広島県教育委員会教育長の平川理恵さんは、内申書を簡素化した公立高校入試改革、バカロレア教育を導入した全寮制の公立中高一貫校設立や不登校対策など、さまざまな改革で知られる。民間からの登用で、女性初の公立中学校の校長も経験した平川さんに、メディアリテラシーの基本ともいえる「クリティカルシンキング」について聞いた。
(「メディアリテラシー 吟味思考(クリティカルシンキング)を育む」(時事通信社)の座談会での発言に加え、広島県教育委員会で追加インタビューを行い、再構成したものです)
広島県教育委員会教育長 平川理恵
同志社大学卒業後、リクルートに入社。1998年南カリフォルニア大学経営学修士(MBA)取得。留学仲介会社を起業後、2010年、女性としては全国で初めて公立中学校の民間人校長(横浜市立市ヶ尾中学校)に就任。2018年4月から現職。著書に「クリエイティブな校長になろう――新学習指導要領を実現する校長のマネジメント」(教育開発研究所)など。
多様性があってこその民主主義
日本の保育園・幼稚園などを見学すると、子供たちが、活発に手を上げて、自分の意見を先生やクラスメイトに話している様子を見かけます。この学齢の活発さは、海外の子供たちと変わりないと思っています。
ところが、小学校に入って学年が上がるにつれて、積極的に手を挙げる子供は減り、必要以上に、まわりの「空気を読む」ようになってきます。
なぜか?それは、そう躾けられるからです。異を唱えることが、是とされていません。きっと大人の社会でもそうではないでしょうか。そういう教育で育ってきたのです。「同調圧力」が強すぎることが、日本の教育の根本的な問題点だと思っています。これは結局のところ、大人の価値観が、教室にも反映されているということだと思います。
先生たちは、まだまだ、1つの「正解」を教えるスタイルの授業を行っています。そうではなくて、先生たちには、子供たちに「多様・多面的思考」をつける手助けをしてもらいたいな、と。
「多様・多面的思考」とは、すなわち、クリティカルシンキングです。「批判的思考」と訳されることが多いが、私は「批判的思考」という言葉は誤解を招きがちなので、使わないようにしています。
クリティカルシンキングのスキルを身につけることこそが、未来がどうなるかわからない、どんな職業が消えたり生まれたりするのかわからない、この不確実性が強い時代に必要なことだと思うのです。
クリティカルシンキングは、トピックスのつかみ方や、探究の仕方、意見の伝え方、プレゼンの仕方など、生徒たちの成長に欠かせない能力を身に着けるためにも必要です。
それに、実際問題、クリティカルシンキングを取り入れた授業のほうが、子供たちにとって、面白いんですよ。正解がないテーマについて、議論するほうが、子供たちは燃えてきます。
日本の先生たちは、物議をかもすような話題を、教室で取り上げることを避ける傾向にありますが、正解はなくていいので、どんどん取り上げて、生徒たちから、様々な意見を引き出してほしいですね。
違う意見があり、多様性があってこそ、民主主義が担保されると思うのです。目にみえない「同調圧力」というのは、全体主義にもつながりかねないと思います。
国語の授業が「情緒」に偏りすぎている
クリティカルシンキングとの関連で、いまの国語の授業の在り方について言っておきたいことがあります。
国語では教材として説明文と小説を使いますが、私は説明文をより活用してロジカルな考え方をもっと学ばせなければいけないと思っています。
小説の授業は、心情の読み取りに偏り過ぎていると思います。
クリティカルシンキングと切り離せない論理性を身に着けることは、生徒にとってとても大切です。そのためには、文章が伝える情報が正しいものかどうかを、自分の頭できちんと評価、判断できるようになる必要があります。
しかし現状は、「ネットに書いてあることはみんな正しい」と受け止めている児童、生徒が決して少なくありません。
「探究学習」が深まらない原因は、ロジカルシンキングの欠如にあると思っています。小学校も中学校も高校も、例えば、「総合的な学習(探究)の時間」で様々なテーマに取り組んでいますが、ロジカルシンキングを育む授業をしていないため、多くは表層的な部分にしか触れることができず、薄っぺらな「自己主張」で終わっていることが多いと思います。
高校でしっかりものを考えることができるようにするには、小・中学校の段階から第1次情報と第2次情報の違いをきちんと理解できるようにしておくことが必要です。
国語が情緒的な授業に偏っていることが、「探究学習」が深まらない要因になっていると考えております。
広島県の教育改革
広島県では、私が教育長になる前から「学びの変革」を掲げ、クリティカルシンキングを活用した「主体的・対話的で深い学び」への変革に取り組んでいます。
例えば国際バカロレア(IB)教育を実践している県立の中高一貫校である広島叡智学園を2019年に開校しました。
バカロレアは、ほとんどの授業がクリティカルシンキングで成り立っています。小学校であれば、対話、遊び、仕事(学習)、催しの4つの活動を循環させながら学びを進めていく「イエナプラン」もクリティカルシンキングにつながります。これについては、福山市教育委員会が福市立常石小学校で2022年4月に開校する準備を進めています。
これ以外にも、広島県では2020年から、「商業アップデート」に取り組み、県内4つの商業高校で1週間に1回、4時間連続の「ビジネス探究プログラム」というPBL(課題解決型学習)を行っています。これもクリティカルシンキングの実践です。
このプログラムを作るために、商業高校の先生たちを米国ロサンゼルスのビジネスハイスクールの視察に連れて行きました。タトゥーをしたり、髪の毛をオレンジ色にしたりした現地の生徒たちが、エネルギッシュな授業を生き生きと受けている姿を見て、「広島県も負けちゃおれん」と導入を決断しました。先生たちと相談の上、PBL(課題解決型学習)のテーマとして「人はなぜ生きるのか」という大命題を掲げました。「難し過ぎないか?」という不安もありましたが、実際にやってみたら生徒たちがすごく燃えてくれました。
向こうで実際に使っていたテキストを、英語の勉強のために少し英語を残して使ったが、そもそも生徒の日本語読解力が足りませんでした。でも生徒たちが「国語の授業を頑張る」と言ってくれたので、国語の先生にも参加してもらいました。さらに、ビジネスなので数学の先生も加わるという連鎖反応が起きて先生たちにも火がつき、1学期40時間かけてやり遂げることができました。
さきほど、学校現場に多様性が担保され、子供たちが異なった意見を堂々と言える環境が大事という話をしました。
この点については、教育委員会も、同じだと思うんですよ。「異なる意見を言うことはいいことだ」といえるような雰囲気を作ろうと努力しています。
私が教育長に着任したばかりのとき、秘書係長に「これについて、どう思う?」と聞いたら、「え?」って、とまどわれました。伝統的に、秘書は黒衣として、資料は用意するけど、意見は言わないものだったそうです。
役所はそういう面があるかもしれませんね。
ただ、私は、「一番身近にいて、色々と事情がわかっているわけだから、意見を言ってくれたほうが良いんじゃない?」と伝えました。その後、意見を言ってくれるようになって、とても助かりました。
これからの教育は、「寺子屋」を参考に
日本の学校は江戸時代の「寺子屋」を参考にすべきではないかと思っています。かつての寺子屋では、異なる年齢の子が一緒になって学びました。年上の子が年下の子を教え、しかも議論もかなりしていたようです。お互いに議論や問答をして、民主的に話し合うことを学校で学んでいく。次に目指すのは、そういう段階なのではないかと思います。
現状は、大人の世界でも本当の意味で民主主義的な話し合いが成立していない場合が多い。対話も十分にできていません。それをフラットでフランクなコミュニケーション、オープンなコミュニケーションにしてくれる可能性を持つのがインターネットであり、DX(デジタルトランスフォーメーション)なのだろうと思っています。
生徒が学ぶときも、DXであれば、だれが何を勉強しているのか分からないところがいいと思います。リアルな教科書だと、3年生の教科書を使っている子は、5年生の教科書をやっている子から「おまえ、まだ3年生をやってるのか」と冷やかされることがあるかもしれません。そうした心配をすることなく、それぞれのレベルに合わせて学んでいくことが、生徒の力を伸ばすことになります。そう考えていくと結局、教科書をどうするかという問題に突き当たる。いまの教科書の在り方も抜本的に変えていくべきだと思います。
教育の在り方については、私自身、全然分からないことだらけで、悩ましいことばかりです。みんなで悩みながら考えていくしかありません。そうした中で、メディアリテラシー教育を上手に取り入れることができればと思っています。
どのような改革をしていくにしても、学校とは、子どもたちが自立を学び、社会に出るための準備をする場所であるという基本を忘れてはならないと思います。
子どもたちには、将来いろいろなコミュニティーに出入りしながら楽しく豊かな人生を歩んでもらいたい。学校は、子どもたちにとって、その準備をするための「小さな宇宙」であり続けてほしいと願っています。
座談会は、「メディアリテラシー教育の現在地と未来」というテーマで、2021年10月、平川教育長、合田哲雄・内閣府科学技術・イノベーション推進事務局審議官、上田祥子・埼玉県立初雁高校教諭をお招きし、スマートニュース社で実施しました。詳しい内容を知りたい方は、「メディアリテラシー 吟味思考(クリティカルシンキング)を育む」の第4部(358頁〜382頁)をご覧ください。