この5年で私たちを取り巻く環境は大きく変わりました。新型コロナ禍で一層デジタル化が進み、伝染病や戦争など不安な状況下の情報空間には、フェイクニュースと呼ばれる誤情報・虚偽情報、不確実情報が溢れました。生成AI(人工知能)の著しい発展によって、そうした情報の流通に拍車がかかりそうです。
「不確実なものに囲まれた時代」に必要なのは、一人ひとりの「考える力」と、その基盤となる「知識」。それらを学べるのが「メディアリテラシー教育」ですが、学校現場に十分に広がっていないのが現状です。その理由は何なのか、広がるためには何が必要なのかを考えるトークイベントを開催しました。2回に分けて、議論の概要をご紹介します。
(登壇者 *50音順、敬称略)
鈴木寛 東京大学教授、慶應義塾大学特任教授、社会創発塾塾長
東京大学を卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)助教授を経て2001~13年に参院議員に転じ、文部科学副大臣を2期務める。その後も文科省参与(14~15年)、文科相補佐官(18年まで4期)を歴任。
長澤江美 スマートニュース メディア研究所 研究員
愛知教育大学を卒業後、時事通信社に入社。退職後、米ニューヨークのNPOで貧困地域の子どもたちに日本文化を伝える。20年より現職。メディアリテラシー教育の担当として、研究や実践活動を行っている。
野口恵美 埼玉県戸田市立戸田第一小学校教諭
埼玉大学を卒業後、埼玉県の公立小学校教員に採用。06年より戸田市内の小学校に勤務。担当教科は国語。
横田洋和 戸田市教育委員会次長兼教育政策室長
東京大学を卒業後、文科省に入省。教職員定数、コミュニティ・スクール、特別支援教育などを担当し米コロンビア大学に留学して修士号を取得。帰国後、デジタル庁創設や教育データ利活用に携わり、22年より現職。
(モデレーター)
山脇岳志 スマートニュース メディア研究所 所長
京都大学卒業後、朝日新聞社に入社。経済部記者、調査報道担当、オックスフォード大客員研究員、ワシントン特派員、GLOBE編集長、アメリカ総局長、編集委員などを経て2020年に退職。同年にスマートニュースに入社し、2022年から現職。
市民社会への参加と対話の力も育成
山脇 「メディアリテラシー」という言葉は、人によって使い方がさまざまです。最初に、スマートニュース メディア研究所が行ってきたリテラシー教育活動の概略について説明をお願いします。
長澤 メディアリテラシーには、さまざまな定義があります。広義のメディアリテラシーは、情報の真偽を見抜くという意味を持つ情報リテラシーや、ICTリテラシー、AIリテラシーなども含んでいます。
一方、狭義のメディアリテラシーは、法政大学の坂本旬教授によると、「民主主義社会におけるメディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディア・メッセージへアクセスし、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力」とされます。国連教育科学文化機関(ユネスコ)にも受け入れられている考え方です。
私たち研究所は、メディアリテラシーには、三つ重要なポイントがあると考えています。①すべてのメディア・メッセージ(情報)は「再構成されていること」を意識する ②クリティカルシンキング(熟慮的・内省的な思考)の大切さを自覚する ③メディアの仕組みについて理解する――です。
メディアリテラシーを学ぶことは、デジタル・AI時代を生き抜く力をつけることに繋がります。研究所では、メディアリテラシー教育を教育現場に広めることを目指し、出前授業を行ってきました。ただ、研究所の人員にも限界があり、日本中の全ての学校に届けることはできません。そこで、学校の先生方ご自身がメディアリテラシーの授業を行うことをサポートするために、先進的なメディアリテラシー授業の実践例を見やすくまとめて、HPに掲載し、学校の先生方などが無料でダウンロードいただけるようにしてきました。また、先生が生徒に伝えやすくするため、長野県教育委員会と協力して、今年度、教員向け研修プログラムを開発や実施を予定しています。
ここまで、メディアリテラシー教育は良いもの・必要なものだ、という前提でお話をしてきました。ですが、実際にどんな効果があるのか、客観的に検証はされてきていなかったので、それを行うプロジェクトとして、22年度に埼玉県戸田市教育委員会と共同で、メディアリテラシー教育の効果測定を実施しました。ある小学校第5学年5クラスのうち、3クラスにメディアの知識を学ぶ授業と、教科等(国語、算数、理科、社会、道徳)の内容に沿ってメディアリテラシーのエッセンスを学べる授業を先生自身に行っていただき、事前・事後の効果測定テストによって授業を行わなかった2クラスと比較したものです。継続的にメディアリテラシー教育の授業を受講した児童は、吟味思考(クリティカルシンキング)やメディアの知識など、メディアリテラシーの要素として重要な能力が伸びていたことが明らかになりました(効果測定後2クラスにも授業を実施)。
山脇 野口先生、実際に授業を担当されてみて、いかがでしたか。
野口 一言で言うと、楽しかったですね。自分自身は、メディアリテラシー教育を受けてこなかった世代です。研究所に年間を通して継続的に関わっていただき、提示された課題を子どもと同じ目線で、まさにクリティカルシンキングをしながら考え、少しずつ理解を深めていくことができました。「フィルターバブル」という言葉も、研究所で実施されたメディアリテラシーの授業を通して知ったことです。
昨日、昨年実際に授業を受けてきた子どもたち(現在は小6)に聞いてみたのですが、全員ではないですが、多くの子供達が鮮明に覚えていて口々に「楽しかった」と言っていました。「情報を検索した時には一番上に来たもの以外も見るようになった」とか、「歴史に関して他の説もないか気にするようになった」、という子もいました。子どもたちと一緒に成長させてもらったと思っています。でも、何よりも楽しかった、それに尽きます。
山脇 学ぶ上で、楽しいことは大事ですよね。横田さん、教育委員会の立場からは、どういう感想をお持ちになりましたか。戸田市が、メディアリテラシー教育を積極的に進めようとしている狙いも含めてお願いします。
横田 私は、「メディアリテラシーは教育改革そのものであり、居心地の悪い一歩である」と思っています。戸田市教育委員会では、子どもたちが出ていく社会を知るために「産官学との連携によるSEEPプロジェクト」を推進しています。SEEPは、①教科の見方・考え方を追究する教科(Subject)教育、②経験、勘、気合いの3Kから脱するEBPM(Evidence-Baced Policy Making=客観的な証拠に基づく政策立案)、③情報通信技術(ICT)を制限せず、学びのコントローラーとして子どもたちに渡して活用を促すEdTech(Education×Technology)、④実生活・実社会のリアルな課題を探究的に解決するPBL(Project-Based-Learning)――の頭文字です。
これらはすべて、メディアリテラシーがないと成り立たないものです。ですから戸田市が目指す教育改革は、メディアリテラシー教育そのものだと言っても過言ではありません。
それを実現する上では、変化する社会の動きを教室に取り入れることが必要だ、と考えています。そのため100以上の産官学と連携した取り組みを、教育行政のファーストペンギン(危険を恐れず果敢に挑戦する精神の持ち主)として行っています。メディアリテラシー教育も、国内で草の根的に実践が行われていますが、効果測定という点ではおそらく全国初ということで、共同研究としてチャレンジしたいと考えました。
「複数の正解」を基に熟議する必要
山脇 具体的な議論に入りましょう。すずかんさん(鈴木寛さん)はこれまで、さまざまな教育改革を担ってこられました。『「熟議」で日本の教育を変える: 現役文部科学副大臣の学校改革私論』(小学館、2010年) という著書も出されています。熟議は、メディアリテラシーとの関係が深いと理解していいでしょうか。
鈴木 めちゃめちゃ深いですね。「メディアリテラシーは不易流行」という話を、今日はしようと思って参りました。われわれはなぜ学ぶのかというと、世の中の「未知なるもの」に対して、その中で「正しいもの」に接近するためだ、と言っても過言ではありません。そうした意味で、学ぶことはメディアリテラシーそのものだと言っていいと思います。
ただし「正しいもの」は一つではなく、複数あることがほとんどであることにも注意しなければなりません。だからこそクリティカルシンキングで検証し、参加した人にいろいろな気付きをもたらすものが熟議なのです。メディアリテラシーの基本には熟議のプロセスがあると言ってもよいでしょう。
山脇 先ほどメディアリテラシーの重要な要素として、クリティカルシンキングが紹介されていました。日本では、批判的思考と訳されていますが、クリティカルシンキングの本来の意味は、人を「批判」することではなく、内省して、自分を見つめる、という要素が強いと思うのです。
その「自分を見つめる」ということは、鈴木さんが行われてきた教育改革と共通する点が多そうです。
鈴木 例えて言えば、自分の中にも「Aを信じる自分」「Bを信じる自分」「Cを信じる自分」がいるでしょう。どれが正しいかを吟味するのが、クリティカルシンキングです。
林芳正外相が文科相の時、大臣を座長、大臣補佐官の私を座長代理として「Society5.0に向けた人材育成に係る大臣懇談会」を設置して、幅広い有識者と自由闊達(かったつ)な議論を行いました。
18年6月に省内タスクフォース(特別作業班、TF)がまとめた報告書「Society 5.0 に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~」にも「科学的に思考・吟味し活用する力」という文言が複数入っています。
まずは各自が十分に考え尽くした上で、まだ、考えている途中でもいいのですが、他者と話すことが非常に重要です。「熟議の民主主義」を提唱したドイツ出身の政治哲学者ハンナ・アーレントも「自分にはこう見える」というものが人によって違うという「複数性」を強調しています。誰しもが、「構成している」ーバイアスがある。
例えば、この机の上にあるペットボトル(手に持つ)。山脇さんからの見え方と、私からの見え方は、違いますよね。でも、どちらも真実です。お互いの見え方を伝え合い、合わせていくことで、このペットボトルの実態が見えてきます。誰しもが持っているバイアスを交わし、協働の真実として合成するプロセスが必要なのだ、ということです。
自分の価値観や見方を疑う
横田 私は大学院でリーダーシップについての研究もしてきたのですが、リーダーシップの大家であるハーバード・ケネディー・スクール(公共政策大学院)のロナルド・ハイフェッツ教授は課題を「技術的課題」と「適応課題」に分けています。
「技術的課題」とは、新しい知識やスキルを身に付ければ解決できる課題のことで、簡単に言えば、校則違反をした生徒に、校則というマニュアルを適用させて罰するようなものです。
これに対してハイフェッツは、21世紀の課題とは知識やスキルを身に付けさせれば済むものではない、自分自身の価値観やものの見方を問い直さないと対応できない課題が増えている、と指摘しています。同じ課題でも、見方によっては変わる。校則違反の話なら、その校則はそもそも何のためにあるかを問い直すことです。これが「適応課題」です。
しかし、自分の価値観や見方を疑うのは、とても難しいことです。フィルターバブル(AIや、アルゴリズムによって、自分が見たい情報しか見えなくなる現象)やエコ-チェンバー(同じような意見ばかりに囲まれることで、特定の意見や思想が増幅される現象)にしても、課題だと捉えている人は案外少ないのではないでしょうか。それは、価値観が同じ人と一緒にいる方が、居心地がいいからです。だからこそ「居心地の悪い第一歩」を意識的に踏み出す必要があります。
山脇さんが編著として出版されている「メディアリテラシー」(2021年、時事通信社)でも紹介されていますが、人間の意思決定には「二重プロセス理論」(*人間の情報処理プロセスを2つに分けるモデルのこと、二重過程理論とも)というものがあるとされています。人間は放っておくと、直感的思考の「システム1」だけで動いて、どんどん刺激的なものにはまっていってしまう。そこで、批判的思考である「システム2」を働かせて、欲望を抑制する必要があります。メディアリテラシーと教育改革は、実は同じことを提唱しているように思います。
山脇 なるほど、興味深いですね。
横田 2018年の教育改革で「公正に個別最適化された学び」(後の「個別最適な学び」)というキーワードが登場しました。この方向性は正しいと思いますが、実際に授業を見学すると、子供たちがウイキペディアの情報をそのままスライドに貼り付けて発表しているような姿も見受けられました。子供たちだけではありません。大人で、十分な知識がある人も、自分と価値観の違う情報を無視してしまいがちになっている。したがって、真の意味で「個別最適な学び」を実現するには、大人にも子供にもメディアリテラシーが必要なのではないでしょうか。
山脇 その話を伺って、アメリカで行われたある調査を思い出しました。ジョセフ・カーン米カリフォルニア大学教授が、米国の15~27歳を対象に、「SNSの投稿について、事実かどうか判断できるか」を調査したものです。政治的な知識を多く持つ若者の方が、自分のバイアスに支配されてしまい、自分のバイアスに反する「事実」について、、事実だと受け入れられない(虚偽だと判断してしまう)、という結果が出ていました。(*ジョセフ・カーン教授 インタビュー)。
わかりやすくいうと、政治経済の科目で、学校の成績の良い子が正しく判断できるとは限らず、むしろ逆かもしれない、という話ですね。メディアリテラシー教育をきちんとと受けていた若者は、自分のバイアスはあるものの、事実を事実として受け入れられるケースが多かったそうです。自分は知識があるとか頭がいいと「過信」することが、落とし穴であるということだと思いますが、メディアリテラシー教育によって、自分を適度に「内省」することができれば、そこを乗り越えられる可能性があります。