小林哲郎
香港城市大学メディア・コミュニケーション学部准教授
1978年東京都生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(社会心理学)。国立情報学研究所を経て現職。専門は政治コミュニケーション、政治心理学、世論研究。
ネット以前のメディア環境と現在のメディア環境の最大の違いは選択肢の数である。マスメディアが主なニュース源であった時代には少数のテレビチャンネルとラジオ、新聞、雑誌などに選択肢が限られていたが、ケーブルテレビの登場とネットの普及以降、人々が接触可能なニュース源の数は圧倒的に増加した。そもそもニュースに関心のない人はエンターテイメント専門のチャンネルやサイトを選択的に利用することができるし、ニュースに関心のある人はニュース専門のチャンネルやオンラインニュースでマスメディア以上に深堀した情報を得ることも可能である。こうしたメディア環境は、高選択(high-choice)なメディア環境と呼ばれる。
高選択なメディア環境が生まれたと同時に、1980年代以降の規制緩和の流れを受けて党派的なメディアが生まれた。たとえばアメリカでは1980年代末のレーガン政権による規制緩和によってフェアネスドクトリンと呼ばれるメディアの政治的中立性を義務づける規制が取り除かれた。その結果、FOX Newsなどの党派的なメディアが生まれる余地が生じ、高選択かつ党派的なニュースメディア環境が出現した。
こうした環境では、中立的なメディアに加えて党派的な傾向が明確なメディアが市場のニッチを占めることになり、党派性の強い視聴者は自らの党派性と一致するメディアに選択的に接触することが可能になった。つまり、保守的な党派性を持つ人はCNNよりもFOX Newsを選択的に視聴するといった傾向である。
こうした党派的な選択的接触の存在は1940年代から指摘されていたが、高選択なメディア環境が出現したことで再び集中的に研究されることとなった。その背景として、党派的な選択的接触が広がることで、人々が自身の党派性と一致するメディアにばかり接触し、異なる党派の意見や考え方に接触することが難しくなってしまうのではないかという懸念がある。そして、自分と同じ政治的立場から報道されたニュースばかりに選択的に接触してしまうと、いわゆる「エコーチェンバー」と呼ばれるような情報環境が形成され、これが政治的極性化やいわゆるフェイクニュースの原因の一つとなっているのではないかと考えられている。
実際、アメリカを中心とした政治コミュニケーション研究では党派的な選択的接触を示す研究結果は多い。たとえば、スタンフォード大学のシャント・アイエンガー教授らによる研究では、ニュースヘッドラインに付けられたニュースメディアのロゴを実験的に操作することで、人々の党派的な選択的接触の程度を明らかにしている[1]。
図1に見られるように、共和党支持者は、同じニュースヘッドラインであっても、FOX Newsのロゴが付与されていると、ロゴが無い場合やCNNやNPRのロゴが付与されている場合よりも、そのニュースを選択して読む確率が高まる(縦軸がニュースの選択率)。同様に、民主党支持者は、CNNやNPRのロゴが付与されていると、ロゴが無い場合やFOX Newsのロゴが付与されている場合よりも、そのニュースを選択して読む確率が高まる。
こうした傾向は政治ニュースだけでなく(図1中のHard News)、スポーツやエンターテイメントニュースのヘッドラインでも見られることが分かった(図1中のSoft News)。非実験的な状況においても、政治ブログのハイパーリンク構造を解析した初期の研究や[2]、政治的なツイートのリツイートネットワークを分析した研究などにおいて[3]、ソーシャルメディア上でのコミュニケーションは党派性によって分断されており、同じ党派性を持った人々がいわば「内輪のコミュニケーション」を取る傾向がはっきりと示されている。
それでは、日本でも同様に党派的な選択的接触が見られるのだろうか。まず、新聞読者の選択的接触を検討した研究では、明確な選択的接触は見られなかった[4]。
この研究は、代表性のある全国サンプルを使って、主要新聞の読者の党派性を調べたものである。紙の新聞の読者数は年々減少しているが、このことによって政治的関心や党派性の強い読者の占める割合が増え、結果的に保守的な論調の新聞の読者に保守的な人々が多くなり、リベラルな論調の新聞にリベラルな人々が多くなる可能性が想定された。しかし、たとえば朝日新聞の読者が明確にリベラルな人々に偏っているというような傾向は、少なくともこの研究からは明らかではなかった。産経新聞の読者はやや保守的な傾向が見られたが、アメリカで見られるような明確な分断には程遠い。しかし、この研究は読者の政治的傾向を革新(リベラル)から保守までの1次元のイデオロギー尺度で測定しており、こうしたやや単純化された測定が日本の有権者の特徴をうまくとらえきれていない可能性は残る[5]。
次に、ツイッター上でのニュースメディアのアカウントをフォローしている人の研究を紹介する[6]。この研究は、ツイッター上で国会議員を少なくとも一人フォローしているユーザに限定し、それらの人がどのようなメディアカウントをフォローしているかを調べたものである。国会議員のフォローパターンから60万人以上のユーザの政治的特徴を社会調査データと機械学習を用いて推定し、各メディアのフォロワーごとにその特徴を見ると、ここでもやはり選択的接触に基づく明確な分断は見られなかった。
産経新聞のフォロワーはやや保守的、東京新聞のフォロワーはややリベラルである傾向は見られたものの、これらのアカウントのフォロワー数自体が少なく、明確な分断とまでは言えない。朝日新聞と読売新聞はそれぞれリベラル、保守的な論調を持つ新聞であると見られることが多いが、これらの新聞のアカウントを重複してフォローしている人は多く、党派的に相容れない論調の新聞をフォローしない(選択的回避)という傾向も見られなかった。
こうした研究から、日本ではそもそも党派的な選択的接触が生じにくいのだろうかという疑問が生じる。こうした疑問に答えるため、疑似ニュースサイトを用いた実験を日本、香港、アメリカの3地域で行った。
各地域で約900人程度の実験参加者をオンラインで募り、まず様々な調査項目への回答を求めた。次に、8つのニュースヘッドラインが提示される疑似ニュースサイトへ誘導され、1分半の間自由にニュースを閲覧することを求めた。8本のヘッドラインのうち、4本は各国の首脳(安倍晋三首相、キャリー・ラム行政長官、ドナルド・トランプ大統領)に関するものであり、残りの4本はスポーツやエンターテイメントなど政治とは関係のないものだった。図2に日本バージョンの画面を例示した。
4本の首脳に関するニュースのうち、2本は各首脳に対する好意的なヘッドライン、残りの2本は批判的なヘッドラインであった。一分半の間にどのようなヘッドラインをクリックして、どのくらいの時間をかけて各記事を読んだかが自動的に記録された。疑似ニュースサイトへ誘導される前に調査項目への回答として測定された各首脳に対する支持・不支持のデータと組み合わせることで、自分の態度(各首脳を支持するか否か)と一致する記事を閲覧したのか、相容れない記事を閲覧したのかを指標化することができる。
たとえば、安倍首相を支持している実験参加者の場合、安倍首相に対して好意的な記事への接触は態度と一致する記事への接触である。安倍首相に好意的な記事は2本提示されるので、態度と一致する記事の閲覧数は、0, 1, 2のいずれかの値を取ることになる。同様に、態度と相容れない記事への接触も0, 1, 2のいずれかの値で数値化される。これらの2種類の接触の平均値を、3地域ごとにプロットしたものが以下の図である。
アメリカでは、態度と一致した記事への接触数の方が相容れない記事への接触数よりも多く、この差は統計的に検定しても有意である。つまり、トランプ大統領の支持を軸とした選択的接触が生じていることを示している。
一方、日本はこうした差がほとんど見られず、統計的に見てもこの差は有意ではない。香港は日本とアメリカの中間的な結果を示した。この結果が示しているのは、アメリカでは先行研究と同じように党派的な選択的接触が安定的に見いだされるのに対して、日本ではそうした傾向が見られないということである。
しかし、この結果は用いられたニュースヘッドラインによってたまたま得られたものかもしれない。異なるヘッドラインを用いても同じ結果になるのかどうか、ほぼ同じデザインで再度3地域で実験を行った結果が下の図である(香港はキャリー・ラム行政長官からジャスパー・ツァン前立法会主席に変更)。
ヘッドラインを変えた実験であっても、やはり日本では選択的接触は見られず、アメリカでは安定して見られた。この文化差はおそらく偶然ではないのだろう。
では、なぜ日本では党派的な選択的接触が生じにくいのか。1つの仮説は、日本人は何らかの理由によって態度と相容れない記事を読んでも認知的不協和が生じにくいというものである。
認知的不協和は、自分の態度と相容れない記事へ接触することで生じる、いわば認知的な「不快感」のことである。自分の態度と相容れない記事へ接触しても認知的不協和が生じないのであれば、選択的接触が生じる余地は無いだろう。
そこで、先に紹介した追試の最後に、4つの政治的リーダーに関する記事を改めて実験参加者に提示し、それぞれの記事について「この記事は私の意見と異なる 」「この記事を読んで不快な気持ちになった」「この記事が好きだ」(最後の項目は反転尺度)の3項目で認知的不協和を測定した。これを日米で比較してみると、むしろ日本のほうがアメリカよりも自分の態度と相容れない記事への接触で生じる認知的不協和のレベルは高いことが分かった。
つまり、日本人は「不快感」を感じつつも、自分の態度と相容れない記事へ接触していることになる。したがって、日本人は自分の態度と相容れない記事へ接触しても認知的不協和が生じないから選択的接触が生じないのだという説明は成り立たないことになる。
この認知的不協和仮説のほかにも、マスメディアに対する信頼の差やメディアをめぐる諸制度、政治状況など様々な原因の可能性が考えられる。例えば、日本はアメリカよりもマスメディアに対する信頼が高いことが、自分の態度と相容れない記事への接触を促しているのかもしれない。こうした様々な考えうる原因について検討を続けることで、日米差を説明できるようになるだろう。
[1] Iyengar, S., & Hahn, K. S. (2009). Red media, blue media: Evidence of ideological selectivity in media use. Journal of Communication, 59(1), 19-39.
[2] Adamic, L. A., & Glance, N. (2005). The political blogosphere and the 2004 US election: divided they blog. In Proceedings of the 3rd International Workshop on Link Discovery (pp. 36-43).
[3] Conover, M., Ratkiewicz, J., Francisco, M. R., Gonçalves, B., Menczer, F., & Flammini, A. (2011). Political polarization on Twitter. Proceedings of the Fifth International AAAI Conference on Weblogs and Social Media, Barcelona, CA: The AAAI Press, 89–96.
[4] 小林哲郎・竹本圭祐 (2016). 新聞読者は極性化しているか. 日本世論調査協会報 「よろん」, 117, 22-26.
[5] たとえば、Japan Election Study 3では、「ところで、よく保守的とか革新的とかという言葉が使われていますが、あなたの政治的な立場は、この中の番号のどれにあたりますか。0が革新的で、10が保守的です。1~9の数字は、5を中間に、左によるほど革新的、右によるほど保守的、という意味です。」という質問でイデオロギーが測定されている。
[6] Kobayashi, T., Ogawa, Y., Suzuki, T., & Yamamoto, H. (2019). News audience fragmentation in the Japanese Twittersphere. Asian Journal of Communication, 29(3), 274-290.