石澤 靖治
学習院女子大学 国際文化交流学部 教授・元学長(2011~2017年)
1957年山形市生まれ。立教大学社会学部卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(MPA)、博士(政治学、明治大学)。ワシントンポスト極東総局記者、ニューズウィーク日本版副編集長などを経て、2000年より学習院女子大学助教授、2002年より現職。著書に『政治コミュニケーション概論』(編著、ミネルヴァ書房)、『アメリカ 情報・文化支配の終焉』(PHP新書)、『戦争とマスメディア』(ミネルヴァ書房)など多数。
今から30年近く前のインターネットが登場する直前の時期、新聞、テレビ、雑誌、ラジオなどの「伝統メディア」が元気だったときの話である。その際に日本におけるメディアと世論について、私は訳知り顔でこんな持論を展開して悦に入っていたものだった。それは「日本には世論の二層性がある。調査では新聞やテレビなどのフォーマルなニュースが最も信頼性の高いという結果が出ている。だが、表向きはそう言っていても、本音の部分では、一般には下に見られている週刊誌の見出しに書かれているような見方のほうを支持している。人々はそういう意識を口に出さないものの共有しているはずだ」というものだった。
それは具体的な証拠やデータがあって言っていたわけではない。社会の様々な状況を私なりに見て、感覚的にそのような感じをもっていたからである。この当時、各メディア別の信頼度調査のようなものは日本新聞協会などで行っていたが、データをクロスさせて私の「持論」を導き出すようなことは一般には難しいことだった。もちろん、当時の研究者が自ら調査を行って一定のデータを持っていた場合もあったであろうと思われるが、たぶん規模は限定的だったのではないだろうか。そのような世論調査の環境だったので、私は勝手なことを吹聴することができたのである。
その後私のメディアと世論についての関心の対象は、アメリカ政治や紛争時の国際関係にシフトしていったが、アメリカについては日本と同じような勝手な言いっ放しをすることはできなかった。なぜなら、アメリカでは見事なくらいに多くのところが多種多様な世論に関する調査を行っていたからだ。逆に言えば、それらを使えば自分が問題意識をもつアメリカの世論の動向に関するテーマについて、訳知り顔で(もちろん出典は明示して!)それらの調査データを利用して容易に解説することが可能になった。
前置きが長くなったが、本書「日本の分断はどこにあるのか スマートニュース・メディア価値観全国調査から検証する」の共編著者であり、この本のベースになった「スマートニュース・メディア価値観全国調査(略称:SMPP調査)」の全体の企画から運営を行った山脇岳志氏は、アメリカで行われているような調査を日本で大規模に行い、さらにそれを継続させようという考えをもっていた。現在、スマートニュース メディア研究所所長の任にある山脇氏がそのようなことを思い立ったのは、私が前述したようなアメリカにおける分厚くかつ多くの人が利用可能な世論調査が行われていることに感銘を受けたからだという。
同時に、山脇氏自身が以前勤務していた朝日新聞社の記者としてアメリカに最初に滞在した2000~2003年と二度目の2013~2017年との経験にもよる。というのは後者の時期において、前者の時期とは社会の様相を異にするほど、アメリカ社会における分断と対立の深刻さについて衝撃を受けたことが、この種の調査プロジェクトを行いたいという思いを強くさせたという。つまりそれは日本ではどうなのかという問題意識である。それを検証しようということになって生み出されたのがSMPP調査である。そして本書は、そこで得られた豊富で多角的なデータをもとに、日本社会における分断の有無やその可能性や構造について分析したものである。
だが山脇氏は明確にはふれていないが、私が邪推しているのは、日本においても分断が進行しているのではないかという問題意識、あるいは危機意識が同氏にあったのではないかと思われる。具体的に言えば、2012年12月から2020年9月までの7年9か月という歴代首相として最長の任期を務めた安倍晋三氏が政権にあった際に、「安倍好き」「安倍嫌い」という激しい対立が日本国内に存在した。それは日本にも分断が生まれているように人々に感じさせた。
安倍政権と分断をめぐるこの問題については、山脇氏も執筆者の一人となった本書の第1章の「日米で分極化はどう異なるのか」と、第7章の「首相への好悪は有権者における対立を深めたのか」で、ある程度の回答を示している。ネタバレにならない程度にそれについて紹介すると、第1章では、アメリカにおいては保守とリベラルという形で二分されているが、日本における対立軸はそのようなものではないことを示している。イデオロギーと経済争点についての態度の結果も様々な点で違いがみられ、アメリカとは質的に異なっていることを示している。また共編著者の一人である前田幸男氏(東京大学)による第7章では、安倍氏について「与党政治家からは強く好かれ、野党支持者からは強く嫌われ、そして保守的有権者から好かれ、リベラルな有権者から嫌われる傾向が、ほかのどの歴代首相よりも明確に出ている」(p229)という分析結果を示している。そしてそれはその前後に自民党総裁として政権を担った麻生太郎氏、菅義偉氏に対しても同様の傾向がみられたとしている。
この説明は比較的多くの読者の想像と合致し、受け入れやすい分析かもしれない。しかし本書の面白さというか読みどころは、しばしば読者の想像とは異なった結果が出ているように分析結果に意外性があることや、いい意味でのすっきり感がないことである。順序が後先になったが、それは本書が「SMPP調査」のデータを用いて、それに忠実に客観的に分析したものであるからだ。その中では感覚的に思い込んでいたことが実際は異なっていたり、どちらとも言い切れないという結果がでていたり、また関連すると思われる項目同士でありながら、それらが必ずしも呼応するものでなかったりということもある。先に第7章の記述で安倍氏についての評価に対してクリアな分析がなされていることを示したが、全てそのように述べられているわけではない。例えば調査では岸田文雄前首相に関しては、安倍氏とは異なるデータが出てきており、即座に日本における分極化の進展とみることについては留保をつけている。
さて、本書の構成だが、第一部で「日本の政治的分断の現在地と情報世界の動態」として、日本とアメリカにおける分極化はどのような状況になっているのか、そしてアメリカにおいて生じている分断を構成する要素が、日本ではどのように影響しているのか、あるいは影響していないのかを示している。また第2章と第3章では、新聞やテレビなどの伝統メディアとインターネットメディアが混在している現在において、人々がどのように情報を得て、それをどのように受け止めているかについて述べられている。これも社会の分極化とは大いに関係がある。というのは、アメリカにおける社会の分極化について、新聞やテレビなどの伝統メディアはもちろんのこと、2000年代になってから一般化したソーシャルメディアの影響が大きいと指摘されているからである。事実、アメリカにおける社会の分極化とインターネットの広がりとは時期的にシンクロしている(それについては、社会の分極化が先なのか、メディアが分極化を促したのかについての議論がある)。
したがって、人々のメディアを通しての情報の受容の仕方についての分析は、極めて興味深い点である。本書では人々を年代別に分けてその利用状況のみならず、それぞれのメディアへの年代別信頼度を調査し、また単一のメディアだけでなく、例えば伝統メディアとインターネットメディア両方を積極的に利用しているユーザーについて、どの情報をどのように信頼しているかなども示している。その中で私が意外性をもった分析結果の一つを示すと、インターネットメディアについて若者で信頼性が低く、シニアでは高めの数値を示していることである(第2章)。またインターネットに対して無接触型と伝統メディア中心型の人が低い評価をしているのは当然としても、伝統メディア+ネットニュース接触型の人(とインターネット中心型の人)の場合は、インターネットメディアの評価が高くなっているという結果は考えさせられる(第3章)。
さらに「Yahoo!ニュース」のトップページについての調査結果について紹介したい。日本においてはYahoo!がポータルサイトとして中心的な地位を占めているため、それへの接触率は高い。一方新聞の部数は縮小を続けている。そのためかつては新聞の一面に掲載されたものが、ニュースとしての議題設定機能をもっていたが、それが今ではYahoo!ニュースのトップページが、それにとって代わっているのではないか――そんな考えをもつ人は少なくないのではないだろうか。実は私もそんな気持ちをもっていた。ところが調査で明らかになったことは、人々はその価値は新聞の一面には及ばないと判断しているという。実証的な調査のデータには感服する次第である。
私は非常勤で出講している大学を含めて、伝統メディアとネットメディアが混在している現在の状況について、人々がそれにどのように触れ、受容しているかを客観的に説明するのに苦慮していた。それが本書のこの部分を授業で紹介することで、様々な局面を示すことができると、正直なところほっとしたところでもある。
第二部は「5つの分断軸と日本人の政治意識・行動」というくくりである。この5つの分断軸をいかに定めるかには苦心したのではないかと推測する。というのは、日本社会において分断が生じているかどうかを浮かび上がらせるための軸が適切でなければ、そもそも分析が意味をなさなくなるからである。本書では「イデオロギーによる分断」「政治との距離による分断」「道徳的価値観による分断」「リーダーシップのスタイルによる分断」「政治や社会に対する見通しと評価による分断」を軸としている(第4章から第8章までのサブタイトルとして示されている)。一読した感想としては、概ね適切な分類だったと思われる。
「イデオロギーによる分断」については、第1章でも示したように(その分析のアプローチは異なるが)対立はそれほど広がっているわけではないと分析する。また現状の政治対立が、ある程度は政党対立構造と結び付いてはいるものの、それだけに結びついているものではないことを導き出している。中では「男性・女性」「経営者・労働者」「都市・地方」など対立する8つのカテゴリーに分類しているが、その中でジェンダー対立と労使対立が浮かび上がっている。これも調査による新規の発見であろう。
「政治との距離による分断」でも意外な日本社会の姿を浮かび上がらせている。この調査では、政治に関与する人と関与しない人が、政治に対してどのようなスタンスをとっているかを問題にしている。一般には政治に関与しない人は、政治状況に対して特段の影響を持たない層であると考えられがちである。しかしそうではないという結果を導き出している。確かにそうした人は政治参加や政治知識が低く、自らのイデオロギーも深く認識しない。ニュースへの接触も低い。ところが、現政権の業績評価が高く、統治への不安も低い。一方、ニュースに対する信頼度は高い。そうした人たちは権威主義的な政策への賛成が高いといった保守的な傾向を示している(p169)。この結果について拒否感や危機意識をもつ人もいるだろうが、これが調査があぶり出した実際の姿である。
「道徳的価値観による分断」の分析も興味深い。これは個人志向と連帯志向がイデオロギーや政策争点に対する態度や、諸外国への嫌悪とどう関係するかの分析を試みたものだ。ここでは個人志向が同性婚や移民受け入れに肯定的ないわばリベラル的な傾向を示し、連帯志向の人たちは否定的という結果は予想されたものだが、北朝鮮やロシアに対して個人志向の人は否定的で、連帯志向の人は肯定的な側面をもつというのは、私の想定とは異なっていた。さらにこの分析では日本固有の神聖観が社会的態度に及ぼす影響にも発展させており、日本の「穢れ観」が社会的分断に関係する可能性を示唆していることは新鮮である。
「リーダーシップによる分断」については「首相への好悪は有権者における対立を深めたのか」のところで説明したので割愛し、最後の「政治や社会に対する見通しと評価による分断」について。この章は、冒頭の第1章が本書のイントロだとするならば、3人の共編著者の一人である池田謙一氏(同志社大学)による全体の総括的な部分であり、大きなテーマで締めくくっている。この章では、日本という国の将来の統治に対する不安がどのような形で社会の分断についての認識と結びついているのか、またその中でインターネットを含む各種のメディアとの接触における情報環境が、どのような役割を果たしているのかを包括的に分析している。
そこでは、日本人が社会的な分断や対立を複合的な対立として認識していること、社会の分断を認識すれば統治に対して不安感をもち、認識が低ければ不安感も低下することが示されている。この分析結果は予想しうるものだが、メディアとの関連では踏み込んだ分析がなされている。例えば伝統メディアによる情報環境では投票参加が促進され、インターネット系の多重的なメディア接触環境では投票「外」政治参加の機会が増大する。さらに伝統メディアとインターネットの双方に接触する情報環境においては、社会の対立を強く認識させ、そのことによって投票参加を促進させる可能性があるという、改めて深く考えさせられる視点が提供されている。
私はSMPP調査がまとまった際にその調査結果をみて、もちろん素晴らしいものができたと感じ入ったし、多くのものを知り得たという実感があった。それで満足したつもりだったが、やはりそれをもとに文章化した書籍を読むと、いっそう理解が深まっただけでなく、データの読み方についても多くの教示を得た。
SMPP調査は10年間続けるとのことである。それによってこの調査が日本社会の分析についてのインフラ(社会的基盤)になり、日本における社会や世論の分析の研究が進展することを心より期待する次第である。また本書の続刊も期待するところだ。そうなれば、30年前に勝手に持論を言いっ放しにしたような私のような輩も駆逐されるはずである。
書籍概要
タイトル:日本の分断はどこにあるのか スマートニュース・メディア価値観全国調査から検証する
出版社:勁草書房
発売日:2024年10月16日(水)
価格:4,290円(税込)
著者:池田 謙一/編著、前田 幸男/編著、山脇 岳志/編著
小林 哲郎/藤村 厚夫/大森 翔子/遠藤 晶久/田部井 滉平/笹原 和俊/松尾 朗子(執筆順)