本稿で紹介するのは、人為的にニュースのフィルターバブル「空間」を創出して、学生(生徒)自身に自分の意見の変化を体感してもらう「実験型」の授業である。2022年2月から始まったロシア・ウクライナ戦争を題材とし、クラスルームの学生(生徒)を2分して、「ロシア寄り」「ウクライナ寄り」に偏った情報群を見せ、どちらに正義があるのかなどの「戦争観」の変化を調べた。特に、「ロシア寄り」の情報群を見た学生(生徒)に大きな変化があらわれ、自身の考え方の変化に気づいた学生(生徒)たちが、情報への接し方を考え直したり、「フィルターバブル」に陥る問題点を自覚する効果がみられた。2022年4月〜7月までに、2つの大学、2つの高校で実施した授業と、その結果を紹介する。
長澤 江美
スマートニュース メディア研究所 研究員・メディアリテラシー担当
1980年、愛知県生まれ。2004年愛知教育大学教育学部卒、小学校(国語)教員免許を取得。同年時事通信社に入社。2016年から2020年秋まで家族でニューヨーク郊外に住み、日米交流を目的とするNPO団体スタッフを経験。2020年12月にスマートニュースに入社。2021年より慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究所リサーチャー。
ロシア・ウクライナ戦争を題材にした理由
「フィルターバブル」という言葉は、イーライ・パリサー氏が2011年の著書『The Filter Bubble』(邦訳『閉じこもるインターネット―グーグル・パーソナライズ・民主主義』早川書房)の中で提唱したもので、検索サイトやニュースサイト、アプリが提供するアルゴリズムによって、ユーザーが、自分の見たいものしか見えなくなってしまう、という現象である。
授業でフィルターバブルを体感するためには、実際に起きている大きな時事問題をテーマにすることが適している。
理由は2つある。1つは、学生(生徒)が自然な形で関心を持てるとともに、現実を踏まえて物事を捉えることができること。虚構のテーマ・情報を用いて授業をした場合、それで仮に「フィルターバブル」を体感できたとしても、「この授業用に作られたものだから」「現実にはあり得ないだろう」と考え、「自分事」として捉えない可能性がある。
2つ目は、実際に言論空間に流れているさまざまな情報ー新聞記事から、ツイート、ブログまでーを教材として使うことができるという利便性もある。これは、教育現場の先生たちにとっても、一から題材を集めるという手間が省けることになる。
今回の授業のテーマは、2022年2月24日にロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まった「ロシア・ウクライナ戦争」とした。
授業の準備と入り方
(a)事前準備
授業の大きな流れは、学生(生徒)たちが、偏った情報群を読む前と後で、テーマについての自身の意見について、同じ設問でアンケートを取り、その変化を見る、というものだ。
今回の場合は、アンケートは、「ロシア・ウクライナ戦争について、どう感じているか」をテーマとした。また、「ロシア寄りの言い分に偏った情報群(以下、ロシア寄り)」「ウクライナ寄りの言い分に偏った情報群(以下、ウクライナ寄り)」をそれぞれ準備した。
クラスを教師側で2つのグループに分けておき(学生(生徒)には、2つのグループに分けていることは、事前には知らせない)、「ロシア寄り」「ウクライナ寄り」情報群が印字された情報セットを渡す。学生(生徒)は、全員が同じ情報を手渡されている、と感じているはずである。
情報セットの1枚目には、情報群を読む前に行うアンケートフォーム(Google Formsを利用)のQRコードを印字した。それを、タブレットもしくはスマホで読み取って、その場で回答させる。
アンケートの設問内容:
①ロシアとウクライナ、どちらに正義があると思いますか(選択肢は5段階、1:ロシアに〜5:ウクライナに)
②ウクライナは降伏すべきだと思いますか(選択肢は5段階、1:すべき〜5:すべきでない)
*Google Forms 画面など詳しくは、授業実践例をダウンロードいただくとご覧になれます(2022年12月下旬公開予定)
次のページには、この戦争自体について知識の少ない学生(生徒)のために、報道機関が作成した「45秒でわかる、ロシア・ウクライナ戦争」という動画リンクに飛べるQRコードを挿入した。この動画は中立的に作られており、どちらに正義があるかについて、バイアスがかからないと判断した。その後の記事などの情報を読んでいく上で、一定の知識は必要だと考え、このようなプロセスを入れることにした。
その後、学生(生徒)は、情報群を読み進めていく。最後のページには、またアンケートフォームのQRコードが入っている。
このアンケートに記入する前に、近くに座っている学生(生徒)同士(同じ情報群を読んでいるグループ内の必要がある)で、読んだばかりの情報群について感想・意見を話し合う時間を取った。これは、同じ意見を持つ者同士が話し合うことで、さらに意見が強化される、「エコーチェンバー」といわれる現象の疑似状況を作り出すことを狙った。
(b)配布した情報群の内容
学生(生徒)に見せる情報群の内容が、授業の肝となる。
まず、どちらのグループにも共通して、戦況を短めに伝える中立的なニュース記事を入れた。全てがどちらか寄りのものばかりだと怪しまれてしまうためである。また、両方に共通して入れた情報が数本ある。周りにある情報によって、読み方が変わるような内容のものを選んだ。後から、両方の情報群を見比べた時に、その違いも感じてほしいという狙いがある。
選択した情報は、国内外の報道機関が出した記事、テレビでの発言を扱ったネット記事、有名人によるツイート、個人のコラム、真偽が不明なネット記事 など多岐にわたる。真偽にこだわらなかったのは、実際のネットの情報空間においても、真偽不明の情報やニュースが大量に流れているためである。要は、学生(生徒)が一定の方向に(ロシア寄りならロシア、ウクライナ寄りならウクライナに)説得されるようなニュース・情報を並べるというのがポイントである。
情報群は、2種類作成した(A大学、C高校で実施した際のグループと、B大学、D高校で実施した際のグループ)。理由は実施時期の違いで、戦況が刻々と変化していたためである。A大学、C高校は2022年6月上旬に実施、B大学は6月下旬、D高校は7月初旬に実施した。特に戦況を伝える記事などを中心に入れ替えた。
*それぞれの情報群について、より詳しく知りたい方は、授業実践例をダウンロードしてください。
集計結果 ロシア寄りの情報を読んだグループに大きな変化
先に述べたように、この授業では、あらかじめ学生(生徒)を2つのグループに分け、違った情報を読ませているが、2つのグループに分けていることは学生(生徒)に知らせていない。
2回目のアンケートに答えてもらったあと、初めて、クラスに種明かしをして集計結果を知らせるが、毎回、どよめきが起きた。Google Formsで迅速に集計ができるので、「種明かし」ー「集計」までは、すぐに進める。
授業の立て付けを説明してから、プロジェクターで、ロシア寄り情報群を与えられたグループ、ウクライナ寄り情報群を与えられたグループ、それぞれの読前アンケートの結果グラフを表示する。4つの学校に共通していたのは、読前アンケートだと、正義はウクライナにある・ウクライナは降伏すべきでない、という回答が多いことだ。これは、日本における報道がウクライナに同情的な視点やトーンのものが多いからであろう。
4つの学校とも 情報群を読む前のアンケート結果は、ウクライナ寄り情報群を渡されたグループとロシア寄り情報群を渡されたグループでは、大きな差はなかった。どちらのグループも、①どちらに正義があると思いますか、という設問に対しては、「ややウクライナに」という回答が最も多く、次に「どちらとも言えない」、「ウクライナに」と続き、「ややロシアに」「ロシアに」は非常に少ない。
情報群を読んだ後に、どのように意見が変わったのか。最大の特徴は、ロシア寄りの情報をインプットされたグループの「戦争正義観」の大きな変化である。
設問①(戦争正義観)について、ウクライナ寄り情報群を読んだグループは、読前では「ややウクライナに」を選択していた学生(生徒)が突出していたのが、読後には減り、その分、「ウクライナに」「どちらとも言えない」が増えた(表-1)。
一方、ロシア寄り情報群を読んだグループでは、読前と比べて、読後では「ウクライナに」「ややウクライナに」が減り、「どちらとも言えない」が倍増した(表-2)。
設問②(降伏の是非)については、ウクライナ寄り情報群を読んだグループは、読後では、「どちらかといえば降伏すべきでない」が減った。その分、「降伏すべきでない」が増え、「降伏すべき」も微増した(表-3)。
ロシア寄り情報群を読んだグループでは、「降伏すべきでない」が減り、「どちらかといえば降伏すべき」「降伏すべき」が増えた(表-4)
授業実践から得られた知見
この授業の目的は、ロシア・ウクライナ戦争において、どちらに「正義」があるか、あるいはウクライナが降伏すべきかどうか、を教えたり、示唆するものではない。
人の意見(自分自身も含め)が、与えられた情報によって、どれぐらい変わるのかを、体験してもらうのが目的である。
なので、授業の中で、アンケート結果を見せ、人為的に「フィルターバブル」を作ろうとしたことを説明した。そして「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」といった現象の解説を行った。どのクラスでも、学生(生徒)たちが熱心に聞き入っている姿が印象的だった。
また、ロシア国内でプーチン大統領の支持率が非常に高い理由の一つに、ロシア国営放送の情報がロシアを正当化するニュースに偏っており、ロシアを批判するようなソーシャルメディアへのアクセスが制限されていることで、多くの国民が「フィルターバブル」に陥っている面があると説明すると、生徒たちは納得している様子だった。
授業終了後のリアクションで目立ったのは、「フィルターバブル」について知識では知っていても、実際に自分や周囲の考えが、短時間のうちに動いたことに衝撃を受けた、といった感想である。「知識」よりも「体験」からの学びが大きいということが、授業を実践してみての実感である。
*こちらの授業の詳細は、授業実践例でもご紹介しています。