはせず、それぞれの情報の正確さやバイアスを意識しながら、クリティカルシンキングするスキルを身につけることだと思います。ただ、いつもクリティカルシンキングをすると疲れてしまうので、「なんだか変だな」とか「ちょっと気になるな」という情報に出会ったときや、「ここぞ」という大事な局面で意識して働かせるようにすればよいと考えます。
アメリカでは、メディアリテラシー教育はやりにくくなっている
ところで、「アメリカでもメディアリテラシー教育はやっているはずなのに、あれだけ虚偽ニュースが広がり、分断が進んだのはなぜか」と聞かれることがあります。それに対する答えは「メディアリテラシー教育は、じわじわと体質改善する漢方薬のようなものであって、病気の原因に働きかけて劇的に根治できるような薬ではない」ということになるかと思います。
メディアリテラシーの根幹であるクリティカルシンキングは一朝一夕では身につきませんし、メディアリテラシー教育が学校や社会に浸透していくのにも時間がかかります。特に、アメリカのように「感情的分極化」があまりにも激しくなってしまった場合、メディアリテラシー教育はやりにくくなってしまいます。
アメリカのリテラシーの研究や実践に詳しいロードアイランド大のルネ・ホッブス教授は、前出の本の中でのインタビューにこう答えています。
「正直いって、授業はやりにくくなりました。今まで教師が授業で(リベラル的な)ニューヨーク・タイムズの記事やCNN、(保守的な)Fox Newsのクリップを使うことに何の問題もなかったのですが、今では、どこの記事やクリップを使ったかによって保護者たちを怒らせる恐れが出てきました。教師の中には、新聞やクリップの使用を諦めてしまっている例もあります。トランプ大統領が、アメリカ国民に、メディアには味方と敵があるという意識を植え付けてしまったのです」
「多様性のある社会が二極化する中で、メディアリテラシーを教えるのは少し難しくなっています。トランプ時代にニュースについて教えるのは難しいです」
「分断」が広がる前に
ルネ教授が指摘するように、トランプ氏がメディアには味方と敵があるという意識を植え付けた面は確かにあると思いますが、トランプ氏そのものが「アメリカの分断の原因」とまでは言えないと思います。アメリカ研究者の間では「トランプ氏が分断の原因になったというより、分断の結果としてトランプ氏が大統領になった」という考えが主流です。(分断を加速させたのは間違いないと思いますが)
アメリカの富裕層と貧困層の収入や資産の格差はすさまじく、ジェフ・ベゾス(アマゾン創業者)、ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)、ウォーレン・バフェット(投資家)という3人の富豪の資産を合計すると、アメリカ国民全体の下位50%の資産合計額に匹敵するそうです。グローバリゼーションの影響で製造業は空洞化し、麻薬中毒など絶望的な状況に置かれている人も多くなっています。最近では、インフレの直撃によって、中低所得者層の生活はより厳しくなりました。そして<上>で述べたように、相手の党の支持者を嫌う「感情的分極化」が強まっています。そんな中では、「敵」とみれば徹底的に攻撃するトランプ氏に支持が集まりやすく、昨年の大統領選での返り咲きにも結びついたと思います。
当たり前のことですが、メディアリテラシー教育をいくら行っても、貧富の差は縮小しませんし、インフレもおさまりません。それらの改善には、根本的な原因に働きかける経済・財政政策などが必要です。だからといって、メディアリテラシー教育が全く無力なわけではありません。異なる立場・意見の人の対話を促進させることは、どんな状況でも試みるに値するものだと思います。
ただ、分断が深まる前にリテラシー教育を行うほうが、感情的対立の緩和効果は高いはずです。私たちの研究所が行った世論調査では、幸い、日本ではアメリカほどの直接的な分断はみられませんでした。ただ、アメリカと違った形での分断の萌芽は読み取れますし、最近の選挙でソーシャルメディア上で「敵」「味方」に分かれるような議論が目立つのも気になります。
参考記事:第1回SMPP調査の見取り図(上)、第1回SMPP調査の見取り図(下)
日本でも「感情的分極化」が深まっていくのかどうかは、今後、私どもの世論調査(SMPP調査)でも測定していきますが、まだ「感情的分極化」が広がらないうちにメディアリテラシー教育になるべく多くの人が触れてほしいと思います。そのためにはメディアリテラシー教育に関心を持つ方々が、細かい定義や立場の違いにこだわらず、協力して前に進めてほしいと願うものです。
複雑な世の中の問題を一気に解決できるような魔法の杖は、なかなかありません。それでも「より良い」方策を考え建設的に対話する人が増えることが、健全な民主主義社会の維持のために必要だと思います。当研究所は、今後ともメディアリテラシーの普及活動に微力を傾けていきたいと考えています。
「いまなぜメディアリテラシー教育は必要なのか」の<上>は、こちらから。