情報モラルとメディア・リテラシーの違い(上)~森本洋介

2026.04.10
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森本洋介
1980年生まれ。弘前大学教育学部准教授。
京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専攻は比較教育学、教育課程論。著書に「メディア・リテラシー教育における「批判的」な思考力の育成」(東信堂、2014年)、「第5章 日本のメディアリテラシー教育の歴史的潮流」(「メディアリテラシー 吟味思考(クリティカルシンキング)を育む」坂本旬・山脇岳志編著、時事通信社、2022年)、「子どもたちのクリティカルな思考を育む メディア・リテラシー教育の理論と実践」(ミネルヴァ書房、2025年)などがある。

はじめに

「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(令和6年12月25日中央教育審議会)【概要】令和7年1月30日教育課程企画特別部会参考資料1-1」において、2030年度から実施予定の次期学習指導要領に関する論点が提示された。それら論点のうち「③各教科等やその目標・内容の在り方」では「小中高等学校を通じた情報活用能力の抜本的向上を図る方策(生成AI等に関わる教育内容の充実、情報モラルやメディアリテラシーの育成強化を含む)」が取り上げられている。「育成強化」という表現に見られる通り、情報モラルとメディア・リテラシー(以下、ML)については既に学校教育においてある程度取り扱われている事項であり、次期学習指導要領においては従来育成しているこれら能力やスキルをより強化することが目指されるものと思われる。

「情報モラル『や』メディアリテラシーの育成強化」と上記資料に表記されているように、情報モラルとMLは別の能力概念であり、情報モラルは現状の学校教育において主に「特別の教科 道徳」や特別活動で、MLは社会科や国語科等で取り上げられている。MLの教科書における取り上げられ方については拙著(森本,2026)において多少の説明を行っているので、興味のある方はそちらをご覧いただきたい。このように情報モラルとMLは別の能力概念であるにも関わらず、世間一般では混同して理解されていることが多いように思われる。

情報モラルとは何か

そもそも情報モラルという概念が登場した背景には、1984年から1987年にかけて中曾根康弘首相(当時)主導で開催された、臨時教育審議会の答申のなかに情報モラルに関係する記述が登場していることが挙げられる。臨時教育審議会の最終答申に「情報社会への対応」として、以下のような記述がある。

情報化の進展は、間接経験の肥大と直接経験の減少、情報への過度の依存、情報過多に伴う各種の不適応症状など、情報化への対応いかんによっては、様々な弊害を生み出す可能性もあることを忘れてはならない。したがって、情報化に対応した教育を進めるに当たっては、情報化の光と影を明確に踏まえ、新しい情報の手段がもつ人間の精神的、文化的発展の可能性を最大限に引き出しつつ、影の部分を補うような取組みが必要である。
(国立青少年教育振興機構,1987)

 そのうえで、教育が果たすべき役割について、「情報化の進展が与える身体的、精神的、文化的影響に関する教育的見地からの分析・評価を進め、情報化の影の部分を補うための教育を拡充するとともに、教育環境の人間化を支援するような形で情報手段を教育の場に取り込む」(国立青少年教育振興機構,1987)と記載されている。「情報化の光と影」という表現は、現在でも情報モラルを語る際に使用されるキーワードであり、情報モラル分野特有の表現であると私は考えている。インターネットは1980年代に国内外において商用展開され始めた(ばるぼら,2005)ものの、まだ一部の企業や大学等の研究機関が使用する程度であり、一般に普及していなかった。インターネットが一般的に普及していったのは、OSであるWindows95がコンピュータに搭載されることで、専門技術を持たなくてもコンピュータを扱えるようになった1990年代中盤以降の話となる。臨時教育審議会の第四次答申内では、具体的なメディアについては触れられていない。しかし「新しい情報手段は、情報選択の余地を飛躍的に拡大するとともに、双方向の情報伝達を可能にし、情報および情報手段の主体的な活用への道を格段に広げるものである」(国立青少年教育振興機構,1987)という表記はインターネットを念頭に置いたものであると考えられる。実際に、臨時教育審議会解散後、インターネットの普及による情報化の進展により生み出されるメリット/デメリットに対する対策として、「情報モラル」が主張されるようになっていく。

情報モラルの内容については、細かな部分については論者によって異なるところがあるものの、小中学校で取り扱う内容の大枠については以下①~⑥のような内容で共通している(石原,2013)。

①ネットワークを利用する上での責任について考えさせる学習活動
②基本的なルールや法律を理解し、違法な行為のもたらす問題について考えさせる学習活動
③知的財産権などの情報に関する権利を尊重することの大切さについて考えさせる学習活動
④トラブルに遭遇したときの主体的な解決方法について考えさせる学習活動
⑤基礎的な情報セキュリティ対策について考えさせる学習活動
⑥健康を害するような行動について考えさせる学習活動

石原(2013)によれば、小学校では(情報手段の活用に)慣れ親しませることから始め、基礎的な操作及び情報モラルは確実に身につけさせることとされ、情報手段を適切に活用できるようにするための学習活動の充実が必要とされている。中学校でも小学校段階の基礎の上に、情報手段を適切かつ主体的、積極的に活用できるようにするための学習活動を充実させることが必要とされ、情報モラルについては、確実に身に付けさせることが必要とされている。なお、情報モラルの内容の①に「ネットワークを利用する上での責任について考えさせる学習活動」があるように、情報モラルが対象としているメディアは基本的にインターネットだけである。

情報モラルの内容を簡単に整理すると、子どもたちがインターネット上で詐欺などの被害にあわないようにしたり、ネットいじめの加害者にならないようにしたり、著作権等の法律に関わる問題に違反しないようにしたり、長時間のインターネット利用による視力の低下や生活リズムの乱れなどの身体的な悪影響を避けたりするための知識を獲得させ、そのようなトラブルが起こらない、巻き込まれないようにするための判断をさせることが主目的であると言える。このように、知識を有しているとされる大人が、知識を持たない子どもに対して、トラブルへの対処の仕方を教え、子どもを社会の悪影響から守ろうとする立場を「保護主義(protectionism)」という。これに対し、後述するMLは子どものエンパワーメントを目指す立場にある。エンパワーメントの考え方は、どのような未知の状況が起こったとしても、自ら情報を集め、情報を評価し、主体的に判断して自己決定できるようにするというものである。

最後に、情報モラルの考え方も多様であることを述べておく。中村(2007)は「現状の情報モラルの指導は、インターネットで被害にあわせないようにする、児童・生徒を被害から守る。危険なサイトに近づけないようにするなど、『~すべき』『~べからず』の対症療法的な意味の安全指導の色彩が強い。(中略)なにより、義務教育の目的は、誰にも必要な素養を身につける人格形成にあるのであるから、諸現象への対応や対症療法的指導でなく、根本的な考え方を含んだモラル教育が必要である」(中村,2007,4頁)と述べたうえで、「流行している現象は扱うが、主体的な判断の根拠となるインターネットやコンピュータの特質の理解を取り入れ、最終的に、『なぜ』『だから』『どうしたらよいだろう』と児童・生徒自らが考え、情報化社会で主体的に対応できる考え方や態度が身につくようにすることが大切になる」(中村,2007,5頁)とし、MLの考え方を含む情報モラルを提唱している。そして、情報モラルで教える内容のうち、「なぜ」という側面について、表1のように説明する。

※中村、2007、8頁を参考に筆者作成。下線は筆者による。

表1 情報モラルの内容(「なぜ」の内容)

情報モラルの議論内でも、インターネットとの付き合い方(マニュアル的な応対)に終始しない情報モラルのあり方が出ているのは興味深い。ただしMLが「被害を受けない、加害者にならないための諸現象の理解」という項目内で「得た情報の質を判断した利用の仕方」として説明されているのは情報リテラシーの説明に近く、誤認であると言える。一方で「情報モラルに主体的に対応していくためのコンピュータやインターネットの情報手段の特質の理解」に登場する「(3)メディア・リテラシーの観点」の指摘は重要である。つまり、ここまで述べてきたように、情報モラルが対象としているメディアはインターネットだけであるが、MLはあらゆるメディアを対象とする。MLの存在が、原則インターネットのみを対象とする情報モラルの範囲を拡張している要素になっているのである。なお、表1の記述だと、MLがマスメディアだけを対象にしているようにも受け取られないが、実際には漫画や音楽等のあらゆるメディア(情報を媒介する手段)がMLの対象である。とはいえ、表1の情報モラルとMLの関係は単に取り扱うメディアの範囲とそれらメディアの性質の理解の話をしているのであって、MLの本質である批判的思考力やエンパワーメントの話をしているわけではないことには注意が必要である。情報モラルとMLは別物であることの証拠であると言えるのだが、MLとは何かという理解が情報モラル分野において進んでいないという証拠でもある。

情報モラルからデジタル・シティズンシップへ

さて、近年では「デジタル・シティズンシップ」という言葉を聞いたことのある方もおられるだろう。坂本によればデジタル・シティズンシップは「2010年ごろから始まった世界的な潮流」(坂本,2020,4頁)とされ、実際に各自治体の教員育成指標や教育目標といった公文書でも導入が進んでいる。青森県教育委員会(2023)のように、デジタル・シティズンシップをいわゆる「教員育成指標」に明記している自治体もある。デジタル・シティズンシップとは、総務省情報通信審議会総合政策委員会によると、次のように説明されている。

デジタル技術の利用を通じて、社会に積極的に関与し、参加する能力を指すものであり、コンテンツの作成や公開、他者との交流、学習、研究、ゲーム等のあらゆるデジタル関連の活動を行う能力に加え、オンライン消費者意識、オンライン情報とその情報源の批判的評価、インターネットのプライバシーとセキュリティの問題に関する知識など幅広いリテラシーを含む概念であり、具体的には「ネットいじめ」や「ヘイトスピーチ」への対応やオンラインニュースとどう付き合うべきかといった身近な内容を含むものである。(総務省総合政策委員会,2022,51頁)

 そのうえで、情報モラルとの違いについて、「これまでの『情報モラル』教育は、ネットの長時間利用やSNSへの書込み等、インターネットの危険性について教えているが、どちらかと言えばインターネットの使用を抑制するもの」(総務省総合政策委員会,2022,50頁)と述べ、「今後は、自律的なデジタルの利活用を通じて様々な相手とコミュニケーションを行い、多様な社会活動に参画し、よりよいデジタル社会の形成に寄与する『デジタル・シティズンシップ』を育むための教育を行うことが必要となる」(総務省総合政策委員会,2022,50頁)とする。青森県教育委員会の場合は「情報化が加速度的に進むSociety 5.0時代を生き、情報活用能力など学習の基盤となる資質能力を児童生徒に育む必要があることから、情報モラル教育に留まらず、より広い概念としてデジタル・シティズンシップ教育に関する指標も設定している」(青森県教育委員会,2023)と述べている。青森県教育委員会の教員育成指標にも記載されているように、デジタル・シティズンシップは情報モラルを拡張した概念として理解されている。

上記の説明は情報通信事業を管轄する総務省の有識者会議の説明であるが、次に教育を管轄する文部科学省の見解を見てみよう。文部科学省の有識者会議においては坂本が翻訳した欧州評議会(Council of Europe)の資料を引用する形で以下のようにデジタル・シティズンシップの説明を行っている。

デジタル・シティズンシップとは、デジタル技術の利用を通じて、社会に積極的に関与し、参加する能力のことです。デジタル・シティズンシップは、コンテンツの作成や公開、交流、学習、研究、ゲームなど、あらゆるタイプのデジタル関連の活動を通じて表現することができます。効果的なデジタル・シティズンシップは、幅広いデジタル・コンピテンシーに加え、オンライン消費者意識、オンライン情報とその情報源の批判的評価、インターネットのプライバシーとセキュリティの問題に関する知識など、デジタル・シティズンシップに特化した能力も求められます。また、他者の尊重、共感、民主主義や人権の尊重など、幅広い一般的な市民活動能力にも依拠します。(豊福,2021)

 このように文部科学省と総務省が別々にデジタル・シティズンシップの取り組みを行っているが、デジタル・シティズンシップの理解について両者はほとんど同じである。キーワードとしては「デジタル技術の利用」、「社会への積極的な関与と参加」、「オンライン消費者意識」、「オンライン情報とその情報源の批判的評価」、「インターネットのプライバシーとセキュリティの問題に関する知識」といったものが挙げられる。

今度(2022)によれば、日本の情報モラル教育に足りないものとして「ICTの利活用が前提であること」、「個人の安全な利用のためだけに学ぶのではなく、人権と民主主義のための情報社会を構築する善き市民となるために学ぶこと」、「同じ答えに導くのではなく、個々の価値観の違いに配慮すること」、「オンライン上で立ち止まって考える、そして行動するための方法とその理由を具体的に学ぶこと」(今度,2022,150頁)などを挙げている。そして情報モラルとデジタル・シティズンシップの違いについて「個人が危険であるから学ぶ、悪影響がないよう指導する、という『安全の倫理』としての認識が示されている『情報モラル』と、ICTを善く利活用して、情報社会を構築する善き市民となることを目指す『デジタル・シティズンシップ』では、その視点が大きく違う」(今度,2022,150頁)としている。このように、インターネットを対象として、その扱い方や知識、マナーを教えることは情報モラルとデジタル・シティズンシップ両方に共通しているため、デジタル・シティズンシップは情報モラルを基盤とした発展的な概念、ないし拡張した概念、と理解できる。簡単に言えば、情報モラルはどちらかと言えばインターネット利用に関して抑制的(「触らぬ神に祟りなし」)な立場であり、デジタル・シティズンシップは積極的な活用を推進する立場であることがわかる。

前編では、主に情報モラルについての説明を行ってきた。後編ではMLの説明を行ったうえで、両者がどのように異なり、どのような教育内容の区別が必要になってくるのかを述べることにする。後編も合わせて読まないと、本テーマの目的が果たせないため、必ず後編も読んでいただきたい。


参考・引用文献

  • 青森県教育委員会(2023)「校長及び教員の資質の向上に関する指標について 平成30年2月14日(令和5年2月1日一部改訂)」
    https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kyoiku/e-gakyo/files/01_shihyou_kaisetsu.pdf(2026年3月17日確認)
  • ばるぼら(2005)『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』、翔泳社
  • 今度珠美(2022)「第6章デジタルシティズンシップとメディアリテラシー:情報モラル教育と何が違うのか」坂本旬・山脇岳志編著『メディアリテラシー 吟味思考を育む』時事通信社、145~159頁
  • 石原一彦(2013)「『教育の情報化ビジョン』の背景と課題」メディアと学校教育研究会『メディアと学校教育研究会報告書 メディアと学校』国民教育文化総合研究所、44~61頁
  • 国立青少年教育振興機構(1987)「IV-4-[1] 教育改革に関する第4次答申(最終答申)(抄)」
  • 森本洋介(2026)「令和5年検定小学校教科書および令和6年検定中学校教科書におけるメディア・リテラシーの定義の考察―なぜ情報モラルやファクトチェックと混同されるのか―」『弘前大学大学院教育学研究科教職実践専攻(教職大学院)年報』8号、40~52頁
  • 中村祐治編(2007)『日常の授業で学ぶ情報モラル』教育出版
  • 坂本旬(2020)「デジタル・シティズンシップとは何か」坂本旬他著『デジタル・シティズンシップ―コンピュータ1人1台時代の善き使い手をめざす学び』大月書店、1~37頁
  • 総務省総合政策委員会(2022)「2030年頃を見据えた情報通信政策の在り方報告(案)」
  • 豊福晋平(2021)「安心安全な利活用とデジタル・シティズンシップ教育」GIGAスクール構想に基づく1人1台端末の円滑な利活用に関する調査協力者会議