オンライン学習の広がりや、玉石混交の情報環境への対処などを背景に、日本でもメディアリテラシー教育への関心が高まっています。国際的な潮流にも詳しい法政大学の坂本旬教授に、メディアリテラシーの概念、日本の学校教育の課題などについてインタビューしました。前篇・後篇の2回に分けて、掲載します。(構成:宮崎洋子, 石井謙一郎)
坂本旬・法政大学教授
1959年大阪府生まれ。東京都立大学大学院教育学専攻博士課程単位取得満期退学。編集者、著述業を経て、1996年より法政大学教員。現在はキャリアデザイン学部教授。ユネスコのメディア情報リテラシー・プログラムの普及をめざすアジア太平洋メディア情報リテラシー教育センターおよび福島ESDコンソーシアム代表。基礎教育保障学会理事。著書に「メディア情報教育学」(法政大学出版局)など。
「メディアリテラシー」と「情報リテラシー」の違い
いまの子どもたちはデジタルが前提の社会に生きています。彼らが手にしているスマホの中には、フェイクニュースやプロパガンダ、ヘイトスピーチが飛び交っています。インターネットを自由に使いこなしながら、そこに潜むリスクを理解していない。これは危険なことです。
メディアリテラシーは「情報の真偽を見きわめること」と解釈されがちですが、これは「情報リテラシー」です。「フェイクニュースを見きわめること」は、「ニュースリテラシー」です。ニュースリテラシーは、ニュースに特化した情報リテラシーと考えればいいでしょう。ただしジャーナリズムの視点が入っているので、原点に「表現の自由」があります。現在はさらに発展して、ファクトチェックの考え方も入ってきています。ユネスコでは、これらを合わせて「ニュース情報リテラシー」という言葉を使っています。
メディアリテラシーは広い概念です。私は「民主主義社会におけるメディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディア・メッセージへアクセスし、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力」と定義しています。平たく言えば、メディア・メッセージの伝え方や表現の仕方に注目して、背景にある価値観や目的を考え、表現するスキルを指します。
日本の教育関係者は、メディアリテラシーについて真剣に捉えなければなりません。メディアのメッセージに対して、子どもたちがクリティカルに向き合う力を育てる必要があるのです。
新型コロナが露わにした日本のデジタル教育の遅れ
文部科学省は2019年12月に、「GIGAスクール構想」を打ち出しました。小中学校に通う児童と生徒に1人1台ずつタブレット端末を配布し、高速大容量の通信ネットワークを整備して、誰一人取り残すことなく、公正に個別最適化された創造性を育む教育を実現させる、という計画です。ところが2020年3月の時点で、学校現場への導入は5.4人あたり1台に過ぎず、自治体間の格差も大きいことが、文科省自らの調査でわかっています。
2020年4月には萩生田光一大臣が、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言を受けて、この構想を早期に実現させると表明しました。端末を学校に備え付けにするのではなく、家庭へ持ち帰って使えるようにすべきという方向性も出されました。私物のスマホについては、ようやく小中学校への持ち込みが許される流れです。高校はすでに多くの学校で許可されていますが、スマホを学習に使ったり、あるいはスマホの使い方について学ぶためではなく、地震などの災害が起こったときの緊急連絡に必要だからという理由が主です。
新型コロナによって、このように悠長な議論をしている状況ではなくなりました。全国一斉休校が実施されて、パソコンやタブレットを使う遠隔授業を家庭で受けなければいけなくなったからです。しかし現実には、文科省によると、4月16日の時点で「同時双方向型のオンライン指導を通じた家庭学習」を実施できた公立学校は5%にすぎなかったと発表しています。
欧米のメディアリテラシーの専門家にこのことを話すと、「日本のようなIT先進国がなぜ?」と驚かれます。遠隔授業をすでに実施していた北欧のバルト三国やニュージーランドなどは、比較的スムーズに移行したからです。日本のICT教育の現状がその程度だというのは、大きな問題です。
教育委員会は、オンライン教育をやりたくないのか。それともできないのか。文科省が学校と家庭の連絡にスマホを使いなさいと言っているのに、地域の教育委員会が「LINEを使うのは駄目だ」などとお達しを出し、学校と家庭で手紙をやり取りしたり、危険だとわかっていながら対面授業を再開させてしまうケースがありました。
デジタル・アクセス環境を整え、誰もがオンライン授業による教育を受ける権利を保障されるような政策が必要です。私はこれを「GIGAスクール構想の社会政策化」と言っていますが、早期の実現が必要です。ユネスコもそう提言していますし、世界の現状はずっと先を行っています。これは教育を受ける権利の問題であり、メディアリテラシーというより「デジタル・シティズンシップ」の話になります。
ユネスコの定義を引用すると「情報を効果的に見つけ、アクセスし、利用、創造する能力であり、他の利用者とともに積極的、批判的、センシティブかつ倫理的な方法でコンテンツに取り組む能力であり、そして自分の権利を意識しつつ、オンラインおよびICT環境に安全かつ責任を持ってインターネットを利用する能力」が、デジタル・シティズンシップです。
アメリカでデジタル・シティズンシップを学ぶとき、最初に出てくるのがデジタル・デバイド(情報格差)の問題です。自分たちがデジタル市民社会にアクセスするのは権利の行使ですが、その権利を阻害させられている人たちがいることについて学び、解決する方法を考える。つまりデジタル・シティズンシップは、デジタル・デバイドの克服とセットで考えるべきです。
コロナによって拡大してしまったさまざまな格差を少しでも解消するには、デジタルインフラを整えなければいけません。すべての児童生徒にパソコンをすぐに配ることはできませんが、スマホならほとんどの家庭にもあります。とりあえずは、すでにあるスマホを活用することです。家庭や個人の経済格差が、情報格差や教育格差につながってはいけないのです。
日本の学校現場でメディアリテラシーを受け入れてもらいやすくするためにも、デジタル・シティズンシップとセットで学ぶのがいいと思います。正しい使い方に取り組まなければ、端末を1人に1台などと提唱することはできません。たとえば、大きな問題になっているネットいじめです。その特徴は、現実の人間関係が反映されて、普段は仲のいい子どもが突然いじめる側に回ること。子どもの場合、仲間外れだけでいじめになってしまいます。こうした事態に丁寧に対応しなければいけないのに、教育現場は追いついていないのが現状です。
2つのチェックリストで批判的な見方を養う
メディアリテラシー教育や情報リテラシー教育では、批判的に考える力を身につけるために、繰り返し練習を行なうことが必要です。情報リテラシーについては、アメリカ図書館協会の開発した「CRAAPテスト」と呼ばれるチェックリストがあります。学校の授業でフェイクニュース問題を取り上げる際に、情報を評価する基本的なチェックリストとして使われています。「crap」がウンコを意味するスラングですから、「うんこドリル」のようなニュアンスで子どもに馴染みやすい。これを日本の学校で授業に使いやすいように、私が日本語化したのが、下の「だいじかな」チェックリストです。
だ だれ? この情報は誰が発信したか?
い いつ? いつ発信されたのか?
じ 事実? 情報は事実か? 参照(裏付け)はあるか?
か 関係? 自分とどのように関係するか?
な なぜ? 情報発信の目的は何か?
メディアリテラシーについては、下の「さぎしかな」というチェックリストを作りました。こちらは、アメリカのメディアリテラシーセンターが、5つのコア・コンセプトを疑問形にしたキー・クエスチョンとして発表したものの翻訳です。「コア・コンセプトをそのまま教えても子どもにはわからないので、質問の形にした」とセンターの方はおっしゃっていました。
さ 作者? 誰が、このメッセージを作り出したのか?
ぎ 技術? 私たちの興味を惹くために、どんな表現技術が使われているのか?
し 視聴者? ほかの視聴者は、どんな解釈をしているだろうか?
か 価値観? どのような価値観が表現されているか? または排除されているか?
な なぜ? なぜ、このメッセージは送られたのか?
学校の授業では「だいじかな」リストよりこちらのほうが、ディスカッションが広がるので面白いはずです。表現技術に注目させるのは大学の授業でもよくやることですが、簡単なようで、そう簡単ではありません。たとえば商品のコマーシャルを見て「買いたい」と思ったとき、「なんでそう思ったの? 理由は何?」と考えさせます。すると「音楽がよかったから」など、いろいろ理由が出てきます。コマーシャルの分析をして、受け手と送り手の双方に立った見方ができるようになると、両方の考え方とスキルを身につけることができます。作ることと分析することは表裏一体だ、と私は考えています。この2つのキー・クエスチョンは、「批判的に考えるとはどういうことか」を説明するための第1点歩として、具体的でわかりやすいと思います。ただし、批判的思考の土台には民主主義や人権、社会正義という考え方があることも忘れてはなりません。
スマホを持つ前に学ぶべきこと
小、中、高、大学生と段階に分けて、どんなメディアリテラシー・スキルを身につけるべきなのか、考えてみましょう。オンラインで送ったメッセージは、削除してもすべて足跡が残ります。デジタルフットプリントと呼びますが、データはコピーされ、拡散されて生涯消えないことを、スマホを持ち始めてから教えるのでは遅い。小学校か、できれば幼稚園の段階から、デジタル・シティズンシップを学ぶ必要があるのです。何がヘイトスピーチに当たるか考えたり、SNSを使って政治的な参加をすることの意味も教えます。
中学校になると、社会的なメッセージの読み解きだけでなく、創作もできることが望ましいです。公共広告を制作してみる授業などは、好例です。アメリカのメディア・リテラシー教育における第一人者のルネ・ホッブス・ロードアイランド大教授は、現代プロパガンダという考え方をもとに、公共広告を制作する学習を行なっています。
相手を感動させるメッセージを送る方法や、オンライン上で飛び交うヘイトスピーチや極右的なプロパガンダに対して、民主主義的なメッセージをどのように送れば社会的影響力を与えることができるのか、ということを教えています。批判的思考の土台を含んだ素晴らしい実践です。
アメリカのNPOコモンセンスエデュケーションが作っている高校生向けの教材ビデオでは、高校生たちが政治活動に参加し、実際に政治家と対話をし、自分たちの考え方が間違っていることに気づき、社会に影響を与えていく運動について学びます。メディアリテラシーはその過程で、とても大事な要素です。これに関しては私も試行中で、学生たちに公共広告を作らせてnoteにリンクで貼り、メッセージを作って発信させています。自身が社会に影響力を与えるところまで教えることは、中高生になればできると思います。
大学生になったら、市民メディア活動に実際に参加したり、高度なドキュメンタリー制作が可能です。アメリカでは、マイノリティや貧しい人たちがアイデンティティについて考えるときに、ナレーションに静止画や動画を合わせた簡単な物語動画形式として、学校でよく使われているデジタル・ストーリーテリングを使って、自分たちのメッセージを表現するスキルを身につけることを重視します。これも私は、学生にやらせています。デジタル・ストーリーテリングは、小中高のどの段階でも始められるはずです。
最後に、教育現場における最近の注目すべき動向を紹介します。文科省の主権者教育推進会議が2020年11月2日に中間まとめを発表しました。主権者教育は、若者の社会や政治への参加意識を高めようと、選挙権が18歳へ引き下げられたのを契機に始められたものです。この会議で、小中学校でも主権者教育の取り組みを強化していくための「たたき台」が示されたのですが、その3つの柱のひとつが「メディアリテラシーの育成」でした。小中学校におけるメディアリテラシー教育の重要性を、文科省がはっきり示したのです。小中学校なら「情報モラル」、高校では新学習指導要領で必修科目に位置付けられた公民科の「公共」の授業で、デジタル・シティズンシップを教える中にメディアリテラシーやニュースリテラシーの要素を入れられる可能性があると思います。
とはいえ「情報モラル」の学習指導要領も始まったばかりで、どこにもデジタル・シティズンシップとは書いてありません。「教育の情報化の手引」も改訂されたばかりです。
そこで紹介したいのは、大阪府吹田市の教育委員会の取り組みです。2020年11月、1人に1台タブレットかパソコンを配備すると発表したのですが、その中で「ICTの良き使い手となるための『適切で責任ある行動』がとれるように、デジタルシティズンシップ教育を推進」すると謳っています。非常に先進的だと言えます。メディアリテラシーはパソコンやスマホといったメディアの活用法ではなく、メディア・メッセージを批判的に読み解くことです。スマホを持ったり発信するのは、デジタル市民社会に参加すること。一人ひとりが放送局なり新聞社になることだ、という自覚が大事です。