「ニュースリテラシー」を身につけ、ニュースを日常生活の中で活用しよう〜鍛治本正人

2024.06.18
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インターネット上に、”フェイクニュース”が大量にあふれる今、「ニュースリテラシー」に注目が集まっています。リテラシーという言葉は、もとをたどれば「読み書き能力」という意味ですが、”ある対象についての知識や、それを使いこなす能力”という意味でも使われます。
では、「ニュースリテラシー」とは一体どんな力で、教育現場で求められる「ニュースリテラシー教育」とはどういうものなのでしょうか。香港の大学で教鞭を取る鍛治本正人さんに寄稿していただきました。

鍛治本 正人

香港大学ジャーナリズム・メディア研究センター教授 。社会学博士。専門はアジアにおける誤情報、虚偽情報の生態系研究、ファクトチェック実践、ニュースリテラシー教育。2019年にANNIEと呼ばれるアジア地域の報道の自由、メディア関連法案などを念頭に置いた教育NPOを設立し、各国の教育者、ジャーナリストと協力して教材の開発を行っている。大学では国際ファクトチェック・ネットワーク(IFCN)加盟団体であるアニー・ラボ(Annie Lab)を主導している。

ニュースリテラシーの本質とは

ニュースリテラシーと一口に言っても、教育者や研究者によって様々な解釈があります。どのような学問であれ、多様な視点から議論をすることは大切なので、これが絶対だという定義はありません。ですが、メディアリテラシーと同じように、この分野も「メディアのメッセージは構成されていて、情報の伝え方、受け取り方には価値観や視点が常に含まれる」という考え方を土台にして成り立っています。

ではなぜ「メディア」ではなく「ニュースリテラシー」という言葉を敢えて使い、別の教育科目のように扱うのか。それは「ニュース」として流通している情報の性質や中身の構成などが、それ以外の内容のもの、例えば漫画や小説、映画、TVドラマなどとは大きく異なっているからです。

例えば死体が発見されたという映像の事例を考えてみましょう。

これがドラマのワンシーンであれば、仮にそれが実在の事件を元にしたものであったとしても、そこには時間をかけて推敲された脚本があり、カメラのアングルから登場人物の台詞、役者の服装などすべてに制作陣の意図が反映されています。視聴者を楽しませ番組をヒットさせることが大きな目的のひとつであり、そのためにシーンを盛り上げる効果音や音楽が使われます。その後、話がどのように展開するかも最初から決まっています。

では死体発見2時間後に放送されるニュースはどうでしょう。こちらは現地の状況や警察の広報、その場にいた目撃者や専門家の言説に中身が左右されます。報道関係者というより、記者が話を聞いた人たちの視点や価値観が、大きく反映されています。使える映像や音声も、短い時間に現地で収録可能だったものに限られ、それが単調に繰り返されます。番組の目的は、それまでにわかっている事実、判明していない情報などを視聴者に伝えることです。

両者はどちらも「メディア」の内容で、制作者によって情報が構築されていますが、これらを同じ物差しで計ることは出来ません。映像の作られた過程や目的、構成要素となる情報の質が全く異なるからです。考えてみれば当たり前ですが、授業の中で「ニュース」とそれ以外のメディアを切り分け、体系的にその質の違いや影響力などを吟味、議論してゆこうとすると、そもそもニュースとは何か、ジャーナリズムの社会的意義とはなにか、という話になります。

メディアリテラシーと重なる部分もありますが、ニュースの社会性、特殊性に焦点を当て、そこに特化した科目として、ニュースリテラシー教育が存在しています。
ニュース産業の構造、法的な枠組み、倫理的な規範や綱領、実務的な制約など、報道する側に焦点を当てた項目はもちろんですが、ニュースの受け手側についての題目も広範囲です。脳の認知機能、文化的、社会的な行動心理、メディア接触時間におけるニュースの割合とネット環境、アルゴリズムと情報消費活動の実態などは、ニュースリテラシーでよく扱われるトピックです。

特に現代のデジタル社会では誰でも映像や情報を「ニュース」として発信でき、こういった多岐にわたる知識は誰にとっても重要です。我々が普段接するコンテンツの中には、意図的に作られた偽情報や誤情報、いわゆるフェイクニュースが多く紛れ込んでいることは周知の事実ですが、問題はそれだけではありません。真偽のわからないネット上の噂話をまことしやかにニュース記事にしているメディアのサイトや、報道記事の体裁で掲載されている広告なども広く流通しています。

簡潔な定義とは言えませんが、筆者の考えるニュースリテラシー教育とは、人文学や社会科学教科の基礎となるクリティカルシンキング(批判的思考)を応用して、「ニュース」として日頃目にする、耳にする情報を批評、批判、分析する方法を、関連する事例や研究、理論を踏まえながら、段階的に教える、学ぶためのカリキュラムを指します。

かみ砕いて言えば、「ニュースという枠組みで報道、拡散されている玉石混淆の情報の渦の中で、それらをどのように取捨選択、分析、解釈、吟味、あるいは検証して、信頼度、精度の高い情報を識別するのかという知識と方法、またその運用能力」がニュースリテラシーと言えるのではないでしょうか。そして、そういった能力を高めるための知識として、報道の自由の意義であるとか、情報の公共性を理解することが求められます。

簡潔に言い替えるならば、「ニュース情報との上手な接し方を知識としてもち、日常の生活の中で活用できる力」が、私の考えるニュースリテラシーです。

「真偽を見極める」ことが主題ではない

ニュースリテラシー教育の分野に身を置いていると、事実の検証、いわゆるファクトチェックが主題であると誤解されている方によく出会います。確かに偽・誤情報の生態系や検証に役立つ検索の仕方、有効なツールの使用法などは、この分野の多くのカリキュラムに取り入れられていますが、それはほんの一部分でしかありません。

真偽を調べる以前にまず大事なのは、「ニュースを構成する要素となるのは確定された事実や証拠だけではなく、そこに意見、主張、観察、印象、推論 、予測など、実に様々な付随情報が含まれている」という認識です。我々が日常接する「ニュース」の大部分は、発信元に関わらず、正誤という基準で判別できない情報によって組み立てられています。

例えば「円安がさらに進んだ」という600字程度の短い記事があるとします。この中で日本円が上がったか下がったかという部分は、確かに為替のデータなどを参照して、読者の誰でも真偽判定(ファクトチェック)できます。ですが、どうしてさらに円安になったのか。この傾向は今後も続くのか。続くとすれば我々の賃金や生活にどのような影響があるのか。短中期的な経済への影響はどれほどか、等々、こういった記事には識者の見解や、為替の動きに影響を与えたと考えられる複合要因、例えば日銀の動向、米国の金利、中国経済の変動などが情報として付随してきます。

すべて取材とデータにもとづいて構成された報道ですが、ではこの記事全体を「真偽」という観点から捉えて、実情に即した報道と考えてよいのでしょうか。経済の専門家は沢山います。たまたま締め切り前にインタビューに答える時間のあった学者の見解が載っているだけかもしれません。異なる意見の識者も多くいるはずです。円安に影響を与えたと考えられる要因にしても、金利や消費者物価指数などの数字は確実なデータですが、それらと為替の値動きの因果関係については、多種多様な説明があり、短い記事の中でそれらが網羅されているわけではありません。

この場合、円安が進行したという部分は嘘か本当かという判断が出来ますが、残りの部分を同じように理解することは困難です。それでも、多くの読者はこういったニュースを、「正しい」「間違っている」という物差しで計る傾向にあります。記事の中にある、「円安は実はよい傾向で、日本経済は上向き、平均賃金は上がってゆく」という識者の意見に納得、賛成であれば、「実情を捉えた正しい報道」「的確な記事」だと判断し、逆に「説得力無い」「いや、要因は全く別の所にある。なぜそれを報道しないのか」、などという感想を抱いた場合は、「間違ったニュース」「偏った記者」というレッテルを張ります。

もちろん、ニュースの読み方や視聴の仕方は人それぞれ自由なので、そのような反応が良い悪いという話ではありません。逆に極めて自然で人間的な反応とも言えます。ですがニュースリテラシーの授業では、一歩立ち止まって「自分はなぜこの情報を直感的に正しい、間違っていると思ったのか」という自省をし、認知心理学の知見などを取り入れて考えます。自己の偏見や先入観を考慮しながら、個々の情報の性質を分類し掘り下げることを習慣づけるためです。

円安が経済に与える影響であれば、多くの人にとってそれほど差し迫った問題ではなく、そこまで拘る必要はないかもしれませんが、これが長く煩っている病気とその治療法に関する話題ですとか、近所の大規模再開発に関連した報道であったとしたらどうでしょう。瞬時に正しい、間違っていると判断するのではなく、冷静にニュースの中から客観的事実に基づく情報とそうでないもの(意見、主張、観察、印象、推論 、予測など)を切り分けるという、ニュースリテラシー思考法の第一ステップを踏むことで、より上手に報道から得られる情報を活用することが出来るはずです。

ニュース情報の出所を遡って吟味する〜ニュースリテラシー教育の授業の進め方

では、ニュースに含まれる専門家の見解や推論、また記者の印象描写など、事実か否かで判断できない部分をどう評価すればよいのでしょうか。また、政府や警察、企業などが発表した情報が報道に含まれている場合、それは取り敢えず事実と認識してよいのでしょうか。前述しましたが、ニュースは他のメディアコンテンツと違い、ソース(情報元)が内容に大きな影響を与えます。

ニュースリテラシーの教育課程では、その情報や見解の出所をそれぞれ抽出し、個別に遡ってその信憑性であるとか、意見の整合性、データや証拠の適切度などを調べる作業をします。この点は従来のメディアリテラシーのアプローチとは顕著に異なります。新聞記事やTV報道がどのように構成、編集されているのかを吟味、熟考するというメディアリテラシーの考え方を根底にしていますが、全体の構成だけでなく、中身を形作っている要素一つ一つに着目するやり方です。

例えば、政府がある政策を発表したとします。ニュース記事、番組を構成する要素としては、以下のようなものが典型的です。

・政府側の発表内容とコメント
・政策中身の解説
・政策に反対する野党側の見解
・政策に関連する活動、研究を行っている非営利団体や学者の意見
・市民の反応とその声

さて、情報の受け手側である読者、視聴者は、この報道をどのように判断すべきでしょうか。全体の構成だけを見てしまうと、「政府の言い分と政策の評価すべき点を先に紹介して、懸念材料が後に来ているのは政治的偏向である」とか、「もっと多様な見解があるはずなのに、記者が関係者や市民の声を恣意的に選んでいる」という評価になりがちです。ですが、そのような考え方を推し進めてゆくと、すべての媒体のどのような情報に対しても猜疑心が芽生えてしまいます。

報道に限らず、普段の会話なども含めた我々のコミュニケーションは、常に情報の取捨選択と再構築で成り立っています。「批判的思考」と「健全な懐疑心」を持つことは大切ですが、とはいえ、我々は何かを拠り所にして意思の決定をしなければなりません。近々ある選挙でこの政策が争点になっていると仮定しましょう。自分が政府の政策に賛成か反対か決める為には、信頼できる情報、データや証拠に裏付けされた専門家の意見などを見極めることが必要です。

そこでニュースリテラシーの授業では、報道の構成やそこから受ける印象に関係なく、情報の出所を遡ってゆきます。ニュースを最終的な判断の材料ではなく、より深い知識を得るための足がかりとして利用するやり方です。上記の例で考えてみましょう。読者、視聴者は、インターネットの検索や図書館などを利用して、以下のような段階を踏むことが出来ます。

・政府のコメントで触れられている歴史的な経緯などが事実に即しているかどうか過去の発言や記事などから調べる。
・可能であれば、政策の原本を手に入れ、それに目を通す。
・過去にあった野党側の発言、参照しているデータ、政策に対する姿勢に一貫性があるかなどを調べる。
・名前の挙がっている非営利団体、学者の活動、経歴、その分野での業績や評判などを調べる。
・街角インタビューのようなものではなく、統計的に信頼の出来る世論調査などの結果がないかどうか調べる。

ソース(情報元)に遡ることで、見えてくることはたくさんあります。報道では賛否両論拮抗しているような印象を受けたが、実は政策を支持しているNPOや専門家の方が数としては圧倒的に多いことがわかるかもしれません。あるいは、政府のコメントはこれまでの経緯をかなり歪曲した形で説明している、野党側は二年前と正反対のことを言っている、というような発見もありえます。

もちろん、普段目にするニュース全部に対してこのような接し方をすることは不可能ですが、大事な情報は「報道機関がそれをどう伝えているか」だけではなく、「情報の出所」も吟味するべきだというのが、ニュースリテラシーの考え方です。「このソースは信頼に足る証拠やデータを基に意見を述べているのか」、「この専門家はこの分野でどのような業績があり、他の専門家からどのような評判を得ているのか」といった疑問には、コンテンツをどれだけ分析しても答えられません。

一見すると非常に難しい作業のように感じるかもしれませんが、教室ではこれを体験型の教材にして指導することも可能です。例えば、著者が大学で取り入れている「白雪姫暗殺未遂事件」のロールプレイでは、警察が調べた結果、白雪姫の食べたリンゴには毒物は混入されていなかったという設定で、ジャーナリストが捜査関係者や当事者から話を聞いてゆくという即興の寸劇を生徒に演じさせます。インタビューの中で魔法の鏡や女王、小人などがソースとして提供する情報や見解を、その人物の信頼性、信憑性とあわせて議論するという活動です。

必要となる「知識」と「訓練」

メディアリテラシー、ニュースリテラシーの基盤となっているのはクリティカルシンキング(批判的思考)ですが、どのような情報であれ、それを鵜呑みにせず、検証、吟味してゆくためには一定の知識と訓練は必須です。

例えばニュースとなっている世論調査の結果を疑問に思い、出所のデータを自分で評価しようとしても、統計学の理論上必要なサンプル数や、無作為抽出の意味などを知らなければどうしようもありません。

健康関連の話題にしても、医療科学の知識がまったくなければ、ニュースの中でどの部分が実証実験などで証明された事実であり、どの部分が仮説あるいは推論であるのかを区別することはかなり困難です。情報元を遡って調べる段階では、言葉の問題も出てきます。最新の医学研究論文は英語で書かれていることが多いので、言語能力がなければそこで行き詰まってしまいます。

演繹法と帰納法の論理としての違いなどを学ぶと、陰謀論によくある誤謬や瑕疵を指摘するのに大いに役立ちます。心理学の知識があれば、ニュースにとどまらず、なりすましやソーシャルエンジニアリングによる仮想通貨詐欺などのテクニックを見抜く助けになります。高度な検索の仕方を学べば、ニュースの情報源であるデータなどを素早く探すことが出来ます。

理科、社会・・・様々な教科で取り入れられる

ニュースリテラシーは単独で教科として成り立つと書きましたが、それと同時に数学や英語、地理、歴史、化学、生物学、公民、社会、その他多くの科目でも、部分的に取り入れるべきだと筆者は考えます。実際の新聞記事や報道映像、SNS上の噂や投稿は、多岐にわたるトピックを網羅しています。どのような科目であれ、題材となるニュース的な素材を見つけることは難しくないので、対象年齢に併せて、教材の開発ができるはずです。

例えば、中学の理科で天気図について学ぶ授業の中で、外れた天気予報を例にして、「これはフェイクニュースなのか」などという議論をしてみるのも面白いと思います。未来についての予測は、その時点では誰にも真偽の判断が出来ない情報です。事後に「当たったか、外れたか」という基準で評価することは出来ますが、「事実か虚偽か」という物差しは適切ではありません。

五分程度の他愛のない話し合いの中で、情報の性質を問うというニュースリテラシー的な考え方を紹介することが出来ます。

非民主主義国でもニュースリテラシー授業は可能

私は2011年から香港大学でニュースリテラシーを教え始め、これまで数多くの教育関係者から問い合わせを受けてきました。様々な国でワークショップや教材の協同開発に携わってきましたが、そのほとんどは発展途上国や民主主義の枠組みが不安定、あるいは全体主義で、報道の自由があまりない国からです。意外に思われるかもしれませんが、政府や公的教育機関が生徒の批判的能力を伸ばすことに消極的だと思われる国でも、こういった授業は行われています。

当然そういった国ではジャーナリズムの意義や、主権在民を守る為の情報の公共性の原理に触れることは難しいですが、ニュースに含まれる情報をつぶさに吟味していくやり方の部分は、理数系の科目とも親和性が高いので、ある意味教えやすいのかもしれません。官製メディアや政府広報を含むニュースの発信者がどうメッセージを構成しているのかを評価するメディアリテラシーの授業にはリスクがありますが、内容に含まれる情報を抽出して、検証可能なものは調べ方を議論し、推論や将来の見通しはその妥当性を判断する手助けとなる材料が他にないかを考えるという手法は、教室で政治性のある話を避けなければならない国でも充分可能です。

最初に触れましたが、これがニュースリテラシーであるという世界的なコンセンサスはありません。私の定義に異論のある教育者、研究者もいると思います。ですが、どのような考え方であれ、民主国家で言論の自由が守られている日本では、いろいろな形でニュースを教育の題材として授業に取り入れ、生徒と一緒にそれを吟味、熟考してゆくことが出来ます。特に現代のネット社会において、ニュースリテラシーはとても重要な取り組みだと筆者は考えています。