知識が情報判断に悪影響を与える!?~ジョセフ・カーン博士インタビュー(上)~

2022.10.12
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政治思想の違いによる分断が進むアメリカでは、SNS上で日々、税制や気候変動など、あらゆる問題を巡り「リベラル派 vs 保守派」の議論が繰り広げられています。しかし、インターネットでは誰もが世界中に発信できるため、どの情報が正しいのか、間違っているのかを判断するのは容易ではありません。

「情報を見極めるためには専門知識をつけるべきだ」と考える人も多いはずです。ところが、米国の研究では、知識が情報判断に悪影響を与えることがある、ということが明らかになりました。

15歳から27歳の若者を対象に調査を実施した研究で知られるジョセフ・カーン教授は、民主主義が健全に機能するには、市民一人一人が正しい情報をもとに、選挙などで判断を下す必要がある、そのカギを握るのはメディアリテラシー教育だと言います。カーン教授にその理由を聞きました。全2回に分けて、インタビューの内容をお伝えします。
(聞き手:在米ジャーナリスト 志村朋哉)

ジョセフ・カーン(Joseph Kahne)
カリフォルニア大学リバーサイド校教育学部教授、市民参画調査グループ共同所長。若者の学習機会が、どのように市民権や政治活動の発展に影響するかを研究している。スタンフォード大学教育大学院博士課程修了。

 

志村朋哉
米カリフォルニア州を拠点に、英語と日本語の両方で記事を書くジャーナリスト。ピューリッツァー受賞歴のある米地方紙などで10年以上働き、現地の調査報道賞を受賞。政治・経済、司法、文化、スポーツなど幅広く米国事情に精通し、ネットやテレビ、ラジオ、雑誌などで、アメリカ人でも知らない「本当のアメリカ」を伝える。現地のジャーナリズムコンテスト審査員も務める。著書『ルポ 大谷翔平』。

政治信条によって、「事実かどうか」の判断が変わる

ーーあなたの2017年の論文『党派中心時代における民主主義教育:動機づけられた推論や誤情報への対抗』では、論争の的になっている問題についての主張の正確性について、若い人がどのように見極めているかを調査しています。その手法を教えていただけますか?

米国の15歳から27歳までの若者にアンケートを行いました。アンケートには、フェイスブックやインスタグラムで見られるような風刺漫画、グラフやグラフィックに短いコメントが添えられた政治的投稿が載っています。

参加者は、6つの投稿のいずれかをランダムに閲覧するよう割り当てられ、投稿の主張が正確かどうかについてを回答します。投稿の中には正確なものもあれば、そうでないものもあります。また、参加者の政治的信条について尋ね、政治に関する知識をどの程度持っているかについても確認しました。それと、メディアリテラシーの教育を受けたことがあるかどうかも聞きました。

調査で使われた投稿

それによって、参加者がどれだけ事実を見極められる力を持っているかだけでなく、政治的な知識や、メディアリテラシー教育の機会、党派的な信条といった要素が、投稿内容の正確性の見極めにどのように影響を与えるかについて調べることができました。

 

ーーどんなことが分かりましたか?

最も重要な発見は、「投稿が事実かどうか」について、参加者の回答を予測する上で最も適していたのは、その投稿内容が示唆する政治的視点が、その参加者の政治的信条に合致しているかどうかという点だったのです。

投稿の内容は税金についてでした。回答者が税金を上げるべきだと考えていて、投稿も税金を上げるべきだと主張していたら、その人は投稿が「正確」だと回答する可能性が高かったのです。たとえ投稿の内容や論拠がとんでもなく不正確だったとしても、です。逆も然りでした。参加者の政治的信条が、投稿の主張と合わなければ、実際の投稿の記述が正確であろうがなかろうが、投稿を「不正確」だと答える傾向にありました。

投稿が事実かどうかは、参加者の回答に、ある程度は影響を与えていました。投稿内容が事実だったり、正確な情報に基づいた主張だったりした場合、参加者が「正確」だと判断するケースは多くはなっていましたが、その相関関係は、参加者の政治信条が投稿の主張に合致しているかどうかに比べて、ずっと弱いものでした。

 メディアリテラシーが情報の見極めに役立つ

ーー私たちが特に興味深く感じたのが、論文の次の箇所です。「特に、政治的知識が豊富な参加者ほど、方向性の動機づけの影響を大きく受けることが分かった。それに、政治的知識が豊富な人が、それ以外の参加者と比べて、不正確な主張をより見抜くことができるということもなかった」。つまり、政治的知識が豊富な人は、証拠を示されても自らの偏見から抜けられなかったということです。なぜですか?

情報が正確かどうかの見極めは、その人の推論によって決まります。推論は、さまざまな要因によって動機づけられています。ある人は、「正確でありたい」という欲求が動機となっているでしょう。人によっては、既に自分が正しいと信じていることや、自身の信条に合致してほしいと望む気持ちに突き動かされます。それを我々は「方向性の動機付け」と呼んでいます。主張の質ではなく、主張の内容が自分にとって好ましいかどうかで投稿を評価するからです。今回の調査によって、主張の質がその人の信条に影響を与えるのではなく、既に確立された信条が主張の質の評価に影響を与える場合が多いことが分かったのです。

そこに政治的知識という要素が加わって、更に分かったことがあります。政治的知識が豊富な人は、その知識を使って主張が正確かどうかを判断する、と普通は思いますよね。でも、それが当てはまるのは、参加者に「正確性の動機付け」、つまり「正確でありたいという欲求」がある場合だけなんです。

しかし、既に真実であると信じている結論に到達したい、自分にとって好ましい政策を推進したい、といった「方向性の動機付け」に動かされている人は、自分の信条を正当化するために知識を使うのです。政治の世界では、頻繁に起きていることだと思います。

知識を得ることが問題の解決手段にならないということは、教育者にとって考えるべき大切なことです。なぜなら、単に政治的な問題について教えることが、必ずしも(生徒たちが)理性的な判断を下すことに繋がらないということを意味するからです。むしろ、その知識を使って、既に信じていることと合致するような結論を得ようとしてしまうのです。

オンラインでインタビューに答えるカーン博士

政治の世界でも起きていることです。だから、極端に党派的な政治は、健全な対話にとって脅威になるのです。「人々が問題を話し合うことで、お互いから学び、理性的な主張に基づいて意見を変えることもある」というのが健全な政治的対話の前提です。

しかし、既に信じていることを正当化するためだけの議論では、議論をする意義は小さい。

では、教育者は何をすべきなのか?

我々の調査は、この問いの答えを見つけようという意図がありました。分かったのは、参加者がメディアリテラシーのトレーニングを受けていた場合、投稿の内容が事実かどうかに基づいて判断する可能性が高かったということです。メディアリテラシー教育が、情報の正確性を見極めることがいかに重要かに目を向けさせてくれました。つまり、メディアリテラシー教育とは、「方向性の動機付け」ではなく、「正確性の動機付け」を促すように設計された教育なのです。

ーー私の理解が正しいかどうか、確認させてください。例えば、政治的知識が豊富な保守派の若者は、知識が少ない保守派の若者よりも、リベラルな内容の投稿を「不正確」と判断する確率が高かったということですか?

そうです。この現象については、いくつも研究があります。政治的知識が役に立たないという調査結果もあれば、悪影響すら及ぼすというものもあります。もちろん個人差はありますが、私たちのものを含めた多くの研究に共通するのは、知識は理性的な判断をするために使われる場合よりも、不正確な発言を正当化したり、正確な発言を否定したりするために使われる場合のほうが多いということです。

これはリベラル、保守両派に当てはまることです。なので、知識の豊富なリベラルな人が保守的な主張を提示されると、その知識を使って正確性を否定しようとする傾向にあります。しかし、自分の信条に合致するリベラルな主張が示されると、そうしません。保守派も同じです。知識が豊富な保守派の人がリベラルな主張を示されたら、知識を使ってそれを否定しようとします。でも、信条に合った主張の場合は、そうしません。

知識がそんなに豊富でない人たちの場合は、提示された主張が自分の信条に合っているかどうかに気づかないこともあります。例えば、政治広告ではよく「皮肉」が用いられます。でも、取り上げられている話題についてよく知らなければ、広告が何を主張しているかを理解するのは困難です。政治に詳しくなければ、政治課題をどうすべきかについて、自分の中で意見が確立されていないかもしれない。強い政治的信条がないので、それに基づいて判断する可能性も低いというわけです。

 民主主義を守るために必要なこと

ーー知識の豊富な人は、間違った判断に行き着くのに使える「材料」を多く持っているということですね。

そうです。自分が信じていることを疑いたくないのです。それが人間というものです。既に強い信条が確立されている場合、それをあえて疑おうとなんてしません。あなたが「保守派は正しく、リベラル派は間違っている」と信じているとします。子供の時から、家族のみんなに「保守派は善で、リベラル派は悪だ」と言われて育ち、夕食の場など、ことあるごとに、その考えを正当化する例ばかり耳にしていたとします。

そんな環境で育った中で、「保守派が間違っている、リベラルが正しい」と受け取れる主張を目にしたらどうなるでしょう。これまでの経験や知識で培われたものとは全く異なる結論なので、あなたは心の中で、「そんなことあり得ない」と思ってしまうでしょう。物心をついてからずっと信じてきたことを疑いたくないので、知識を使って否定しようとするのです。

ーー私自身も、そうしてしまうことが多々あるように思います

それはごく自然なことで、いろいろな形で見られます。私たちの研究ではないのですが、参加者にある問題について主張している論説記事を見せるという調査がありました。ほとんどの人が何の知識もないトピックについてです。記事も調査用に作られたもので、一つのバージョンでは共和党議員が「X」と述べたと紹介しています。その主張の妥当性を参加者に評価してもらいました。

共和党支持の参加者は、同じ記事を読んだ民主党支持の参加者よりも、高い評価を与えました。もう一つのバージョンでは、登場する議員を民主党議員に変えた以外は全く同じ内容の記事で検証しました。すると、今度は民主党支持の参加者が共和党支持の参加者よりも高い評価を与えたのです。

写真提供:UC Riverside School of Education

質の高い議論を行い、人々に色々な課題と向き合ってもらうには、こうしたプロセスについて広く知ってもらい、「慎重であること」「正確であること」に意識的になってもらう必要があると思います。

これを裏付ける研究もあります。参加者に、正確であること、慎重であることの大切さを伝えると、実際に、より正確で、より慎重であろうとしたのです。「この記事の質について判断し、その理由について隣の部屋にいる人々に説明してください」と伝えるだけで、他人に説明する必要がない時に比べて、正確な判断をしやすくなることが分かっています。

教育者がここから学べるのは、メディアリテラシー教育では、人々に対して正確さを大切にするよう促し、その重要性を説いていくべきであるということです。生徒たちが不正確なデータや論理に基づいた主張を目にした時、たとえその結論に賛同できたとしても、間違っていると判断できるようにならなくてはいけません。これは民主主義にとって、本当に大切なことです。

それができないと民主主義に悪影響を及ぼす理由の一つが、人々が証拠に基づいて自分の信条を改めようとしなくなることです。根拠ある信条を持たなくなってしまう。二つ目の理由は、政治的に対立する相手が、間違った論理に基づいた主張をしていると分かると、民主主義を信じられなくなってしまうことです。「筋の通らない主張をしている相手とまともに取り合う必要があるのか」と思ってしまいますよね。

税制や気候変動などの問題について、全員が正確な情報に基づいて議論できていれば、話は別です。「私が信じていることとは違うけれど、相手の立場からすれば、もっともな主張だ」と納得でき、民主主義のプロセスが、意味あるものだと思えます。しかし、誤った事実に基づいた主張をしていると思ったら、相手の立場を尊重できるでしょうか?民主主義の妥当性を受け入れられるでしょうか?

ーー研究の結果をご覧になったとき、驚きましたか、それとも仮説通りでしたか?

面白い質問ですね。仮説通りだったところもありますが、それでも、私自身、教育者として、結果を見た時は驚きました。例えば、政治的知識が豊富であることが(情報の正誤判断には)役立たない、という可能性があることは知っていましたが、いざデータで示されると、「なんてことだ。政治について詳しい人の判断が優れていないなんて」とびっくりしました。実際問題、政治に詳しくない人より、むしろ劣っていることもあるのですから。

~ジョセフ・カーン博士インタビュー(下)~はこちらです。

インタビュー”More knowledge isn’t always better: How media literacy education protects democracy~Interview with Dr. Joseph Kahn~” はこちら