15歳から27歳の若者を対象に調査を実施した研究で知られるジョセフ・カーン教授のインタビュー後編。メディアリテラシー教育の必要性を強調するカーン教授ですが、一方で、デジタル環境の変化もあって、教育者が保護者からの苦情にさらされ、苦境に立たされていることを懸念しています。教育者がこだわるべきこと、そして市民が教育者を支援する必要性についても語りました。全2回に分けて、インタビューの内容をお伝えします。
(聞き手:在米ジャーナリスト 志村朋哉)
ジョセフ・カーン(Joseph Kahne)
カリフォルニア大学リバーサイド校教育学部教授、市民参画調査グループ共同所長。若者の学習機会が、どのように市民権や政治活動の発展に影響するかを研究している。スタンフォード大学教育大学院博士課程修了。
志村朋哉
米カリフォルニア州を拠点に、英語と日本語の両方で記事を書くジャーナリスト。ピューリッツァー受賞歴のある米地方紙などで10年以上働き、現地の調査報道賞を受賞。政治・経済、司法、文化、スポーツなど幅広く米国事情に精通し、ネットやテレビ、ラジオ、雑誌などで、アメリカ人でも知らない「本当のアメリカ」を伝える。現地のジャーナリズムコンテスト審査員も務める。著書『ルポ 大谷翔平』。
継続的な取り組みが必要
ーーメディアリテラシー教育を受けていた若者たちは、なぜ自らの偏見を乗り越えられたのでしょうか?
研究では二つのことが分かりました。一つは、若者たちが、提示された情報の正確性を判断するために必要なスキルを教わっていた場合、それを実践できていたということです。今回の研究の一部ではないですが、私たちの仲間は、ネット市民に必要なファクトチェックに役立つスキルを教えています。たとえば、ラテラルリーディング(横読み)という方法があります。ある投稿を見て、その内容が正しいかどうか確信が持てないとき、新しいウィンドウ(やタブ)を開いて、その情報を発信した組織についてグーグル検索します。さらに、その投稿内容が事実かどうかもウェブ検索して確かめます。情報の正確性を見極めるための方法やスキルはいろいろとあります。
しかし、もう一つ重要なポイントは、スキルの有無だけでなく、やろうとする気持ちがあるかです。研究の大きな発見は、先生が生徒に、正確であることの大切さや不正確であることのリスクを伝えたことが、若者が不正確な政治的投稿を見抜けるかに大きく影響を与えたということです。
すでに述べたように、知識だけで問題は解決しないのです。人は、「正確でありたい」という意欲を持たなければ、その知識を使いません。正確な判断のために知識を活用しようとは思わないのです。
ーー今回の調査では、参加者が受けたメディアリテラシー教育については自己申告だったため、どのような教育をどれくらい受けたかなどの詳細は分からなかった、と述べていますね。偏見を乗り越えるためには、どれ程のメディアリテラシー教育を受ける必要があると思いますか?
いい質問ですね。私たちや他の人の研究をもとに推測すると、上手に教えれば年に数日でも効果はあると思います。しかし、数日の学習で長期間にわたって効果が続くとは思えません。効果がどれくらい持続するのかは、研究上は、分かっていないんです。これはあくまで私の直感ですが、メディアリテラシーに継続的に取り組むことによって、正確さを追求する能力と意欲の両方を養うことができるのではないでしょうか。
これらのスキルの多くは、習得するのに1ヶ月も必要ないと思いますが、それらを実践するためには継続した訓練が必要でしょう。現代社会には、私たちの狙いとは逆方向へ向かわせようとする力も働いていますから、復習による強化も必要です。党派性の強い情報源の流すニュースを読んでいると、論拠の薄い主張を受け入れるよう促されたり、正確性よりも「論争に勝つ」ことに興味を向かせるような感情を湧かせられたりしてしまいます。なので、「1週間トレーニングをすれば、一生安泰」というような発想は馬鹿げています。
研究の観点で言えば、これについては、私たちがフィールドトライアルと呼んでいる調査が役立つと思います。参加者をグループに分けて、1日だけのトレーニングや、1週間のトレーニング、あるいは1週間のトレーニングを3回など、それぞれ異なったプログラムを組み、受けたトレーニングの内容・程度によって、それぞれのグループがどのように情報を見極められるのかを調べるのです。これは将来、ぜひ行われるべき調査だと思います。
デジタル環境の変化でリスクが増大
ーー今回の調査を行おうと思ったきっかけは何ですか?
私の大きな関心は市民教育です。デジタルメディアが誤った情報に関して新たな課題を生み出していることが分かってきました。そこで私は、誤った情報がどのように展開し、それに立ち向かうにはどうしたら良いのかを理解したいと思いました。
重要なことなので、現代のデジタル環境について少しお話させてください。
人々が既に信じていることを正当化しようとする「方向性の動機付け」の問題は、何も今に始まったことではありません。でも以前は、ほとんどの人が(新聞など)「コンセンサスの情報源」と呼ばれるメディアからニュースを得ていました。報道は現在のように極端に一方の党派に偏っていませんでした。自分の信条に合うリベラルな、もしくは保守的な主張ばかりを発信するメディアを選ぶのではなく、ほとんどの人が同じ報道に接していました。それによって、「動機付けられた推論」のリスクが抑えられていました。情報の内容についてはコンセンサスがあったからです。
さらに、そうした伝統的メディアの報道チームは、かなりの程度、正確性を追求していました。「不正確な情報を社会に出したくない」という精神があったのです。だからといって、彼らに偏見がなかったわけではありません。誰にでも偏見はありますから。しかし、そうした報道機関には、正確性を重視しようとする文化がありました。「必ず情報源に確認をとる」「もし間違いがあったら、認めて撤回する」といったことです。
日本の状況は分かりませんが、少なくともアメリカではケーブルニュースとインターネットの出現によって、正確性を重視しないニュースや情報発信者が大量に現れました。目的は、単に多くのクリック数を集めることだったり、特定の政治思想を広めることだったりします。取り締まる方法もないので、大量の不正確な情報が常に拡散されています。
多くの人が大手テレビ局のニュース番組をみたり、主要な新聞を読んでいたりした時代とはずいぶん違います。私たちの周りは誤情報であふれかえるようになりました。だからこそ、「動機付けられた推論」に立ち向かうことが、より重要なのです。以前であれば、自分の信じていることを正当化しようとする気持ちが働いたとしても、ほぼ正確な情報が提供されていたのでリスクは少なかったのです。今ほど偽りの情報に触れることはありませんでした。
保護者が教師に圧力
ーーそんな今の時代におけるメディアリテラシー教育の重要性について教えてください。
インターネット時代になり、情報の選別を行ってくれる門番のような存在が少なくなりました。しかも、その門番たちが、拡散されている情報が正確であることを確認しようとするインセンティブも減ってきています。だから、私たち一人一人が、正確性を判断する能力やスキル、正確でありたいと求める価値観を持つことが、より重要になってくるのです。メディアリテラシー教育は、その両方を養うことができます。
ーーアメリカでメディアリテラシーは改善していると思いますか?
確かな証拠はありませんが、重要な質問だと思います。学校でのメディアリテラシーへの取り組みは、ある程度増えていると思いますが、問題の大きさを考えれば、とても十分だとは言えません。
アメリカでは、「政治問題について教えないでくれ、もしくは特定の教え方はしないでくれ」という親からの学校への圧力が強くなっているので、教育者にとっては、問題がより難しくなっています。昔は、信用性の高いニュース情報源の使用について保護者が苦情を言うことはほとんどなかったのですが、今は当たり前に起きるようになりました。教師がニューヨーク・タイムズの記事を授業で使ったら、その記事が単に一般的な見方を示しているだけでも、保護者から校長に苦情が寄せられるのです。
こうした保護者が、子供に触れさせたいと思っている情報は、不正確な内容であることも多い。そうなると、教師は非常に難しい立場に追い込まれます。教育には正確性を擁護する役割がある。教育者は政治問題については中立でなければなりませんが、「正しい情報を使おう」と教えることには何の問題もありません。なので、「新型コロナウイルス感染症は作り話で、ワクチンは効果がありません」と主張する人がいても、それが明らかに間違っているという証拠があれば、教育者が「そうですね。ワクチンが効果があるかは分からない」と言ってはなりません。教育者が言えるとすれば、「ワクチン接種を強制するべきかどうかは分からない」ぐらいでしょう。議論の余地があるテーマですから。しかし、教育者は、事実に基づいて正確な情報を共有しても批判されるようになりました。それは明らかに教育という仕事を難しくしています。
教育には果たすべき役割がある
ーー解決策は何だと思いますか?
「解決策」のハードルは高いですね。問題が完全になくなることはないでしょう。メディアリテラシー教育をあと数日増やせば、一気に問題がなくなるなどと主張するつもりはありません。でも、教育には果たすべき役割があり、有効な手助けはできると思います。メディアリテラシー教育を拡大して、メディアの質を判断する能力と正確性を追求する精神を養うことができれば、効果が上がると思います。教育者は保護者に対して、「学校で政治問題について話すことは避けられませんが、それは民主主義の社会で生活する上で、若者が理性的な判断を下す力を身につけることが不可欠だからです」と訴えるべきです。
賛同してくれる保護者に、そうした理念の重要性を一緒になって訴えてもらうことも必要だと思います。多くの場合、教育委員会の会議に出席して主張するのは、最も過激で党派的な人々です。彼らにはそうする権利がありますが、そうでない人々も出席して、生徒がネット情報の信頼性を見極めて、正確な情報を元に物議を醸すトピックについて判断を下す力を養う重要性を訴えてくれれば、大きな助けになります。
ーー今後の研究予定を教えてもらえますか?
私たちは、常にいくつものプロジェクトを並行して行っています。大きなトピックの一つが、「具体的にどんな取り組みが、若い人のメディアリテラシーを高める効果があるのか」です。「教育の政治」の現状をもっと把握したいとも考えています。理性的な主張に基づく教育を否定したり、政治問題の議論を封じたり、特定の政治思想を押し付けたり、といった保護者たちからの圧力に、学区や教育のリーダーがどう対応すべきかを研究するのは重要だと感じています。「学校が民主的な教育に集中するために何ができるのか」を考えるのは、とてもエキサイティングです。若者を民主主義社会で活躍できるように育てるために、「教育のリーダーたちは何ができるか」「どんな政策が良いのか、どんな政策がダメなのか」といったことです。
ーー学区レベルでの政治は、アメリカでは注目のトピックですよね。私も教育委員会の会議が、草の根政治運動の温床になっているのを目の当たりにしており、大きな関心を集める研究になると思います。教授の調査結果を楽しみにしています。
Click here to read Professor Kahne’s article on what teachers can do to support students in the misinformation age.
~ジョセフ・カーン博士インタビュー(上)~はこちらです
インタビューの英語版(More knowledge isn’t always better: How media literacy education protects democracy~Interview with Dr. Joseph Kahn~)はこちら