ウェビナー『デジタルと吟味思考をつなぐ』開催レポート1〜:デジタルと「対話」で、「吟味思考」を育てよう

2022.04.12
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書籍『メディアリテラシー 吟味思考(クリティカルシンキング)を育む』の刊行を記念したウェビナーが、このほど、時事通信社の主催で開かれました。議論のテーマは、「デジタルと吟味思考をつなぐ」。パネリストは、小中学校の現場で長年にわたって教えた経験があり、現在はデジタル時代の教育の意義や課題を漫画を使ってわかりやすく紹介している前田康裕さん(熊本市教育センター指導主事)、哲学者・教育学者の苫野一徳さん(熊本大学准教授)、書籍の執筆者の一人でデジタルシティズンシップに詳しい今度珠美さんです。モデレーターは、書籍の編集にもあたったスマートニュース メディア研究所 研究主幹の山脇岳志が務めました。

3回に分けて、議論の概要をご紹介します。(登壇者の肩書は、ウェビナーが実施された2022年2月当時)

前田康裕 熊本市教育センター主任指導主事
熊本大学教育学部美術科を卒業後、公立の小中学校で25年教える。現職教師を務めながら岐阜大学教育学部大学院教育学研究科を修了。熊本大学准教授などを経て現職。著書に『まんがで知る 教師の学び』『まんがで知る 未来への学び』シリーズ(さくら社)他著書多数。

苫野一徳 哲学者・教育学者
熊本大学教育学部准教授。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。著書に、『学問としての教育学』『「学校」をつくり直す』『はじめての哲学的思考』『子どもの頃から哲学者』『どのような教育が「よい」教育か』など多数。

今度珠美 鳥取県情報モラルエデュケーター 国際大学GLOCOM客員研究員
鳥取大学大学院修了。年間150回以上、学校や教員向けのメディアリテラシーやデジタルシティズンシップの授業、研修を行っている。共著に『デジタル・シティズンシップ コンピュータ1人1台時代の善き使い手をめざす学び』(大月書店)など。

山脇岳志 スマートニュース メディア研究所 研究主幹
京都大学法学部卒業後、朝日新聞社に入社。調査報道担当、ワシントン特派員、GLOBE編集長、アメリカ総局長、編集委員などを経て退職。2020年4月にスマートニュース メディア研究所 研究主幹就任。京都大学経営管理大学院特命教授を兼務。

 

デジタル機器を使うことが目的になってしまっている

山脇 まずは、前田さんを中心にお話を伺っていきます。前田さんの漫画「まんがで知る デジタルの学び――ICT教育のベースにあるもの」(さくら社)の中では、ICT教育に苦労しながら仲間と一緒に頑張っている先生が描かれています。学校現場で、生徒・児童1人に1台、タブレットなど情報端末が配布され、教育が大きな転換期にある中、『メディアリテラシー 吟味思考を育む』をお読みになられて、どのような感想をお持ちになりましたか。

前田 いまデジタル機器がたくさん学校に入ってきて、先生たちは使うことに一生懸命ですが、使うこと自体が目的になり、子どもたちにどんな力をつけさせるべきかが、忘れられているんじゃないかなと危惧しています。そうした点からこれは良い本だと思い、Twitterにも「夢中になって読んだ」と書きました。

前田康裕さん(本人提供)

ドコモのモバイル社会研究所が出しているメディア利用に関する年代別調査結果によると、10代が情報を得ているメディアはソーシャルメディアが多く、先生が多い40~50代ではテレビが圧倒的です。
どのソーシャルメディアを使っているかというと、LINEは先生の年代も含めて使っていますが、TwitterやInstagramは10代が圧倒的に多く、40代50代はかなり低い。年代によって活用するソーシャルメディアが全然違っていて、40~50代のメディア感覚ではよく分からないまま、メディア教育をするということが起こるんじゃないかと思っています。

これまでの教育は、マスメディアや教師、あるいは勉強のできる一部の児童・生徒だけが「発信者」で、ほとんどの子どもたちが「受信者」でした。でも、デジタルの特性は、誰もが発信者かつ受信者であり、しかも、SNSを通してコミュニケーションできることです。良い意味でも悪い意味でも知の相互作用が起きやすい。こうしたデジタルの特性を生かした学びに変える必要があります。
YouTubeにしてもTwitterにしても、知りたい情報はもうそこにあります。誰かに教えてもらわなくても、SNS上にはいろんな情報が広がっている。だから、タブレットや情報端末を使いこなすためには、知識基盤社会における「学び方を学ぶ」ことを目指す必要があります。
今回の書籍はまさに「学び方を学ぶための本」になっていると思います。

たとえば、「吟味思考の育成」を目的に位置付ける

(書籍の)第3部の実践事例集では「対話」の場面が非常に多かった。情報をそのまま受け取るのではなく、いろんな形で情報を吟味する学習活動が多いですね。相互作用を生みながら、子どもたちが新しい意味を創造していくところが重要です。自分の頭にあるものを可視化するためにタブレットを活用できる。

熊本市立城東小学校の情報活用能力を育てる授業でも、子どもたちが自分なりに情報を整理・分析したタブレットを見せ合いながら、どんな資料をどんな順番で並べて説明すると説得力が増すかを話し合っています。まさに「吟味」をしているんです。こうした学習活動によって情報をどう扱えばいいかが育まれていくんじゃないでしょうか。「対話」がすごく重要で、情報の整理・分析をいろんな教科の中でやっていくことが、メディアリテラシーを育むことにつながっていくと考えています。

教師が(一方的に)教えるのではなくて、子どもたちが気付いたことを教師が言語化させていくことが重要です。何となく感じたこと、頭の中でモヤモヤしているものを子どもたちが言葉にできるようにしていくのです。
「省察」「振り返り」という言い方をします。ただ新聞を作ったり、プレゼンテーションしたりして終わりじゃなく、きちんと省察して学習の内容と方法を言葉にしていくことが大事です。
何かを覚えればいいとか、計算できればいいというだけではなくて、どういう表現方法がより効果があるかとか、どういう話し合いの仕方をすると資料の吟味ができるかとか、そうしたこともひっくるめて振り返り、省察していくことが大切です。

これまでは紙でやっていましたが、今はデジタルで共有できる。内容だけじゃなくて方法もデジタルのカードにして、それを提出すれば全員がすぐ見えますから、まさに双方向的な学びができます。
最初に申し上げましたが、どういう力を育てるかという目的を先生が持っていないと、形成的に評価できません。「吟味思考を育むんだ」ということを先生が目指していれば、そういう学習活動とか、気付きを生み出した子どもを評価できることになります。

こうした学びを教室の中でもどんどんやっていくことによって、デジタルの双方向的な学びがやりやすくなっていくと思っています。

山脇 熊本では、先生がファシリテーター的な役割を果たすことが実践できているのでしょうか。

前田 まだまだこれからです。授業の改善を目指して、子どもが主体的に考える力を高めることに向かってみんなでやっているという状況です。

山脇 教師の方がまだまだSNSに慣れていないということですが、ICT、機材は道具として使いながら、何を学んでいくかはまだ試行錯誤している段階ですか。

前田 多くの学校でそうだと思います。先生たちも悩みながらやることが必要です。「正しい育て方」があるとは思っていません。何か問題が起きたときは、教師だけじゃなくて、保護者や子どもも一緒になって話し合う機会を持たなくちゃいけない。試行錯誤も含めて学習だと思っています。

対話がメディアリテラシー教育の根幹

山脇 苫野さん、先生の教え方の課題について、いかがですか。

苫野 「対話」という言葉が、メディアリテラシーの基本であり、最も大事なことだと感じました。何か絶対に正しい事実とか報道はないので、私たちは対話を通して自分の知見を深め、交換し、お互いに考えを調整し合うというプロセスが大事です。それを学校現場でどんどんやっていこうという前田先生のご提言は、メディアリテラシー教育の一番根幹に据えるべきことだと思いました。

「フリン効果」という現象があります。人間の知能はこの何十年、何百年どんどん進歩していると、フリンさんが実証しました。その最大の理由が学校教育です。
学校教育において、対話を通して抽象的な思考ができるようになったことが、人間の知能が進歩した最大の理由だと言われています。何か具体的なことをたくさん学ぶというより、みんなで対話をする中で抽象度が上がっていくんですよね。
「それってなんでだっけ」とか、「何のためにこういうことをやっているんだっけ」というふうにどんどん抽象度が上がっていく。抽象度を上げて対話をすることで、まさに吟味思考が鍛えられていく。今お話を聞きながら、学校教育にこそ可能性があると思いました。

山脇 今度さん、前田さんのお考えについて、いかがですか?

今度 前田先生と一緒に本を書いたり、ご指導していただいたりしていますが、テクノロジーは人を幸せにすることで価値が生じるという点は、同じ思いだと思います。私がお話しするデジタルシティズンシップのメディアリテラシーも、結局はいかに幸せになるかを追求するものです。根底にあるのは人権教育、民主主義といった視点です。
前田先生が、いかに私たちがテクノロジーを使って幸せになっていくのかについて追究しつづけておられるところに共感しています。

先生自身が「メディア発信」経験を

山脇 前田さん、教師も生徒と共に学ぶ、対話を促していくことに抵抗がある先生方が、いらっしゃるのはなぜなのでしょうか。

前田 学校の先生は自分が受けてきた教育、授業を「再現」しようとする傾向があるからだと思います。
それに対して「遅れてるよ」と指摘しても納得しません。
私の経験から言うと、自分がメディアの発信者になって振り返る校内研修を体験することが重要だと思います。
教育センターにいた時、ある一つの研修そのものを取材して、参加した先生方が、新聞を作ったことがあります。同じ研修を受けたのにまるで違う新聞ができてしまい、人によって見え方が全然違うことが分かるんです。発信者として「メディアって大事なんだ」と実感できる経験はすごく大きいと思います。

苫野一徳さん

苫野 「知」というものは、もはや何か正しいものを伝達するということだけでなく、みんなで作り合っていくものだという発想になることが大事だと思います。

私は老若男女を問わずいろんな人たちと、「本質観取」という哲学対話をやります。例えば「愛とは何か」「良い教育とは何か」「正義とは何か」といったことについて、対話を通してみんなで本質をつかみ取っていく。最初は誰も答えを持ってないのですが、対話を通して答えが浮かび上がり、「知」が作り出されていく。これがとても面白い。こういう経験を積んでいくと、「知」はみんなで見つけ出し合い、作り出し合っていくものだということを感覚としてつかめると思います。

米国で行われている「熟慮的世論調査」があります。私たちはあまり人と対話をせずに選挙の投票に行きますが、それって、バイアスがかかっているんです。

でも、投票の前にいろんな立場の専門家から話を聞いたり、みんなであるテーマについて話し合ったりすると、投票行動が変化します。対話を通して知が形成されていくんです。必ずしも正しい方向に行くというわけではありませんが、さまざまな観点からものを見ることで私たちの視野が広がる。これこそ教育が本来やるべきことで、教育、学校の先生はこれから、そういう場をどれだけ整えられるかが問われてくると思います。

「対話型」に切り替えたことで、学力が向上した

山脇 参加者の方から「なぜ対話型の授業が進まないのでしょう」という質問が来ています。先生方の中には、対話型で授業が予定通りに進まなくなることへの恐怖感があるのではないかとのご指摘ですが、いかがですか。

前田 これはとても重要なことです。やっぱり不安なんですよ。特に受験指導があるので、(対話型に切り替えて)大丈夫なのかなというのがあって。
私も小学校の国語の専科をやったときに、対話を重視した問題解決型の学習に切り替えたんです。必ず振り返りをやるということを中心にしました。その時、本当にこれで学力が上がるのか、すごく不安でした。
でも、2年目に全国学力テストがあり、点数がとても良かった。4年生、5年生でやった時のテストもすごく良かった。思考力を問う問題はちゃんと力がつきます。先生方は一度そういう経験をされた方がいいと思います。

(注・時事通信社主催のウェビナーは2022年2月26日に開かれ、約300人の方々が参加されました。このサマリーは、時事通信社、パネリストの皆様方の許可を得て、掲載しています。原稿化する上で、話し言葉を書き言葉にしたり、文脈上、意味を通りやすくするための微修正をしています。また、登壇者の方々の肩書きは、ウェビナー開催当時のものです。)

 

*本稿は全3回に分けて掲載する議論の第1回目。

第2回 人は見たいものを見る、そのことに自覚的でいよう──教育哲学の視点から考えるメディアリテラシーへ続く

第3回 メディアリテラシーは誰でも身に付けられるスキル──デジタル時代の市民教育はこちら