ウソとホントは見分けられるのか?学校現場で「情報リテラシー」の基礎を教える~山脇岳志

2025.01.06
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1964年に生まれた私は、ニュースはテレビや新聞から得るもの、という環境で育ちました。学生時代にインターネットはなく、調べ物は、図書館に行くか本や雑誌を購入したりコピーしたりするしかありませんでした。そんな私が、もし今生まれていたら、全く違う情報を得て、全く違うことに関心を持ち、全く違う人間になっていたかもしれないと思います。
インターネットの検索や、SNSや動画投稿サイト(以下、まとめてソーシャルメディアという言葉を使います)によって簡単に世界中の情報が取れる今は、とても便利な時代です。一方、虚偽や真偽がわからない情報に触れやすくなっているともいえます。
そもそも、その情報がウソなのかホントなのかは、見分けられるものなのでしょうか?もしも見分けられない場合は、どうすればよいのでしょうか?学校現場で真偽の見極めについて、生徒にどう教えるべきなのでしょうか?本稿では、「情報リテラシー」の基礎を考えてみたいと思います。

山脇岳志
スマートニュース メディア研究所 所長
兵庫県出身。京都大学法学部卒。朝日新聞社で、経済部記者、論説委員、GLOBE編集長、編集委員などを務めた。アメリカには2回赴任(ワシントン特派員、アメリカ総局長)、欧州には、オックスフォード大学客員研究員、ベルリン自由大学上席研究員として滞在した。2020年、スマートニュース メディア研究所の研究主幹に就任、22年から所長。メディア情報リテラシー教育を研究・実践しているほか、世論調査の企画・運営にも携わっている。著書に「SNS時代のメディアリテラシー」(筑摩書房)など。

「情報リテラシー」とは何か

世界中で1年間に作られているデータの総量は、どれぐらいかご存じでしょうか。IDCという国際調査会社の2023年の発表によれば、2022年中に世界中で生成されたり消費されたりしたデジタル情報量は、101ゼタバイトと推計されています。1ゼタバイトは、21個ものゼロがつく天文学的な数字で、その101倍は、もう想像を絶する量であることがわかります。IDCは、毎年データ量はどんどん増えていくと予想しています。

今はだれでもソーシャルメディアで世界中に発信できる時代ですから、マスメディアだけではなく、「誰もがメディア」といっても過言ではありません。毎日毎日、膨大な量の「コンテンツ」が生み出され、私たちのもとに届きます。

そこで必要になってくるのは「情報リテラシー」です。「情報リテラシー」は論者によって定義は異なりますが、ここではひとまず「情報を適切に収集、評価、利用、発信する能力」としましょう。それは、あらゆる情報について、虚偽なのか事実なのか、信頼性はどのぐらいあるのかを評価・判断する能力でもあります。

こうした事実と虚偽を見極める能力について「メディアリテラシー」だという人もいます。広い意味ではメディアリテラシーに含めて良いと思いますが、「情報リテラシー」に区分するほうが一般的ではあります。

マスメディアとソーシャルメディアの違い

情報を評価する前に、まず必要なのは、メディアについての一定の知識や理解だと思います。まずマスメディアとは何か、ソーシャルメディアとは何か、それぞれの特性も含めて理解することが重要だと思います。

マスメディアは、新聞社、通信社、テレビ局、ラジオ局、出版社(雑誌)といった伝統的なメディアです。「オールドメディア」とも呼ばれるように、この中の多くのメディアは長い歴史を持ちますが、それぞれがオンライン版を持っていたり、オンラインだけしかない新しいマスメディアもあります。

マスメディアといってもさまざまなメディアがあるわけですが、私も仕事をしてきた新聞社を例に取りましょう。

新聞も人間の集団が作っているものである以上、誤報はあります。また新聞社によって、その報道ぶりに保守的、リベラル的といった価値観やバイアスが顕著に現れるケースもあります。なので、新聞が報じることは「すべて真実だ」と受け止めるのがよいわけではありません。しかし、新聞は、ニュースを報道するにあたっては事実の確認に力を入れ、誤報を防ぐためのチェックシステムを社内にもっています。誤報を出した場合は、訂正やお詫びを出しますし、ひどいケースでは新聞社の幹部が処分されたり更迭されたりします。

記者が記事を書く上で、まず記者本人が事実を確認して書くわけですが、それが実際に紙面になるまでには、上司にあたるキャップやデスクがチェックしたり、校閲チームや編集局幹部もチェックしたりといった何重もの「関門」があります。一言でいえば、人件費などのコストをかけて情報をチェックし、報道しているわけです。(その度合いはメディアによって異なり、十分なチェック、裏取りをしていない報道もあることにも注意は必要ですが)

一方、ソーシャルメディアで話されたり書かれたりしていることは、必ずしも何重にチェックを受けているわけではなく、事実関係が間違っていたとしても訂正されないケースが大多数です。X(旧Twitter)への投稿にしても、LINEやInstagramのDMにしても、もっと気軽な気持ちで使っている人が多いと思います。もちろん、それぞれの分野の専門家が素晴らしい内容の情報を発信しているケースも多く、ソーシャルメディア上の投稿が間違いばかりというわけではありません。良質の情報もあれば偽情報もあるということで、まさに「玉石混交」だと思います。

UNESCO(国連教育科学文化機関)が2024年8~9月にかけて実施した調査で、世界45の国・地域の500人のデジタルコンテンツクリエイターのうち、62%がソーシャルメディア投稿前に情報の正確性を確認していないことが明らかになりました。ソーシャルメディアで流れている情報は、たとえインフルエンサーといわれる有名人の言説であっても、事実確認をしていないケースが多いのに対して、多くのマスメディアは事実確認の努力をしている点は、基本的な知識として持っていたほうがよいと思います。

中学・高校や大学での授業や講義で、新聞社では、事実確認のために、記者、キャップ、デスク、校閲・・・と、複数の人が関わっているという話を伝えると、生徒や学生からは「初めて知った」という感想が多く聞かれます。メディア人にとっては当たり前のことが、学校現場では生徒のみならず、多くの先生にも知られていません。近年、若い世代でのマスメディアの信頼低下が言われている中、マスメディア自身がニュースの「製造工程」について、対外的にしっかりと知らせるほうがよいのではないかというのが、現場で教えていての実感です。

いつ『ふくえび』発売? でチェック

さて、その基本をおさえた上で、世の中に流れている真偽がわからない情報の確度を考える上で、参考になる道具がありますので、ここでご紹介します。アメリカの学校図書館や大学の授業などで使われている「CRAAPテスト」というチェックリストです。

CRAAPとは以下の英語の頭文字です。日本語は、私が訳したものです。
Currency(適時性)」=情報の発信や更新の時期が現在の状況と合っているか確認
Relevance(関連性)」=情報が目的や対象とするテーマに適しているか確認
Authority(権威)」=発信者や情報源の信頼性や専門性を確認
Accuracy(正確性)」=情報がエビデンスで裏付けられているかを確認
Purpose(目的)」=その情報が何を目的に発信されたのかの考察

CRAAPテストのチェックリストは、5つのジャンルの中でさらに細かく分かれているのですが、興味がある方は、CRAAPテストを開発したカリフォルニア州立大学の司書の論文をご覧ください。

細かくチェックリストがあっても、それを覚えられなければ日常生活の中で使いにくいので、私が特に重要だと思うものを5つ抜き出しました。以下がそのリストです。

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いつ=いつ発信されたものかを確認
ふく複(ふく)数の情報源の確認
えびエビデンス(証拠)の確認。たとえば、科学的な話題なら権威あるジャーナルに引用されているかなど。
はつ発(はつ)行元(媒体)、筆者(発信者)の専門性(信頼性)の確認
ばいバイアスや目的の探求。判断が、自分自身の好みや政治的傾向(イデオロギー)に影響されていないか。発信者の目的は何かーたとえばセールス目的なのか、プロパガンダ(政治的宣伝)なのか、など。
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太文字にした部分の頭文字をとって、「いつ・ふく・えび・はつ・ばい」→「いつ『ふくえび』発売?」と覚えると、リストを思い出しやすいのではないかと思い、先生方を対象にした研修や学校での授業でも紹介しています。(ちなみに、香川県産の干しエビで「ふくえび」という名前の商品があるそうです)。こうしたチェックリストにあてはめることで、その情報が偽だと気づくきっかけとなったり、真偽がうたがわしい(グレー)な情報をあぶり出せたりするケースがあります。

細かいチェックリストの日本語訳や、「いつ『ふくえび』発売?」についての詳しい解説は、拙著「SNS時代のメディアリテラシー」(筑摩書房Qブックス)でご紹介しています。

 

クイズで実践!ウソとホントを見分けてみる

研究所で行っている授業では、実際のXの投稿を使って、生徒にホントかウソかを当ててもらうクイズを行うことがあります。実際に実践してみたほうが、授業が盛り上がるからです。

たとえば、新型コロナウイルスが蔓延していた当時、学校の運動会も次々中止になりましたが、小学校で長さ2メートルものバトンを使って、ソーシャルディスタンスを保ちながら、リレーが行われたという写真つきの投稿がありました。
この投稿をクイズ形式でやると、「ウソ」と答える生徒のほうが多いです。(2メートルのバトンは、実際、嘘っぽいですよね)。しかし、これは真実のニュースでした。

投稿者は「毎日新聞」で記事のリンクもついています。神奈川県相模原市で実際に行われた運動会なのですが、「虚構新聞」という「ありそうでない」ネタを掲載しているサイトの記事と酷似していることでも話題になりました。

先に説明した通り、新聞社の場合は、いくつもの「関門」があるので、誤報する確率はゼロではないものの虚偽の可能性は低いと判断できます。投稿の発信者欄に毎日新聞と明記されているのですが、そこには目がいかない生徒が多いです。上記の「はつ(発信元の確認)」について注意喚起し、ふだんから生徒たちに「発信者」をみる習慣をつけてもらうことが大事だと思います。

では、こちらの投稿はどうでしょう。

ITmedia NEWS  https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1805/14/news058.html より

「国際信州学院大学の教職員たち」が50人分の料理を直前キャンセルした上に、キャンセル料を要求したら逆ギレされた、という投稿です。読んでいると、「なんてひどい!」と同情してしまう内容で、クイズではだいたい半分ぐらいの生徒が「ホント」と答えます。

では、「複数の情報源」や「エビデンス」という観点から、こちらの情報をチェックしてみましょう。「国際信州学院大学」「キャンセル」で検索してみると、複数のメディアの記事で、「実は大学も店も架空だった」などと書かれているものが見つかります。(たとえば、産経新聞の記事

実はこの投稿、元々2ちゃんねる(当時)で作られた架空の大学である「国際信州学院大学」を使ったネタ投稿なのです。「国際信州学院大学」と検索すると、立派なホームページが出てきますが、こちらも「ネタ」として作られたものです。

ホームページを見るだけだと「この大学、本当にある!」と思うかもしれませんが、「マスメディアの情報だけでなく、国立や私立大学の大学名一覧などを調べても存在しませんし、複数の情報源で確認すれば実在しない大学であることがわかります。一部の人には「冗談」であり「ネタ」であっても、事情を知らない人は本当だと信じてしまう可能性があるという例です。

さて、情報の信頼性を確認をする際に、マスメディアの報道があるかどうかは一つの有用な確認手段ですが、マスメディアの報道で注意すべきは、第一報のあと、状況がかわって事実が事実でなくなるケースが珍しくないことです。何かの政策決定が報道された後に世論の反発を招いて変更になったり、企業の合併や提携構想が事前に報道されたために取り消しになったり、状況はさまざまな形で変化します。その時点で「ホント」のことが、あとあとまで「ホント」とは限りません。その意味で、「いつ『ふくえび』発売」の「いつ」は、とりわけ大事なチェック項目です。

ファクトチェック団体の活用も

授業で記事や投稿を使って「情報リテラシー」を教える場合、ファクトチェック団体がすでにファクトチェックしたものを使うのも良い手だと思います。

ファクトチェックイニシアティブ(FIJ)は、ウェブサイトでファクトチェック・ナビというコーナーを設けて、様々な団体によってファクトチェックされた記事を紹介しています。

虚偽情報は、地震や水害といった災害、戦争、感染症などの、人々が不安になるときに流れやすく、それらはさらに人を不安に陥れてしまいます。ファクトチェック団体の日本ファクトチェックセンター(JFC)は、ウェブサイトで「ファクトチェック講座」を開設し、さまざまなファクトチェックの方法を一般向けにわかりやすく解説しています。画像の改変への対策として有効なのは、オリジナル画像を発見して比較することです。改変部分が見つかったり、全く違う文脈で利用されていることがわかったりするとして、Googleレンズという画像検索機能を利用する方法などが示されています。

そうした方法は有効ではありますが、最近では、生成AIによって虚偽か事実かを見抜く上での難易度が高まっています。Chat GPTで質問すると上手な答えが返ってきますが、その中に虚偽情報が混じってしまうことは珍しくはなく、文章が上手なだけに虚偽も真実性を帯びてしまいます。また生成AIは、画像や動画といった分野でも驚異的な進化をみせています。学校の授業で、実在する人物の写真と生成AIが作った写真を並べてみて、どちらが本当かというクイズもやりますが、外す人は多いです。(私も全くわからないです)。AIを使って人物の動画や音声を合成する「ディープフェイク」といわれる偽動画や画像も出回っていて、素人には、ますます虚実がわからなくなってきているのが現状でしょう。

ウソとホントの間に、巨大なグレーゾーンがある

CRAAPテストや「いつ『ふくえび』発売?」といったリストで、虚実かどうかを確認することにトライすることは大事だと思います。しかしながら、チェックしても真偽がわからないことも多いわけです。

というより、もともと、情報というものは、真実と虚偽に二分されるものではなく、その間に、巨大なグレーゾーンがあると考えるべきだと思います。真実の中に少し虚偽がまじっていたり、虚偽の中に少し真実がまじっていることは多いですし、いくら調べても証拠(エビデンス)が見つからず真実か虚偽かがわからないケースも全く珍しくはありません。真実が人によって違うーつまり、同じ出来事を経験していても「Aさんにとっての真実」と「Bさんにとっての真実」が違うことも十分ありえます。

そこで肝心なことは、真偽がわからないグレーな情報については、そのまま放っておいていいということです。上智大学教授の佐藤卓己さんは、こうした態度について「あいまいさに耐える」という意味で、ネガティブ・リテラシーの概念を提唱しています。私もその「態度」は大事だと考えています。

私たちは不安におそわれるときに、「真偽をはっきりさせたい」と考えがちですが、あいまいなままで情報をやり過ごすことも重要です。少なくとも、グレーな情報については、不用意に発信しないことも「あいまいさに耐える」ことに含まれます。地震や感染症など人々が不安に陥っているときや、選挙など多くの人がかかわる重要なイベントのとき、大量に真偽不明な情報が流れることがあります。そうした際に、明らかな虚偽情報についてはもちろん、真偽不明な情報についても、いったん立ち止まって考えてみて人に広めない、つまり「自分のところで止める」というのは一つの「意思ある行為」です。

マスメディア不信によるリスク

最近の若い世代は「タイパ志向」と言われます。タイム・パーフォーマンス、つまり時間的に効率が良いかどうかを気にするというわけです。そういう意味では、情報が事実かどうか迷ったら、マスメディアを「参照点」としてうまく活用することが「タイパ的にいいよ」と伝えています。

一人一人の個人が、事実か事実ではないかを一つ一つ確認するには相当な時間や手間がかかる(タイパが悪い)上に、実際にやろうとしても確認できないケースも多いからです。ソーシャルメディア上で話題になっている情報についてマスメディアが報道しない場合、①事実確認をした結果、その情報は虚偽であることが判明した、②事実確認の努力はしたが、裏が取れない(事実確認できない)グレーな情報である、③人権侵害になるので報道できない、といったケースが多いと考えられます。

マスメディアが報道できなかったことが、内部告発などで明らかになり、大きく社会問題として広がっていくケースもあるので、マスメディアを鵜呑みにすればいいということではありませんが、一般論でいえば、プロフェッショナルな組織として事実確認を行っているのがマスメディアであり、それを個人でやるのはタイパが悪いといえるでしょう。

東京大学の稲増一憲准教授(社会心理学)は、著書「マスメディアとは何か」(中公新書)の中で、マスメディアの役割は世論を動かすという意味では限定的だとした上で、こう述べています。

「メディアから得た情報を鵜呑みにせず批判的に検討することは、メディア・リテラシーの重要な要素である。この重要性については本書でも否定しない。しかし、マスメディアを疑った結果として、『マスゴミが語らない真実』などと騙るウェブ上のフェイク情報に飛びつくようでは目もあてられない」

マスメディア不信のあまり、一見もっともらしく事象を説明してしまう「陰謀論」も含めソーシャルメディア上の虚偽情報を信じてしまう危険性に警鐘を鳴らしています。

稲増氏は続けて、こう述べます。「批判的に物事を見ることは、自分自身の観点が正しいかどうかについても、批判的な検討の対象にしてこそ意味を持つ。マスメディアについては批判的に見る一方で、自分自身の立場を絶対視しているようでは、批判的思考とは到底呼べない」

つまり「人や組織を批判するのであれば、自分自身も批判的に振り返ったほうがよい」ということですが、当たり前のようでいて深い視点なので、学校現場でも、学生・生徒に伝えていただきたいなと思います。「自分だけが真実を知っている」「自分だけが正しい」「自分の言った通りすれば必ずもうかる」などと主張する「自分が絶対」の人をあまり信用してはいけない、というのは貴重な人生訓なのではないでしょうか。

ここでいう「批判的思考」とは、英語にすれば「クリティカルシンキング」です。クリティカルシンキングの養成は、「メディアリテラシー教育」の中核になるものですので、この点については、別稿で解説したいと思います。

「見分けられない」=情報リテラシーがない、ではない

この記事は、「ウソとホントは見分けられるのか」という「情報リテラシー」の問いから入りました。
その問いに対する私なりの答えは、「見分ける助けになるような有用なツールはある。そうしたツールを使って、情報の真偽について考えてみることは大事だけれど、それでもウソかホントか見分けられないことは多い」となります。生成AIの時代となり、文章も写真や動画も、ウソかホントかがますます見分けにくくなっています。

「見分けられない」と言えば、「情報リテラシーやメディアリテラシーがない人」と区分されそうですが、実はそうではありません。むしろ「見分けられる」と過信している人のほうが危ないとも言えます。

むしろ「ウソかホントかは、見分けられないことが多い。世の中にはグレー情報が多い」ということを自覚し、虚偽の情報やグレー情報に出会ったとき、いったん立ち止まり、それを少なくとも人に広めないことが重要です。わからないからといって「すきっと説明してくれるけれども根拠の乏しい情報」に飛びつかないことも大切です。

それらは、この「情報過多社会」の中で、情報やメディアとうまくつきあっていくスキルであり、それを実行できる人はむしろ「メディア・情報リテラシーが高い人」ということになると思います。