分断するアメリカ社会で、メディアは分断の壁にどう向き合っているのだろうか。そこでは「真実」を伝えようとすることが、「もう一つの真実」を信じる人の反発を招くというジレンマが浮かび上がる。
大島隆
朝日新聞国際発信部次長
1972年生まれ。朝日新聞政治部記者、テレビ東京ニューヨーク支局記者、朝日新聞ワシントン特派員などを経て、現在は英語ニュースサイト「The Asahi Shimbun Asia & Japan Watch」のデスクを務める。この間ハーバード大学ニーマン・フェロー、同大ケネディ行政大学院修了。著書に「アメリカは尖閣を守るか 激変する日米中のパワーバランス」(朝日新聞出版)、「芝園団地に住んでいます 住民の半分が外国人になったとき何が起きるか」(明石書店)。新著に「『断絶』のアメリカ、その境界線に住む ペンシルベニア州ヨークからの報告」(朝日新聞出版)。
国民のメディアへの信頼がかつてないほど低下する中で、米メディアは分断された社会において、政治や社会問題をどう報じてきたのだろうか。
2020年当時、米国において最大のニュースは、大統領選挙と新型コロナウイルスの感染だった。大統領選挙は投票があった11月以降も、トランプ氏の選挙不正主張、そして翌年1月の米議会襲撃事件と混乱が続いた。この過程で米メディアが直面した課題の一つは、「退任後のトランプ氏をどう扱うか」だった。トランプ氏は選挙で敗北した後も共和党内で最も大きな影響力を持つ人物であったが、その動向を伝えることは、不正主張を続けるトランプ氏の「拡声機」となりかねないという懸念があったからだ。
トランプ氏の在任中、激しく対立してきた主要メディアは、トランプ氏の言動を批判的に報じることがメディアへの露出を増やし、かえって存在感を高めるというジレンマを抱えていた。一方で、トランプ氏をめぐる報道が、保守系、リベラル系メディアを問わず読者や視聴者の増加につながったのも事実だった。
元ニューヨーク・タイムズのパブリック・エディターで、現在はワシントン・ポストのメディア担当コラムニストであるマーガレット・サリバン氏は、大統領選挙後に「ジャーナリストはトランプときっぱり別れる時だ」と題したコラムを発表した。ここでサリバン氏は、上記のようなメディアとトランプ氏の関係を指摘したうえで、「(トランプ氏が住むフロリダ州の邸宅)マール・ア・ラーゴ支局を立ち上げてはいけない」と、トランプ氏の動向を事細かに報じるのはやめるべきだと説いた。
一方、ジャーナリズムの研究教育機関ポインター研究所の上級副所長で、公共ラジオNPRのパブリック・エディターも務めるケリー・マクブライド氏は、「新大統領就任に伴い、ジャーナリストはトランプを無視すべきか」と題した論考で、選挙不正主張を続けるトランプ氏の言葉をそのまま見出しには取らないなど慎重な対応を求めつつも、「トランプ氏の言葉を全く報じないことは、『トランプは不公平なメディアの犠牲者だ』という支持者の見方を補強することになる」と、完全な黙殺はすべきではないと説いた。
とはいえ全体としては、選挙後の米メディアの姿勢は、トランプ氏を「過去の人物」とみなすことで、その影響力を最小化することを志向していると筆者には映った。議会襲撃事件などを受けて、米国の民主主義そのものが脅かされているという認識が広がったことが、メディアのこうした姿勢を強めることになった。
この結果、CNNなど特にトランプ氏と激しく対立したメディアが大きく報じるのは、議会襲撃事件への関与や脱税疑惑などに集中し、トランプ氏本人の発言や動向を報じるニュースは激減した。在任中はトランプ氏と近い関係にあったFOXニュースにおいても、トランプ氏と近い司会者の番組では本人のインタビューが折に触れ放送されたが、かつてのようにトランプ氏の集会を頻繁にライブ中継することはなくなり、トランプ氏が不満を口にすることもあった。
トランプ氏の「拡声機」にはならないという主要メディアの姿勢は、分断された社会においてジャーナリズムが直面するジレンマも映し出している。それは、二つの交わらない世界にそれぞれの「真実」があるとき、メディアは真実を追求して伝えるという使命をどうやって果たすのか、という問いだ。
米国のジャーナリストやメディア研究者の中からは近年、「Bothsidesism(両論併記主義)」「False Balance(偽りのバランス)」などと呼ばれる批判が起きている。一方が明らかに誤った主張をしているにもかかわらず、双方の主張を同列に報じるのは問題だ、というものだ。この両論併記主義批判は以前からあるものだが、トランプ氏の登場によって改めて議論の俎上にのぼるようになった。
ピュー・リサーチセンターが昨年7月に公表した調査では、一般国民を対象とした調査では76%が、「ジャーナリストは双方を平等に報じるよう努めるべきだ」と答えたのに対して、ジャーナリストを対象とした調査では、同じ回答は44%にとどまった。逆に「あらゆる側が常に同等の報道に値するとは限らない」という回答が55%と上回った。
筆者は2022年、「両論併記主義に死を」という論考をハーバード大学ニーマン財団の「ニーマン・ラボ」に発表したことがあるベテランジャーナリスト、ジェネーバ・オーバーホルサー氏にインタビューする機会があった。オーバーホルサー氏はアイオワ州の地元紙デモイン・レジスター編集局長や、ワシントン・ポストのオンブズマン、ピュリツァー賞理事会の理事など歴任した人物だ。
オーバーホルサー氏は気候変動の要因やトランプ氏の選挙不正主張を例に挙げ、「両論併記は偽りの同等であり、正確な事実を伝えるものではありません」と指摘した。
なお、本稿の主題からはやや外れるが、オーバーホルサー氏が「両論併記と客観報道は同じではない」と話していたことにも触れておきたい。米国の議論でも、両論併記と客観報道は同列に論じられることがあるが、オーバーホルサー氏が言わんとしたのは、「客観報道とは単に両論併記をすることではない」ということだ。たとえば、トランプ氏の不正主張があらゆる裁判や公的機関の調査で退けられたことは客観的な事実であり、「根拠のない主張(baseless claim)」と報じることは客観的な事実に基づく報道である、という論理だ。
オーバーホルサー氏の言葉の中でも強く印象に残ったのは、ジャーナリズムがその使命を果たしつつ、社会のこれ以上の分断を招かないようにするにはどうしたらよいと思うか、という筆者の問いかけに対する答えだった。
「私たちの主要な責務とは、二極化を加速させることを避けることなのでしょうか。私たちの責務とは、人々にできる限り正確な事実を伝えることであり、真実を提示するために最善を尽くすことです」。オーバーホルサー氏はこう語り、メディアが注力すべきはあくまでも真実を伝えようとすることだと強調した。
また、インタビューの中では次のようにも語っている。「いまでは私たちは、何が事実かさえ一致できなくなっている。メディアが偽りのバランスを取ることは、人々が事実を見分けられないようになった一因となってきました」。
「ジャーナリストの責務とは真実を追求し伝えることである」という原則に同意しないジャーナリストは、筆者を含めていないだろう。問題は、分断された現在の米国社会では、一方が「真実」を伝えようとしても、もう一方には「真実」とはみなされないということだ。トランプ政権の高官が大統領就任式の参加者数をめぐって口にした「オルターナティブ・ファクト(もう一つの事実)」という言葉は、何が事実であり真実であるかさえもが分断に飲み込まれた、いまのアメリカ社会を象徴している。
たとえば、大規模な選挙不正を「真実」と信じる人々の中には、不正によって選ばれたバイデン氏が大統領の座にいることこそが、民主主義の危機だと考える人たちがいる。「司法長官は大規模不正の証拠はないと述べている」という客観的事実を示しても、「司法省はディープステート(闇の政府)に操られている」と言われてしまえば議論はそこで終わってしまう。
メディア不信が強まる状況下では、メディアがある争点で、「真実」を明確に提示しようとすればするほど、もう一方の側は「相手の側の言い分だけを伝えている」と反発を強める恐れすらある。ピュー・リサーチセンターの調査によると、政治や社会問題について、「報道機関は公平に扱っている」という回答は20%にとどまり、79%が「一方の側に好意的な報じ方をしている」と回答した。この回答は共和党支持層では91%に達するが、民主党支持層でも69%と、党派にかかわらず「メディアは偏向している」とみている国民が多いことがわかる。
昨年11月の中間選挙の結果を受け、トランプ氏の影響力低下が指摘されている。だが、銃規制から妊娠中絶まで、社会のあらゆる課題が政治対立に飲み込まれて争点となる状況が変わったわけではない。メディアにとっては、「真実を伝える」という原則に加えて、それをどう「壁の向こう側」に伝えるのかが問われている。