トークイベント「VUCA時代を生き抜く力をつけるために――メディアリテラシー教育が、学校現場に広まるために必要なことは何か」開催レポート2:現場の実践にどうつなげるか

2023.10.03
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「不確実なものに囲まれた時代」に必要な一人ひとりの「考える力」と、その基盤としての「知識」。それらを学ぶ「メディアリテラシー教育」を考えるトークイベントの2回目は、学校現場での実践について話し合った模様を中心に紹介します。

(登壇者、50音順、敬称略)
鈴木寛 東京大学教授、慶應義塾大学特任教授、社会創発塾塾長
東京大学を卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)助教授を経て2001~13年に参院議員に転じ、文部科学副大臣を2期務める。その後も文科省参与(14~15年)、文科相補佐官(18年まで4期)を歴任。

長澤江美 スマートニュース メディア研究所 研究員
愛知教育大学を卒業後、時事通信社に入社。退職後、米ニューヨークのNPOで貧困地域の子どもたちに日本文化を伝える。20年より現職。メディアリテラシー教育の担当として、研究や実践活動を行っている。

野口恵美 埼玉県戸田市立戸田第一小学校教諭 
埼玉大学を卒業後、埼玉県の公立小学校教員に採用。06年より戸田市内の小学校に勤務。担当教科は国語。

横田洋和 戸田市教育委員会次長兼教育政策室長
東京大学を卒業後、文科省に入省。教職員定数、コミュニティ・スクール、特別支援教育などを担当し米コロンビア大学に留学して修士号を取得。帰国後、デジタル庁創設や教育データ利活用に携わり、22年より現職。

(モデレーター)
山脇岳志 スマートニュース メディア研究所 所長
京都大学卒業後、朝日新聞社に入社。経済部記者、調査報道担当、オックスフォード大客員研究員、ワシントン特派員、GLOBE編集長、アメリカ総局長、編集委員などを経て2020年に退職。同年にスマートニュースに入社し、2022年から現職。

「1人1台」時代のメディアリテラシー教育

山脇 最近、生成AIや技術が高度化して、さらに真偽の見極めが難しくなっている、と感じます。そこを踏まえて、今後のメディアリテラシー教育の在り方は、どうあるべきだと考えますか。

長澤 さきほどメディアリテラシーの3つ目のポイントとしてお伝えした「メディアの仕組みについての理解や知識」の部分が重要となってきます。生成AIがどういうものなのか、どうやって情報や画像を生成しているのか、その仕組みを知識として知らないと、間違った判断を招きかねません。

「出前授業」で、Googleなどの検索エンジンで何かを検索した時に、検索する人によって検索結果の表示順が違います、という話をしますが、案外、子供でも大人でも知らない人が多いです。過去の履歴などから、検索エンジンのコンピューターのアルゴリズムが判断しているので、人によって違ってくるのです。そうした知識がないと、一番上に表示される情報が最も信頼できるものだ、と勘違いしてしまう。

スマートニュース メディア研究所による出前授業の様子

こうした勘違いは、知識によって防げるものです。同様に、動画投稿サイトで、一度動画をみると、次々とそれに関連した動画がおすすめとして出てきます。一度陰謀論を信じると、それにはまってしまう原因でもあるのですが、これもアルゴリズムのためにそうなっているんだよという説明をすると、子どもたちは「ああ、だからかあ。これからは気を付けよう」と理解してくれます。知識をつけることで、フィルターバブルから抜け出す、もしくは、はまりにくくなるきっかけになると思います。

山脇 先ごろ公表された総務省の情報通信白書でも、SNSでは自分に近い意見が表示されやすいことーフィルターバブルの現象について認識している人の割合(「よく」「どちらかと言えば」の合計)が、日本では38.1%と、米国(77.6%)やドイツ(71.1%)に比べ大幅に低くなっていました。これは問題ですよね。こうしたことを教育現場で伝えていく上での、課題は何でしょうか。

令和5年「情報通信に関する現状報告」(令和5年版情報通信白書、総務省)より

野口 1人1台端末が配布されて以降、子どもたちは、気になったら今知りたいということで、すぐ検索します。「調べていいですか?」と聞いてきます。それで検索して一番上に来た情報を疑わずにコピペする、というのがこれまでよくある実態でした。メディアリテラシー教育は、待ったなしの状況だ、とメディア研究所とのプロジェクトを通して強く感じました。

山脇 プログラミング教育では、戸田市では先生向けの副読本のようなものがあったと聞いています。同様に、メディアリテラシー教育についても、何かテキスト的なものがあった方がいいのでしょうか。

野口 プログラミング教育の2020年の必修化に備えて、2017年、前任校が指定校となり、その関係で授業を研究していたのですが、よりどころとなる実践例がなく苦労しました。その後、戸田市教育委員会が教師向けのテキストを作り、児童にも一人一冊テキストが配布されたことで、急速に広まった感があります。我々教員は、それに助けられました。

戸田市立戸田第一小学校 教諭 野口恵美氏

山脇 市教委として、メディアリテラシー教育のテキストは、作れるものでしょうか。

横田 正直、メディアリテラシーって、先生にとって負担のある、大変なものなんですよね。教科書を使って、今まで通り、生徒たちに「正解」を教える授業をしていたほうが、予想外のことは起きないので居心地がいいわけです。でも、メディアリテラシー教育を本気でやろうとすると、子供達と共に、無限の情報のあるインターネットの海の中に飛び込まなくてはならない。先生たちも、何が正解かわからない中で、一緒に学んでいかなくてはならない。

こうした「居心地の悪い一歩」をサポートするため、戸田市では、各校の先生に集まってもらって指導案や教材を作り、それをドライブで全校共有し、実践を広げているところです。

山脇 「正解がない」というのがキーワードですね。すずかんさん(鈴木寛さん)が総監修者となって作った高校「公共」教科書(教育図書)では、正解が示されていない部分もあり、画期的に思えました。

鈴木 「正解がない」というより、むしろ複数の正解がある問題に向き合う態度が必要になると思います。例えば新型コロナウイルス禍で患者が病院に殺到した時、どういう人を優先すべきか、といった問題です。重症度が高い人なのか、治る見込みが高い人とか、ケアすべき家族がいる人、抽選なのか、先着順なのかなど・・・。これを、様々な生成AI(テキスト型)に聞いてみると、答えがそれぞれ違うんですよ。

生成AIの発達に伴い、今年は「メディアリテラシー3.0」と言うべき段階に入ったという気がしています。そこでは「答える力」より、「問う力」が求められます。「問う力」とは、食い違いを見つけることです。生成AI同士の回答の食い違い、通説とファクト(事実)の食い違いがあってこそ「なぜ?」という問いが始まります。「生成AI時代のメディアリテラシー教育の在り方」を、真剣に考えないといけません。

野口 今まで、自分が大切にして教室で教えてきたことが、一人一台端末が入ってきたことによって、必ずしも通用しなくなった。「(ギガスクールによって)意識改革をしなければならないのは、教員の方だったな」と今、思っています。

ポスト学制150年の「みんな違う教育」

鈴木 先ほど紹介したハンナ・アーレント(開催レポート1参照)は『全体主義の起源』という本も書いていますが、一様な近代の価値観・イデオロギーに支配されると、全体主義につながってしまう。そうではなくて、みんなが違う意見を持っているんだ、ということが重要です。

先生が授業で「意見がある人は?」と聞いてしまうと、手を挙げた子どもの意見を拾うことになる。そのことで、手を挙げた子の意見が支配的になりかねないことがあったと思います。ですが、1人1台端末によって、それぞれが意見を書き込むことができて、30人30様の意見を拾えるようになりました。意見の複数性を受け止めて、互いにどこが似ているか、違うのか、そこから「熟議」を深めることもできます。

「全体主義」や「同調圧力」という問題を私たちは抱えています。そこからいじめや、忖度というものが起きている。この国の民主主義、社会のありようは、メディアリテラシー教育が進捗するのかどうかと、密接に関わっている。コインの裏表のような関係だと捉えて、危機感を持って進めていく必要があると考えます。

東京大学教授 鈴木寛氏

昨日、日本画家の千住博さん(京都芸術大学教授)と話していたことですが、世の中には、「真偽」「善悪」「美醜」の3つがある。「真偽」は、科学的に決まってくる部分がある。もちろん、大転換が起きることもあるわけですが。

ただ、「美醜」の判断については、一人ひとりが自由に持っていていい。芸術は、自分の美的な好みを自由に出していいものだ、と。紙を丸めたものを、「ハンバーグ」と言っても「魚」と言ってもいい。どれもOKなんです。

学校は、そのように、自分の思っていることや感じたことを素直に出して受け入れられる、心理的に安全なコミュニティーであるべきです。言説の押し付けや支配に対する「抵抗力」も身に付けさせなければなりません。子供たちが、そうした価値観を小・中・高校時代に磨き続けられることが、より重要になってきます。

「正解主義」から脱する必要

山脇 われわれのメディアリテラシー教材(SNSシミュレーター)では、ゲーム感覚で楽しみながら、「意見の多様性」を認識してもらうという狙いがあります。出前授業で、実際にこの教材を使った授業を行って、どんな感触だったでしょうか。

長澤 SNSの投稿について、感じ方は人それぞれです。なので、この教材では、そこに唯一の正解はありません。小学生から大学生まで、みんな正解がないことを素直に受け入れてくれた感じがありました。一番受け入れてくれないのが先生方です(笑)。もちろん先生方全員ではないですが、中には「模範解答は何ですか? それがないと教えられません」と言われることがあるんです。「正解主義」にとらわれたマインドセットを変えない限り、メディアリテラシー教育を進めていくことは、難しいのかもしれません。

鈴木 教員の皆さんは、社会から過剰なほど「評価する義務」を負わされていますからね。社会では正解が複数あるのが普通なのに、大学入試の世界では、一様な評価が求められてしまう。そのプレッシャーを小、中、高校が背負ってしまっている現状があります。そのプレッシャーから、一旦、解放してあげる必要があると思います。例えば「美醜」に関わる芸術系の科目は、評価をやめるぐらいの荒療治が必要ですし、「公共」もそうです。「善悪」や「美醜」に関わるところは、評価をやめた方がいい。

ただ、もっと変わらなければいけないのは、保護者の意識かもしれません。保護者の意識の裏側には、メディアもあります。社会全体が進化しなければいけません。

山脇 「学習指導要領」にメディアリテラシーをきちんと位置付ける必要は、あるでしょうか。そうすれば、一気に、学校現場に広がっていくでしょうか。

鈴木 一見、手取り早いように思えますが、それは違うな、と「公共」の教科書を書いていて感じました。初稿では「正解がない」ことを徹底したのですが、「それでは学校が教えにくい」と教科書会社から不安を指摘されました。20校くらいしか売れませんよ、と。(「主体的、探究的で深い学び」をめざす)学習指導要領を200%体現するような教科書を作っても、結局採択するのは学校や教育委員会だから、理想だけでは駄目なんだと思い知らされました(笑)。

現場の先生が「この教科書で教えたい」と心の底から思ってくれないと、採択されないわけです。あるいは採択されても、執筆者が大事にしたい部分が授業で飛ばされたら終わりです。教員だって、生徒がつまらなそうにしてたら、飛ばしたくなりますよね。

子供達が学びたいと思うかどうか、先生たちが教えたいと思うかどうか、が重要なんです。
現場を大事にして、その声を拾って、その経験をもとに、メディアリテラシーの教え方を積み上げていく。今、皆さんがされているようなことは、地道だけれども「王道」だと、私は思います。

山脇 今の「公共」の教科書も、深く考えさせられる要素があって素晴らしいと思ったのですが、初稿は違うものだったんですね。

鈴木 もっと素晴らしいものでしたよ(笑)。通常は、高校の教科書って、高校の先生が作るんです。大学の先生は監修で入りますけどね。この教科書の特徴として、基本的に大学の先生が作ったんですね。

彼らは、「これだけは学んでから大学に入ってきてほしい、社会に出てほしい」という思いで、この教科書を作りました。それが通用せず失敗しちゃったんですけどね(笑)。

山脇 なので当初のコンセプトを維持しつつも、「知識」の部分を入れてて、今のものになったんですね。

鈴木 それで、今はシェア3位です(笑)

山脇 それでも、他の教科書とはかなりトーンが違いますよね。シェア3位になったのは、「正解が複数あることを伝えよう」というコンセプトが、高校の先生の間でも共感を得られつつある、ということでしょうか。

鈴木 そうですね。でも、一気ではありません。三歩進んで二歩下がるのを繰り返している感じですね。少しずつ変化が起こっているとは感じます。

横田 戸田市でも変化を起こそうと、「脱正解主義」を大きなコンセプトの一つに掲げ、課題を自分事として捉えるPBL(課題解決学習)に取り組んでいます。

メディアリテラシー教育を学習指導要領に盛り込むというのも一つの処方箋ではありますが、「〇〇教育」を増やすだけではカリキュラム・オーバーロードになるとともに、教科間で分断されかねません。メディアリテラシーを教科等横断的に繋げていくことが重要だと思います。

今回のプロジェクトでも、国語で身につけた「ソウカナ」チェックというニュース分析の方法について、社会の授業で、生徒から「これ、ソウカナが使えるんじゃない?」という声が上がった、ということがあった、と実践をした教師から聞きました。

ただし、それには個々の教師が、「カリキュラム・デザイン力」を向上させたり、学校の年間指導計画にしっかり位置付けたりすることが不可欠です。そうした草の根的な実践が大切ではないでしょうか。

山脇 最後に一言ずつお願いします。

長澤 学校の中だけでなく、社会全体やメディア含めて、みんなで協力して力を合わせないと、この大きな課題には立ち向かうことはできないのだと感じました。私自身もそうですが、保護者の方々も、メディアリテラシー教育って受けてこなかったんですから。ネットの発達や生成AIの進化など、環境も大きく変わっています。みんなで共に学び、共に変えていこうという姿勢が大事だし、研究所のリテラシー教育も、学校に対しても、社会に出ておられる方に対しても、地道に続けていこうと思いました。

野口 今回の授業は、教員1人でやるのは至難の業でした。良い教育を行うことは現場の責務ですから、今後も(産官学で)協力をいただける部分は、力を借りながら進めていきたいと思っています。最後は人と人との関係が重要だと思っています。いくらメディアリテラシー教育が現場に浸透したとしても、互いに言いたいことを安心して言えない学級だったら力も伸びないでしょう。子どもたち一人一人にとって自分の考えが認めてもらえ、安心して話し合える居心地の良いクラスを作っていきたいと改めて考えました。

鈴木 やはり面白い素材を現場に届け続けることが大事ですね。メディアリテラシーの基本は、読み比べであり、そこから違いの発見です。プロのジャーナリストが、知的に面白がって使ってくれるようなものをピックアップして、授業で使いやすいようにするところまで持っていく必要があります。「読み比べ教材」もニュースだけでなく、SNSごとや、生成AIごとにやってみてはどうでしょうか。

横田 メディアリテラシー推進のためには、「3つの壁」を打破する必要があります。まず「意識の壁」を打破し、メディアリテラシーを子供が自分事として捉えたり、教師は授業観を転換、保護者にも体験してもらう。

次に「教科の壁」を打破し、メディアリテラシーを打ち上げ花火的なものではなく、全教育活動を通じて育むものとして計画的に位置付ける。最後に「形骸化の壁」を打破し、資質能力ベースの新たな学びの改革と一体的に推進し、子供に学びのハンドルを渡すことでメディアリテラシーを実質化させる。「子供達の学びに変革を起こしたいなら、まずは大人の側から変わる」という考えの下、私たちもチャレンジを続けていきます。

山脇 「正解がない」もしくは「正解が複数ある」時代だからこそ、メディアリテラシー教育の必要性が高まっているという見方は共有できたように思います。「面白くなければ使ってもらえない」というのは真実ですね。先生に学校の授業で使いたいと思っていただけるような教材を、今後も学校の先生方と一緒に作って、研究所のHPで提供していきたいと思います。

本日は、中身の濃い議論になりました。ご参加いただき、大変ありがとうございました。

 

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