もう20年前になるが、筆者が川崎市の公立中学校教諭だったときに、2年生の国語の授業で、テレビドラマの脚本を基に絵コンテを描く課題を出した。『北の国から』のワンシーンを、6コマの絵コンテで表現するのである。班ごとに絵コンテを製作し、その意図をプレゼンテーションした後、実際に放送されたドラマを視聴して感想交流を行なった。
セリフから登場人物の気持ちを想像し、カメラワークを考える活動は、話し合いも盛り上がり、楽しいものになった。普段は席を離れて歩き回ってしまうことの多かった男子生徒が、この授業は着席して、積極的に参加したほどである。映像メディアの教材としての魅力を発見することができた。
この授業の後、カナダ・オンタリオ州教育省の『メディアリテラシー マスメディアを読み解く』を読み、同様の実践を見つけた1。そのとき初めて、これがメディアリテラシーの授業なのだと気づいた。その後、内地留学で修士課程に進み、メディアリテラシーの研究に取り組んだ。
本稿では、2回にわたり、日本の学校教育の場で、メディアリテラシーがどう広がってきたかについて概観する。前篇ではまず、中学校の国語科教育を中心にみていく。
中村 純子
東京学芸大学人文社会科学系日本語・日本文学研究講座国語科教育学分野 准教授
2012年 東京学芸大学大学院 連合学校教育学研究科学校教育学専攻 博士課程 修了。博士(教育学)。川崎市公立中学校教諭として約30年教鞭を取った後、現職。専門は国語科教育学、メディアリテラシー教育、国際バカロレア教育。共著書に『メディア・リテラシーの教育―理論と実践の歩み』(渓水社)など。
GHQが導入したメディアリテラシー
日本の学校でメディアリテラシー教育が始まったのは昭和22年(1947年)であるというと、意外に早いと驚く方がいるかもしれない。第二次世界大戦後、アメリカからマッカーサー元帥が派遣され、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導による日本の占領政策が始まった。このとき、日本国民に民主主義を教育すべく、アメリカ教育使節団が派遣された。
戦後初の学習指導要領は、この使節団から提示された「コース・オブ・スタディ」の翻訳から始まっている。これは、当時のアメリカの先端的な教育理論であるジョン・デューイの経験主義学習をベースとしたものであった。
こうして昭和22年(1947年)に告示された学習指導要領(試案)には、民主主義社会につながる授業課題が示されていた2。中学3年生の国語科の学習指導要領には、メディアからの影響を分析する単元が掲載された。テーマは「われわれの意見は、他人の意見によって、どんな影響をこうむるか」となっていた。
その中の「二 内容(範囲と順序)」では、授業全体の流れを次のような発問で示している。
二 内容(範囲と順序)
(一) 民主政治では、各個人の意見が、なぜ大切であるか。
(二) 世論とは何か。また、民主政治においてなぜ大切であるか。
(三) 子どもの意見は、いかに両親から影響されるか。
(四) 子どもの意見は、学校で同級生や先生からいかに影響されるか。
(五) われわれの意見は、読む本によっていかに影響されるか。
(六) 人々はなぜ他人の意見に影響を与えようとするのか。
1 実業家はなぜそうするか。
2 広告する人はなぜそうするか。
3 新聞や雑誌を編集する人はなぜそうするか。
4 雇主はなぜそうするか。
5 労働組合の指導者はなぜそうするか。
6 各種団体の長や議員などの候補者はなぜそうするか。
(七) 個人および団体は、他人の意見に影響を与えようとして、いかなる方法を用いるか。
1 新聞か。 2 公開演説か。 3 雑誌か。 4 ラジオか。
5 会話か。 6 パンフレットか。 7 映画か。 8 ポスター・宣伝びらか。
(八) 宣伝とは何か。
(九) われわれは宣伝をいかに弁別するか。
(十) 批判的判断とは何か。また、それをいかに用いるか。
(三)(四)で、自分の考えに影響を与える人として、日常生活で接する両親、先生、友人の意見について考えることから始めている。さらに(六)で、社会を構成する立場の実業家、広告主、メディアの送り手、雇用主、労働組合や各種団体のリーダーの意見の分析へと広げる。
中学生にとって、こうした立場の人々に直接会って意見を聞く機会は少ないはずだ。こうした人々の意見を知るのは、メディアを通してである。そこで(七)の段階で、当時の日常生活のあらゆるメディアを取り上げ、情報伝達の方法を分析する。
(八)と(九)では、「宣伝とは何か。」を考える。これは大衆の意見を操作するプロパガンダのことである。最後に、プロパガンダを弁別し、批判的判断の用い方を考えさせる。これはまさに、メディアリテラシーそのものだといえる。
さらに、この10段階の授業の流れをふまえ、22の学習活動の例が挙げられている。そのうち18番目の例では、雑誌記事に対する問いの立て方が示される。
(十八) 雑誌のうちで、事件の半面のみを述べていると思われる記事を読むこと。学級において、この記事について次のことを調べてみよ。
1 誰が記事を書いているか。
2 筆者の職業と地位は何か。
3 かれは事実を知ることのできる地位にあるか。
4 かれが述べている意見が受け入れられたばあいに、得をすることになるのは、筆者ひとりか、その雇主なのか。
5 筆者は直接えた情報を述べているのか、あるいは、たんに人から聞いたことを述べているのか。
6 その人は綿密にして、正確な観察ができる人か。
7 かれが今までに書いたものは公正なものであったか。
8 かれは、真相をすべて述べる自由があるのか。それとも真相を述べればかれの職務や地位がおびやかされるのか。
9 かれは、なぜこの記事を書いているのか。
10 この事件の他の半面については、どこで知ることができるか。
報道記事・雑誌記事・演説等に、ときどきこの調査の方式を用いてみよ。
これらの発問は、メディアの送り手の意図をかなり深く掘り下げて問い直している。雑誌記者の取材力、公平公正な立場をとれる人かどうかを分析するには、その記者が書いてきた他の記事も見比べることが必要だ。さらに、記事の公表がその記者の地位にどんな影響を与えるのか、というかなり穿ったことまで考えるように示唆している。
これらは記者個人の立場に焦点をあてた問いで、署名記事でないと分析は難しい。しかし、その記事を掲載している企業の立場を問い直していけば、現代の授業でもそのまま活用できる発問である。
昭和20年代の国語の教科書は、アメリカに倣って「文学編」と「言語編」の2分冊であった。この「言語編」の教科書に、メディアを扱う教材が充実していた。新聞、ラジオ、映画、広告のメディアごとの特性や、制作方法に関する具体的な解説があったのである。
前述のように、アメリカ教育使節団が導入した教育理論は、教育学者・哲学者であるデューイの経験主義をベースにしていた。だから、メディアに関する授業でも、学習者が実際に制作体験を通して言葉の力を育むという手法がとられていた。
しかし当時は、このアメリカ式の手法に反発する教師も多くいた。
そもそも、経験から協働的に学びを深めるという指導の理解ができていなかった。活動ばかりしていて知識を蓄える勉強をしなくなり、学力が低下すると危惧され、「這い回る経験主義」と揶揄された。
また、国語ではアメリカから押しつけられたものを学ぶより、国民文学として万葉集を教えるべきだ、といった動きもあった3。
メディアリテラシーについて教科書に掲載されていたからといって、授業が盛んに行なわれていたわけではなかったのである。しかし、少なくとも当時の中学生は、メディアについての説明文に触れる機会はあったといえる。
アメリカ教育使節団の指導は、昭和26年(1951年)版の学習指導要領まで続いた。その後、占領政策も終わり、日本の教育学者による昭和33年(1958年)版の学習指導要領が告示される。教科書改訂はその後だから、筆者の調査では昭和36年(1961年)までの中学校の国語科教科書で、メディアに関する教材が扱われていた。
1980年代は特に低迷、情報社会のニーズから復興
昭和33年(1958年)版の中学国語科の学習指導要領では、社会生活につながる「新聞」「ラジオ」を使った言語活動から、「学校新聞」「校内放送」を適宜活用するようにと、置き換えられた。
昭和43年(1968年)版の学習指導要領では「発表、報告、説明」とさらに抽象度が増し、メディアに関する語彙はなくなった。
昭和36年(1961年)から52年(1977年)にかけては、新聞やテレビといったマスコミの影響を危惧する説明文が掲載されるようになる。昭和52年(1977年)に告示された中学国語科の学習指導要領では、指導領域が「表現」と「理解」という、抽象度の高い構成になる。
昭和53年(1978年)から63年(1988年)にかけては、中学校国語科教科書からメディアに関する教材はほとんどなくなった。メディアリテラシー教育の可能性が、最も遠のいた時期である。
平成期にはいると、コンピュータの普及とともに、情報教育の必要性が叫ばれるようになる。
平成元年(1989年)版の学習指導要領では、社会科公民に「情報と社会」が、技術科では「情報基礎」という指導領域が加えられた。
その流れを受け、平成10年(1998年)版の中学国語科の学習指導要領では、「読むこと」の指導領域に「情報」という語が導入され、「必要な情報を集めるための読み方を身につけること」が求められるようになった。
平成12年(2000年)には、菅谷明子の『メディア・リテラシー 世界の現場から』(岩波新書)が教育界に大きな影響を与えた4。イギリス、アメリカ、カナダで実践されている、メディアをクリティカルに読み解き、表現する授業の具体が示されていたためだ。それをヒントに授業開発が盛んに行なわれ、メディアリテラシーに関する出版ブームが起こった。
国語だけでなく情報教育の分野など、様々な教科がメディアリテラシーを取り上げた。私も学校現場の先生方と勉強会を開き、実践事例を集め、『メディア・リテラシーを育てる国語の授業』(2001)5や『国語科メディア教育への挑戦』(2004)6などの出版に関わった。
また、この頃から海外のメディアリテラシー教育理論が翻訳されるようになった。特に、鈴木みどり編(2003)『Study Guideメディア・リテラシー〔ジェンダー編〕』(リベルタ出版)で、レン・マスターマンの「メディア・リテラシー 18の基本原則」をふまえた8項目が紹介され、授業作りの参考になった7。
1.メディアはすべて構成されている。
2.メディアは「現実」を構成する。
3.オーディアンスがメディアを解釈し、意味をつくりだす。
4.メディアは商業的意味をもつ。
5.メディアはものの考え方(イデオロギー)や価値観を伝えている。
6.メディアは社会的、政治的意味をもつ。
7.メディアは独自の様式、芸術性、技法、きまり/約束事(convention)をもつ。
8.クリティカルにメディアを読むことは、創造性を高め、多様な形態でコミュニケーションをつくりだすことへとつながる。
この8項目は、メディアの特性についての普遍的な原理を示している。どんなメディアにも当てはまり、メディアリテラシー授業作りの指標となるものだ。
バッキンガム(2006)『メディア・リテラシー教育 学びと現代文化』8や、マスターマン(2010)『メディアを教える―クリティカルなアプローチへ』9といった理論書も翻訳され、メディアリテラシー教育の考え方や背景がわかってきた。
2000年代から中学の国語教科書に定着
前項で紹介したように、メディアリテラシーの出版ブームなどの動向が影響したのであろう。平成18年(2006年)から、中学校の国語科教科書ではメディアリテラシー教材が定着していく。菅谷明子『メディア・リテラシー 世界の現場から』を引用した説明文が2つの教科書に掲載され10、東京大学大学院情報学環の水越伸「メディア社会を生きる」が光村図書の中学3年生の教科書に掲載された11。
中学校の国語科教科書は5つの出版社から出されているから、日本の中学生の6~7割は、メディアリテラシーを学ぶ機会を得たと言えよう。
それ以降、国語科の教科書ではメディアリテラシーに関する教材が定着していく。小学校では、下村健一「想像力のスイッチを入れよう」12、中学校では池上彰「ニュースの見方を考えよう」13、菅谷明子「情報社会を生きる」14はすっかり定番教材となった。高等学校では、「国語総合」「国語表現」という教科で、メディアに関する評論やメディアについて考える単元が定着した。現代評論を読む上で、「メディアリテラシー」という語は重要キーワードである。高校国語科の全59冊の教科書中、14冊で解説が掲載されている。
そして平成29年(2017年)、新たに学習指導要領が改訂された。現在使われているこの学習指導要領では、変化が激しくグローバル化が進展した21世紀に対応した資質・能力を育むべく、新たな指導方略が示された。アクティブ・ラーニング、主体的対話的深い学びである。
教師からの一斉指導によって受け身的で暗記中心の勉強をするのではなく、生徒が主体的に協働的に取り組む活動を通して、知識の活用の仕方を理解し、学び続ける姿勢を育むことが目指されている。まさに、デューイの経験主義の再来ともいえる。
とはいえ、中高生のときにメディアリテラシーを習ったことがないからと、授業で取り上げることを戸惑う教師もまだ多い。せっかくメディアリテラシーを扱った説明文も構成や根拠となる引用事例を分析するだけで、発展課題でメディア情報の制作や分析に取り組まないケースも多い。しかし、今、GIGAスクール構想も打ち出され、授業でのICT活用がうたわれている。インターネットを活用した情報検索や、写真や動画の撮影・編集が自在にできる環境が整えられつつある。これは、新たなメディアリテラシーの授業を作るチャンスともいえよう。教師自身のクリティカルでクリエイティブな授業作りのセンスが発揮されることを期待したい。
注
1 カナダ・オンタリオ州教育省編(1992)『メディア・リテラシー マスメディアを読み解く』FCT(市民のテレビの会)・訳 リベルタ出版
2 文部省(1947)『昭和22年度 学習指導要領(試案)国語科編』
3 飛田多喜雄(1969)『国語教育方法論史』明治図書
4 菅谷明子(2000)『メディア・リテラシー -世界の現場から-』岩波新書
5 井上尚美・中村敦雄編(2001)『メディア・リテラシーを育てる国語の授業』明治図書
6 芳野菊子 (編集)(2003)『国語科メディア教育への挑戦〈第4巻〉中学・高校編』明治図書
7 鈴木みどり編(2003)『Study Guideメディア・リテラシー〔ジェンダー編〕』リベルタ出版
8 デビッド・バッキンガム(2006)『メディア・リテラシー教育 学びと現代文化』鈴木みどり監訳 世界思想社
9 レン・マスターマン(2010)『メディアを教える―クリティカルなアプローチへ』宮崎寿子・訳 世界思想社
10 菅谷明子(2006)「メディア・リテラシー」『現代の国語3』三省堂
菅谷明子(2006)「メディアを学ぶ」『新しい国語3』東京書籍
11 水越伸(2006)「メディア社会を生きる」『国語3』光村図書
12 下村健一(2015)「想像力のスイッチを入れよう」『国語五 銀河』光村図書
13 池上彰(2012)「ニュースの見方を考えよう」『新しい国語1』東京書籍
14 菅谷明子(2016)「情報社会を生きる」『現代の国語3』三省堂