変わるメディアリテラシー 〜サマンサ・スタンリー氏インタビュー(下)

2023.09.22
img

ブラウン大学公衆衛生大学院 Information Futures Labのサマンサ・スタンリー氏へのインタビュー全2回の後編。同Labは、市民が必要としている情報を、手軽に手に入れられる情報環境の整備を目指しています。

メディアリテラシー教育に携わり、その教材作成も手がけてきたスタンリー氏に、目まぐるしく変わるメディア環境と、そこで必要となる心構えやスキルについて聞きました。香港大学でジャーナリズム研究に携わった経験から、情報のグローバル化に伴う課題、またジャーナリストや教育者に求められることについても語っていただきました。
(聞き手:在米ジャーナリスト 志村朋哉)

サマンサ・スタンリー(Samantha Stanley)
ブラウン大学Information Futures Lab研究・プログラムマネジメント担当参与。ニュースメディアリテラシーを専門とし、ジャーナリズムやニュースの境界線の変化と、それがメディア教育に与える影響を研究している。香港大学ジャーナリズム・メディア研究センターで修士・博士号取得。

 

 

志村朋哉
米カリフォルニア州を拠点に、英語と日本語の両方で記事を執筆するジャーナリスト。ピューリッツァー受賞歴のある米地方紙オレンジ・カウンティ・レジスターなどで10年以上働き、現地の調査報道賞を受賞。政治・経済、司法、文化、スポーツなど幅広く米国事情に精通し、日米の新聞、雑誌、オンラインメディアに寄稿するほか、テレビやラジオに出演してニュース解説を行う。著書『ルポ 大谷翔平』。

 

ネットでの情報共有で気をつけるべきこと

ーー具体的な偽情報への対処法について話しましょう。Misinformation(悪意を伴わない誤情)とdisinformation(悪意を伴う偽情報)の多くは、X(23年7月にツイッターから改名)やインスタグラムといったソーシャルメディアで拡散します。ソーシャルメディアで共有したいと思った情報があったけど、内容が正しいかどうか分からない場合、どうすべきですか?

ソーシャルメディアを使っているのに、ソーシャル(社会的)に活動できないというのは悲しすぎます。なので、情報を共有するな、とは絶対に言いません。ただし、共有する前に一呼吸おく癖はつけた方がいいでしょう。ここ数年で、多くの専門家が「立ち止まって考えてみよう」と呼びかけています。怪しいなと感じたら、実際にインチキであることは多い。直感で引っかかることがあったら、調べてみるべきです。

複雑なトピックの場合、自分で調べるのは難しいことも多い。統計データやあまり詳しくない分野の研究結果を見ている時は、特に注意が必要です。そういう時は、自分にどれだけの知識があるのか正直に自問してみる。そして、情報を共有する前に、他のソースで確証を得るようにしてください。「誰に、なぜ」シェアしようとしているかについても自問してみるといいでしょう。

ーー特に注意すべき情報の種類というのはありますか?

健康に関する研究についての情報は、ニュースリテラシーの世界で議論されるべきだと思います。

報道で取り上げられた研究が正当なものなのかどうかを判断するのに必要な統計の基礎知識を、公衆衛生大学院では教えるようにしています。

たくさんの数字を目にした時、2つのことを念頭に置いてください。

まず、その数字が全体の人口から見てどれほどの規模なのかや、実際の社会を正確に反映しているのかを考えてみる。例えば、先日、CNNの記事で『Long-term use of certain reflux medications is associated with a higher risk of dementia, study suggests(特定の逆流性食道炎治療薬の長期使用は認知症リスクの上昇と関連する可能性ー研究)』という見出しを見かけました。

私は次のように考えました。研究に参加した被験者はどんな人たちだったのか、社会全体に当てはまるような結論を導けるほどの数が参加していたのか、その部分を記事はちゃんと説明しているのか、それとも研究結果を自分で読んで確認する必要があるのか?

この作業は結構複雑で、統計的計算が必要になりますが、ネットにはそれを楽にしてくれるサービスもあります。学術論文を手にいれるのは難しいこともあるので、こうした疑問についていちいち調べるべきだなんて言うつもりはありませんが、サンプルサイズの大きさや、調査で得られたデータが対象とする母集団を適切に反映しているかなど、知っていると便利な基礎的な知識というのはあります。

次に、最も大切なのは、本質を見抜こうとする姿勢を身につけることです。誰がどんな目的で流した情報なのかを考える。この二つを意識することができるようになれば、自分自身だけでなく他人も大きな恩恵を受けるはずです。あなたの知識は自分の行動に影響を与え、あなたの行動は他人に影響を与えますから。

人種問題は他国の人にはわかりにくい

ーーパロディーや風刺をソーシャルメディアで共有したい時、どんなことに注意すべきですか?悪意はなくても誰もがユーモアだと見極められるわけではないので、判断が難しいことがあると思います。

誰の目に触れる可能性があるのか、そしてどんな文脈で配信するのかを考えるといいでしょう。例えば、X(ツイッター)で投稿やリツイートする場合、誰でもその投稿を見ることができるので、文脈が分からず、誤った解釈をする人も出てくるでしょう。そうした場合、私なら明確な注意書きを添えます。例えば、全て大文字で「これはジョークです」といった警告文など。

しかし、同じ情報をフェイスブックのグループなどで気心の知れた仲間と共有する場合、文脈を共有していて、ユーモアだとすぐにメンバーが気付くようであれば、警告は必要ないでしょう。

つまりは、状況によるということです。

自分の流す情報が、誰の目に触れる可能性があるのかを常に考えなくてはなりません。

ーーパロディーや風刺で特に注意すべきなのは、それが人種や民族に関わる場合だと思います。誰かを傷つける可能性があるので。

そうですね。私が香港大学で教えていて学んだのは、人種に関する見方は国境を越えないということです。ここアメリカでは、人種というのは重要な問題として捉えられています。ただし、それはアメリカの文脈と歴史、そして社会的な状況に特化しています。アメリカの外で暮らす人は、同じ問題を見たとしても、同じように理解するとは限りません。

香港で倫理の授業を教えていた時、オーストラリアの新聞に掲載された、大坂なおみ氏との試合で騒ぎを起こしたテニス選手・セリーナ・ウィリアムズ氏の風刺画を生徒たちに見せました。(黒人である)ウィリアムズ氏の容姿を誇張して描いたものです。興味深かったのが、こうした誇張表現が与える影響や意味について、私のアメリカ人としてのアプローチに、多くの学生が違和感を感じていたということです。中には理解していない人もいました。

人種問題をどう見るか、理解するかは、暮らしている社会とこれまでの経験に影響されるのです。情報は簡単に国境を越えて大勢に届きますが、それをどう見るかは国境を越えて共有されているわけではありません。

ーー確かに、その通りですね。私も英語と日本語の両方でツイートしていて、この問題に直面します。両方のグループと交流していて、例えば人種についての考え方が大きく異なります。こうした文化の違いについて、私たちはどうすればいいのでしょうか?ソーシャルメディアに投稿された情報は、地理的な枠組を越えて拡散されますから。

理想を言えば、誰もが異なる文化や人種差別の歴史について学ぶ機会を持って欲しい。例えば、アジアの国々も、そこに住んだことのないアメリカ人には詳しくは理解が難しいであろう人種や民族の問題を抱えています。

私たちが互いの文脈を学び合うことができれば理想的ですが、最低でも共有しようとする情報について、思慮深く吟味する姿勢を持つべきでしょう。

ある人物の特徴をツイートしようとしているのなら、どのような特徴が誇張されているのかを考えてみてください。そして、投稿を配信する前に、自分の世界観からちょっと距離を置いてみる必要があります。

変化するメディア環境

ーー人工知能やフォトショップなどの新技術の台頭で、偽情報を見抜くのが難しくなっています。例えば、ワシントン大学の研究チームが、人工的に生成したバラク・オバマ氏が話している動画を公開しました。そうした本物そっくりの偽コンテンツを見抜くには、どうすべきでしょうか?

非常に難しいです。特に高齢になるにつれて、その難易度は上がります。若者と高齢者の視覚的な偽情報を見抜く力を測った最近の研究では、若い人の方がより早く正確だという結果でした。

正直、どんどん精巧になるディープフェイクにどう対処すればいいのか、確実なことは言えません。

現時点ではディープフェイク画像をよく観察すれば、大抵の場合、ヒントはあります。耳の形がおかしいなど、違和感を感じる部分があるはずです。2枚の写真を並べてどちらがディープフェイクかを見極めるゲームのようなプログラムもあります。そうしたプログラムで練習していれば、「気付かなかったけど、確かに(背後の)木の描かれ方がいびつだな」という風に見抜くスキルが養われます。

コンピューター科学を履修している学生などと、新技術を使う際の倫理観について対話するのも必要だと思います。技術の進歩でできるようになったことについて、それを活用すべきかどうかは別の話ですよね。

ーーチャットGPTなど新しいテクノロジーが広まっています。それによってメディアリテラシーの分野がどう変わったかを教えてください。

メディアリテラシーは面白い分野です。かなり変わったようにも見えますが、別の見方をすれば全く変わっていない。

メディアリテラシーには、いくつもの考え方が存在していて、時としてそれらが対立することもあります。何が重要で、何が問題で、何が倫理的なのか、の違いが争点となってしまう。残念ながら、それは変わっていません。

メディアリテラシーの教育者たちは、新しいテクノロジーを学んで、それを自らの仕事に生かすだけでなく、生徒たちがそれらのテクノロジーの仕組みや用途を理解できるよう手助けしています。個人的にこうした新しいテクノロジーと社会的影響をクリティカルに考察することがメディアリテラシーの業界でたくさん起きてほしいと願っています。

ーー最後の部分について詳しく教えてください。

教育者たちが新しく登場した技術について学び、どう生徒たちに教えるかについてのリソースはたくさんあります。ただし、それらの教材の多くは、テクノロジーを提供している企業が作成しているため、利益相反が生じることがあります。

私が興味あることの一つが、そうした忙しい教育者のために無料で提供されている教材を評価することです。

メディアリテラシーの教育者たちが、教室で安心して使えるように教材の質を評価しやすくする仕組みができたら良いなと思います。加えて、例えばチャットボットといった新技術についての批判的な考察や社会への影響を考えさせるような教材も補うべきです。

私もマサチューセッツ大学アマースト校の研究者と協力して、教育者たちが教材の質を判断しやすくするための枠組づくりや評価ツールを作成しているところです。

教育者やジャーナリストにできること

ーー若い人々は、ソーシャルメディアなどで過剰なまでの情報に晒されています。そうした中で、教育者には何ができるでしょうか?

教材はたくさんあります。繰り返しになりますが、メディアリテラシー業界には、どのように、誰が、何を教えるのかについて、異なる考え方がたくさんあります。そうした様々な考え方に触れるのは、素晴らしい第一歩です。

アメリカには、NAMLE(the National Association for Media Literacy Education)という組織があります。そこで、メディアリテラシーの活動をする人々や団体について知ることができます。メディアリテラシーの現状やどんな教材が存在するのかを理解して、自分が働く学校でメディアリテラシーの重要性を広めていくことが大切です。

ーーメディアリテラシーを高めるために、各国のメディアやジャーナリストができることは何ですか?

日本のメディア事情やジャーナリズムは、アメリカとかなり異なると理解しています。どこでも通じる解決策はない、たとえ同じ民主主義国家であってもジャーナリズムの形は違うということを、まずは認識すべきです。それに合わせてメディアリテラシー教育も変えなくてはならない。

私は、香港大学ジャーナリズム・メディア研究センターの鍛治本正人副教授の下で学びました。彼から様々なことを教わりましたが、その中で最も素晴らしいと感じているのが、一定のやり方を押し付けないという姿勢です。ニュースリテラシーを高める上で、改善が必要な部分に焦点を当てて、教育法や指導のアプローチを共有します。そして、指導方法を、その場所の政治、経済、メディア事情に合わせることの重要性を協調しているのです。

メディアができることの一つは、自らの及ぼす影響や、その大きさについて考えることです。個々のジャーナリストたちの間では、すでに意識が高まっていると思います。

当たり前のことですが、ジャーナリストは置かれた環境に影響を受けます。今はクリック数やデータが重視される時代です。組織に属しているジャーナリストたちは、会社として利益を生まないといけないシステムの中で活動しています。

ーージャーナリズムも変化し続けています。

ジャーナリズムの作られ方や提示の仕方の変化が、受け手を混乱させていることも多々あります。

印象的な例として、ネイティブ広告(native advertising)がニュース媒体にとって大きな収入源になってきていることが挙げられます。ネイティブ広告は、その媒体のニュースコンテンツに似せて作られていますが、広告主がお金を払っています。信頼されているニュース媒体の見た目を借りることで、読者や視聴者に広告だと気づかせないようにしながら影響を与えようとするのです。(アメリカでは)大きな新聞社やニュース雑誌のほとんどが、こうした広告を内部で作るためのリソースを割いています。だって、ニューヨークタイムズの社員より、「タイムズっぽい」ネイティブ広告をデザインするのに適任な人なんていますか?こうした広告手法は、BP社(*イギリス大手の石油・ガス企業)が気候変動に及ぼす影響や、ウェルズファーゴ(米国四大銀行の一つ)の少額融資について、一般の人々がどう理解するかに影響を与える可能性があります。

ネイティブ広告について、もう一つ言いたいのは、ジャーナリストがどんどん報道分野で仕事を失う一方で、彼・彼女らが、その資質を生かして広告制作の仕事を得るチャンスは豊富だという事実です。ニュース媒体には、こうしたビジネスの影響についてもう少し考え、そうした変化と社会への責任とのバランスをとるよう心がけてもらいたいです。

(左)スタンリー氏、(右)志村氏

ジャーナリストには、メディアリテラシーの教育者を助けてほしいと思います。すでに多くのジャーナリストがそうしています。アメリカのNPOであるニュース・リテラシー・プロジェクト(NLP)は、ジャーナリストと協力する組織の素晴らしい例です。多くのジャーナリストが教育者に転職をする例もよく見られますが、思慮深さを持った教育者になってもらいたいです。ジャーナリズムのスキルがあって、それをうまく伝える技術も大切ですが、それに加えて、社会への影響などを考えることが求められますから。

私は、人々がジャーナリズムとニュースビジネスを取りまく社会的、経済的、政治的な環境を理解することで、日々接する情報量が増えても、それらを文脈にあてはめて用いて最良の判断を下せるようになることを願っています。

例えば、ニュースリテラシーの根本となる視点の一つが、ジャーナリストや編集者が報道対象となるニュースをどのように選んでいるかです。ニュースの消費者としては、どんな人が、どんな理由で情報提供しているのかを理解する必要がある。物事の全体像を理解するには、複数の情報源を参照する必要があることを理解するのにもつながります。

これをもっと現代的な視点で見ると、人々の行動データが編集判断に与える影響が挙げられます。Apple Newsやニューヨークタイムズ、地方紙などのアプリを使うと、どの記事をクリックして、どれくらいの時間読んでいたのか、その後には何をクリックしたのかなどを追跡されます。それらのデータは、報道局での記事の優先順位や、次に消費者がアプリを開いた時に何が表示されるかに影響を与えます。こうした報道組織のビジネス戦略は消費者の情報の受け取り方に影響を与えるものであるため、消費者が自らの情報ダイエット(情報の健康的摂取)をコントロールするためにも知っておくべきです。

良質なジャーナリズムが社会福祉の土台であると常に強く感じています。ジャーナリズムスクールを出て、ジャーナリストになるためのトレーニングも受けました。ただし、ジャーナリズムとその質や特性に興味はありますが、自分はジャーナリストにはなれないとすぐに分かりました。資金や人材などが縮小するこの業界でやっていくには、とてつもない信念と誠実さ、情熱が求められます。なので、ジャーナリストとして活動する人には、尊敬の念を抱かずにはいられません。

サマンサ・スタンリー氏インタビュー(上)~はこちらです。

インタビューの英語版(Creating healthy information spaces)はこちら